私が好きだった筈のもの。
好き過ぎてよく分からなくなってしまったもの。
こだわりすぎて周りが見えなくなっておろそかにしてしまったこと。
自分の無知さや愚かさ、脆弱さに気がついていなかったこと。
それを若さと捉えて許すには、余りにも稚拙な理屈、アイデア、ロジック、クエスト。
自らの精神を八つ裂きにし、毎日生まれ変わるべきなのである。
そんなに自分のこと、好きじゃない。おそらく今は。
ナルシストにはもうなれないかもしれない。
でもこうやってること自体、自分大切なんだろう、きっと。
昨日の自分は死んでいるから、昨日の自分はもう居ない。
さっきまでの自分と、今の自分はもう違う人間。
そして、今、俺は死んでいく。
今も相当に頭は悪いけれど、
昔はもっと酷かった。
けれども、感受性だったり純粋性というか、
素直に感動したりする、人の会話に反応するセンサーみたいなものが、
当時の方が新鮮で、機能していたような気がする。
今もなるべく感情に対して素直に生きているつもりではいるのだが、
何だか、自分で「壁」を造ることが多くなっていって、
現実で発生していく物事に対して、素直に反応できない自分の存在に気がつく。
それが現世でいうところの、「歳をとった」ということなのだろうか。
私は頭が悪くて勉強が出来ない上に不細工だし、
運動音痴で、ネクラマイナス思考ネガティブの性格の癖に、無駄にプライドが高く、
不器用で要領が悪く、同じ過ちを何度も繰り返し、現実を逃避する。
自分でも笑ってしまうくらいに、長所というか、誇れるところが一切無い。
果たして、今まで何か一つでも、やり遂げてきたことがあっただろうか。
私という人間は、おそらく、周りに居てくれていた友人や協力者、親族のおかげでやってこれたんだと思う。
感謝この上無い気持ちで、俺は一生掛けてでも、この人達に報いるように生きていなければ、
道徳的人生とは言えないものとなる。
そんな私は唯一、音楽が好きという点においては、
誰にも負けないつもりで生きてきた、つもりでは御座います。
J-POP(アニソン含め)、ロック(様々な)、ジャズ、テクノ、クラシック、民族、アバンギャルド、を並列に聴く。
色々聴いてくると、音楽の本質を感じ取れる様な気がしたのでした。
世の中において「芸術」として表現される様々な媒体の本質部分は、
人を感動させることが出来るかどうか
これに集約されているのは間違いない。
人単位で考えていくと、複雑な要因が絡んできて一筋縄で行かなくなる。
また、他人が行っていることをそのままコピーしては絶対にいけない。
誤解を招くので補足致しますと、
ある技術の上達過程や成長段階においては、先駆者の模範や複製を行うことによって、
勉強になったり経験や知識に加味される部分は非常にあるので、行った方がよろしい。
それが最終的な段階、完全なアウトプット、成長の限界段階において、
他人と全く変わることのないものであった場合というものは、
本来であれば、現実にはあまり起こり得ない事態なのであるが、
それが起こり得ているということは、成長しきれていなかったり、諦めている場合が想定される。
または様々な事情によって、個人の自由が許されないケースもある。
どんな分野でもそうだと思われるが、
個人の確立、というものは非常に時間が掛かってしまう。
もしかしたら、一生、見つからないまま終わってしまうかもしれない。
ただ、毎日、好きでも無いことをしながらでも、
自らの身体を突き動かしている存在について。
その存在とは、瞬間で。
自分でしか表現出来ないものを、自信を持って行える様になった瞬間の為に、
私という人間は生きていたいのであって、
その瞬間を得る為に、必死に努力しなければならないことを、
分かっているはずなのに、堕落している罪深き人生。
今日の俺はもう死んでしまおう。