高度に発達した通信技術、携帯電話、IT革命、産業、インターネットによって、
我々は自らが発する言葉、映像や文字であるところの表現を、移動を伴わずに行うことが可能になった。
情報や知識もまた、現存する過去の新聞や図書館、教師や知識人に問うことなく、
データーベースにアクセスすることによって情報収集可能である。
つまり、現代社会といわれる空間は、
各個人が多様な知識を持つことが可能であるし、専門を極めることもまた可能。
各個人が研究によって蓄積したデーターやスキルを表現することも可能という、
超次元的な社会であることをあらためて脳内に自覚すること。
今のところ、インターネットを利用した私のこういった文章によって、
インターネット社会のポジティブな側面を説明というか紹介してみてはいるのだけれど、
問題点が在るような気がしていたので、これからはネガティブな側面を改行して説明ないし紹介してみる。
100%正しい、ということは、
学問の世界においても該当しないケースが存在しているし、
本当に歴史を極めて習得した様々なデーターと、紆余曲折や想定外を全てミクスチャーした経験によって、
最終的に出力される情報、といえども、100%に限りなく近いが、100%では無い。
ましてや、そんな時間的余裕も精神的ゆとりも脳内メモリーも肉体的強度も誇っていない人が、
私含め殆どだと思われる為、
各個人のコンディションによって能力均衡が保たれない可能性が存在する。
俺が一体、何が言いたいのか、ということですね。
ネットであろうが、リアルであろうが
情報が100%正しい保証が無い、ということです。
その信憑性を常に疑っていかないと、
時には事故につながったり傷害を負ってしまいかねない場合があるということです、
ただ、それを深く考え過ぎると、人間不信に陥ってしまうので、
目の前に現れた情報を、自分が信じるかどうかという判断については、
自分の精神性に頼って良いかと思います。
というわけで、
私は好きな音楽だったり映画だったり文章だったりは、
良いと思ったら、割と信じています。
それをもし、他の人も良いと感じていたなら、100%に限りなく近くなっていると言えるでしょう。
嘘や虚を演じていたり、残していたりしたところで、
最終的に跳ね返ってくるのは自分自身であります。
例:窃盗や殺生を行った場合、瞬間は甘美でも、最終的に後悔します。
ここまで書いたので、知識と経験により、私の100%に限りなく近い情報を一つ提供します。
現在の環境により、現役中学生と話をする機会があるのですが、
若い時は色々やんちゃなことをしたいという気持ちがあるのは存じております。
何故そういった気持ちになるのかについての分析は今回は致しませんが、
そういった行動が非行的にどうしてもなりがちで、しばしば世間や親にダメージを影響します。
ある女子中学生が、私に、
「刺青をいれたい」
と申してきました。
私は彫師でありませんが、
初めて刺青を刻んだのは、高校生の頃でした。
諸事情あって、どうしようもなくなっていた時代でした。
刺青、タトゥー、入れ墨、
言い方は異なりますが、全て同じことです。
歴史によると、日本では江戸時代から刺青の文化があったとされています。
外国では民族衣装や宗教によって、遥か昔から存在していました。
ピアス等も、同時に含まれています。
時代が流れていくと比較的、香具師、やくざの方々が入れているものと認識され、(特に和彫のものが)
イレズミ、イコール、ヤクザ、
のイメージに繋がりやすいのはその為です。
良く聞かれる、針を入れている時の痛さについてですが、
結論から言いますと、「耐えられる激痛」です。
痛覚については個人差があると思いますが、
針を肌に刺して、引っ掻いている傷付けている動作を行っている訳ですから、
相応の痛みはあります。
ただし、麻酔が必要な程の痛みでは無く、
1時間もすれば慣れてきて、さほど気にならなくなります。
個人的には施術している時の痛みよりも、
終わった後、傷が瘡蓋になって完治していくまで一ヶ月間、
痒くてどうしようもないのに、絶対に掻いてはいけないという状況の方が、
よっぽど生き地獄でした。
この時薬を毎日塗るのですが、「オロナイン」は痒みも抑えてくれるので御薦めです。
とりあえずその子には、
入れないほうがいい。
絶対に後悔しない自信があって、あと3年経って、
どうしようもならなくなったら、また相談しろ。
と言っておきました。
これからも私の経験に基づく100%に限りなく近い情報を提供してみたいと思います。