【関東大震災から102年】
(焦土と化した首都・東京)
間もなく防災の日。相模湾を震源に発生した関東大震災から102年目でもある。1923年9月1日の午前11時58分、南関東(東京)を未曾有の大地震が襲った。被害規模も甚大で死者・行方不明者は10万5,000人に達した。東日本大震災(犠牲者は約2万2千人)と比較しても、その深刻さたるや推して知るべしであろう。
この大地震には予兆があった。1921年の12月8日には茨城県南西部を震源にM7.0の地震が発生。翌1922年4月26日には浦賀水道付近でM6.8の地震があり、5月9日にも茨城県南西部でM6.1、さらに1923年1月14日にM6.1と大きな地震が相次いでいた。5月下旬になると房総半島沖から鹿島灘にかけて群発地震があり、6月2日にはM7.3と6.9の大地震が連続して津波まで引き起こしている。
地震だけではない。暴れ馬でケガ人や、夫婦喧嘩、子供の夜泣きといった当時では取り上げられることさえ珍しい話題が連日、新聞紙上を賑わしていた。それも後出しではない。ほんの❋数日前の出来事である。
❋(国会図書館にて、1923年8月23日から31日の新聞各紙記事より抜粋)
そして9月1日、西日本(九州地方南部)に上陸した台風が日本海へ抜けて新潟沖を通過した。朝から蒸し暑い。南関東各地は異様な積乱雲に覆われ至る所で雷鳴が轟いていた。
雲が切れた。初秋らしからぬ真夏の日射しが戻った。昼食の支度に合わせて火を炊かねばならない。阿鼻叫喚に至る轟音は釜戸に薪をくべるべく最悪の頃合を襲った。火を消す暇などまるでない。被害は有史以来最大となった。
東日本大震災から14年。まだ歪みは抜けきっていない。地震も火山噴火も頻発している。日本列島に安全な場所など一つもない。それも、一番心配なのは、やはり首都・東京ではなかろうか。
日本では、人、物、金が東京一極に集中する。首都圏には全人口の3分1が集積し経済規模たるやGDP換算で250兆円に迫る。しかも東京だけで120兆円に達し、これは総人口の1割で日本のGDP(約609兆円)の2割を稼ぎ出していることになる。1923年とは次元が違う。東京の崩壊イコール日本の終焉にも繋がってしまうのだ。
回避策は只ひとつ。脱出以外にはあるまい。それも地方移住などではない。あくまで遷都だ。政府省庁が動けば企業も動く。職場が移れば人も移る。人が移れば地方は活性化する。地方が豊かになれば、もう怖いものは何もない。東京なんてただの田舎に過ぎない。大地震の一つや二つで日本国はびくともしない。
かつて福島県の阿武隈地方は首都機能移転の最有力候補地だった。花崗岩に覆われた地形は頑強で、歴史的にも大地震で被災した形跡すらない。あいにく東日本大震災による原発事故で立ち消えにはなったものの、もし311さえなければ日本の首都(移転先)として決定していた可能性が極めて高いのだ。
ならば、もう一度、原点に帰って検討してみてはどうか。国会議事堂(首都機能)の移転は窮極の公共事業でもある。結果として、人、物、金の回帰に加え開発(除染)も進む。東京と新首都を結ぶリニア新幹線計画だって浮上するかも知れない。なにより国会議員が住むなら、そこはもう心配無用ということだ。