【○を射んとすれば○を射よ】

 ひと昔前のことだ。この季節になるや、「〇〇くん、お中元を有り難う」の挨拶から朝礼を始める立派な教師がいた。これを知れば他の親だって心中穏やかではない。仕方なく追随する。すると翌年からは「皆さ~ん、今年も色々なお中元を有り難う」に変わった。あまりの多さに誰から何が届いたかなんて覚えていないのだろう。自宅では、溢れんばかりの中元(歳暮)を隣近所に自慢していたというから、さすがに“先生”だけのことはある。

 取引先はどうか。個人ならいざ知らず会社や組織宛は無駄そのものにも思える。折角の心付けも総務か庶務止まりでその大半は担当者も知らぬままに処分されているのだ。報告があったところで、「〇〇様からお歳暮が届きました」のメール1件、メモ1枚では記憶にさえ残らない。恒例行事とはいえ、これにどんな意味があるのだろうか。

 一方、こうした効用も・・。かつて、プロ野球・ロッテの監督がバレンタインだった時代、上司の気配りが話題になった。それは監督自らがとった行為にある。選手のみならず、裏方さん、そしてその夫人から家族に至るまで、誕生日といった記念事には欠かさず花束を贈っていたという。人心掌握術は話題になり講演依頼が殺到したそうだ。

 〈中元歳暮市場の推移〉
 〈画像はネットから引用〉

(拡大基調にあるギフト市場にあって中元歳暮だけは減少傾向著しい)

 今年もまた、中元商戦の季節を迎えた。一時よりは減ったとはいえ、企業では取り引き先に、職場では上司に、個人は恩義からと、これまでと変わらず届けられてゆく。恩義ならまだいい。多くは見返りを期待した貢物なのだ。でも効果の程はどうだろう。貰う側からすればいつものことである。その数が多ければ多いほど、どこから届いたかなんて覚えてはいない。年賀状と同じで来なかった方が、どれだけ覚えていることか。

 贈答は本来、世話になったから贈るものであって、世話になりたいから贈るものではない。プロ野球は、その多くが裏方によって支えられている。バレンタインは講演で「采配は監督だが試合は裏方がいないと始まらない」と述べている。それは、スポーツやエンタメのみならず、社会のすべてに当てはまるのではなかろうか。

◆古来より『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』といったことわざがある。

 ならば、部下やその家族、支えてくれた方々への感謝、こちらの方がどれだけ有意義なことか。これならライバルはいない。鮮明に覚えてもらえる。組織を纏める上でも、効率良く職責を全うする上でも、これに優る手法はあるまい。取引先だって然り。担当者ではなく、その奥方にでも贈ってみては如何だろう。的は本陣にあらず。将を操っているのはどこだって『馬』なのだから。

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 【な〜んて宣ったところで巷の反応は・・】

 「部下やその家族にまで貢ぎ物をするなんて、プライドが許さんわ」

 「ならば、新人議員に10万円の商品券を配った、どこかの国の総理大臣はどうなるんかいな」

〈ウッシッシ!〉

 「オイラの場合、どうせ貰えるなら、コメより高級和牛がエエな〜」

 「・・・・🤣」

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 因みに、最も喜んでくれるのは、どこの誰より『年老いた田舎の両親』であることもお忘れなく。

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《余談》

【腑に落ちない暑さへの啓発】

 この季節になると不思議なことがある。『不要(不急)な外出を控え、クーラを活用して、こまめな水分補給を』といった啓発のことだ。そもそも、この暑い中、不要な外出なんてどれほどあるだろうか。建設や土木作業は言うに及ばず、郵便などの配達業務に営業活動と、どれもこれも必要不可欠なものばかりなのだ。通院だって然り。暑いから「早朝か夕方に」では予約すら出来ない。

〈画像はネット(気象庁)から借用〉

 水分補給に関してもそうだ。命綱である以上、欠かしてならないのは当然とはいえ、クーラの効いた部屋で、どれだけ喉が渇くだろうか。水分の取り過ぎだって健康にはよくない。強迫観念に駆られて過飲した結果、中毒症状に陥り呼吸困難や意識障害に至るケースもまた多いと聞く。だがこうした情報は表には出てこない。熱中症は、その90%が“屋内”で発症している。見方を変えれば人目に付きやすい屋外の方が安全なのだ。やはり最後は『自己責任で』といったところか。