市民講座の一覧を見ると最も多い講座のひとつに蕎麦打ちがある。嗜好品としての魅力なのか、それ以外に理由があるのかは不明ながら、とにかく多い。それも硬さを競うものばかり。コシの強さは必要かも知れない。好む者が多いのも確かだ。だがそれが全てだろうか。何か釈然としないのだが。
〈麺類に於ける日本人の嗜好〉
(画像はネットから借用)
少し前のことだ。一家揃っての信州巡りの帰途、関越道にあるサービスエリアに立ち寄り、そこで日本食レストランに入った。何せ、ショーケースに飾られた食品サンプルは見事でしかない。どれもこれも絶品を予感させる。年老いた両親は天ぷら蕎麦を所望。食欲旺盛とはいえ、年齢相応なのか、どちらも総入れ歯である。
待つこと10分程だったろうか。テーブルには美味しそうな天ぷら蕎麦が運ばれてきた。待ってましたとばかりに箸を入れる。だがどうも様子がおかしい。好き嫌いはないはずなのに顔が強張っている。聞けば「とても噛めない」んだとか。試しに摘んでみると確かに硬い。あたかも輪ゴムを噛んでいるかのように。両親だけではない。蕎麦を頼んだ者全てが残してしまったのを思い出す。
長年、日本人は想像力豊かな民族であった。きめ細かなサービスも群を抜いていた。そう『隙間』を埋めることにも長けていたのだ。世界を席巻した『メイドイン・ジャパン』などは最たるものであろう。それがどうだ。近頃では中国や韓国にさえ勝てない。身近な製品であれ『原産国』の多くは○○なのである。しかも、メイドイン・ジャパンであれ問い合わせから修繕依頼までが、その受け手はコールセンターばかり。効率化を追い求めた結果とはいえ、サービスの低下は如何ともし難い。
やや掛け離れているようではあるが蕎麦だって同じだ。古い統計で恐縮ながら、2007年の調査では、硬い(コシのある)麺類を好む者が62%、軟らかさを好む者が30%、どちらでも構わないが8%だった。20年近く前でさえ約3割が軟らか派であった。それが今、空前の高齢化社会である。若者だって誰もが硬さを好むわけではない。どうして軟らか麺を売りにしないのか。そこには大きな市場が眠っているのに。
バブル崩壊を経て大きく舵を切ったニッポン。想像力より、マニュアルの遵守が求められた。それも効率を優先する欧米思考である。ニッチを相手にしたのでは商売にならない。考える時間すら無駄でしかない。市場性豊かなものだけがターゲットになった。結果はどうなっただろう。失われた30年と言われる如く低迷の一途にある。来日観光客からは「ラーメンが10ドル(1500円代)で食べられるなんて嘘のようだ」と喜ばれているとか。それも、これまで低開発国と信じて疑わなかったASIAN諸国からやって来た観光客の感想だから、もう驚くしかない。
(停滞する日本経済を尻目に急成長を続ける東南アジア主要各国。最早、日本に追いつき、追い越すのも時間の問題にある)
この先、一段と進む少子高齢化が、この国を蝕んでゆく。人手は足りない。頼みの外国人も来ない。本国より安い賃金に見切りを付け在留資格を有する外国人までが帰国するのも時間の問題にある。日本の若者だって同じだ。この先、より豊かな生活を求めて海外移住を選択するだろう。これでは空洞化どころではない。日本列島そのものが限界集落と化すのだ。
たかが蕎麦も、されど蕎麦。日本式経営の原点でもある顧客第一主義はもうない。あるのは効率を追及した欧米型の『大量生産・大量消費』だけになってしまった。長年、世界(の隙間)市場を席巻したメイドイン・ジャパンが、このところ消えて久しいことからも推して知るべしであろう。深刻な人手不足である以上、仕方ない面はあるものの、大樹を追い求めることに徹して枝や葉を切り落とした付けは限りなく大きい。蕎麦打ちと結び付けるには、あまりにも整合性のない論理ではあるが。
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《余談》
【続、静けさは地震の前兆】
今年もまた、年末にかけて増え始めた地震。この8日には青森沖を震源にM7.5の地震があった。八戸では震度6強を観測している。12日にもM6.7の余震で津波注意報が出された。幸い大きな(人的)被害は免れたものの、まだ分からない。北海道・三陸沖後発地震注意情報だけではない。既載(12月5日/静けさは地震の前兆)の通りよもやの地域を襲うケースが多々あるからだ。
奇しくも地震活動は伊豆諸島にも及んでいる。12日夕刻には茨城県南部を震源とする地震によって首都圏でも最大震度4を観測した。関連性は不明ながら小さな日本列島のこと。何らかの形で伝播しても不思議ではない。富士火山帯の鳴動は関東地方にも関わる。首都圏を襲った大地震の多くが伊豆地方の鳴動を起点にしていることが多いからだ。アウターライズ型地震も心配だが(全国的に)静かな地域からも目を離さないでいて欲しい。なければないで万々歳なのだから。



