最近、度々取り上げられる高齢者の住居問題。現在、少子化もあって単身者世帯が急増している。ことに高齢者ほど多い。老齢夫婦も何れは一人になる。自宅であれ、維持管理や金銭的な事情もあって、このまま住み続けられるとは限らない。そこで、アパートを探すのだが、これがなかなか決まらない。大半は「65歳以上の独り者お断り」なのだ。それも「40歳以上お断り」まであるではないか。家賃不払いや孤独死の心配はあるにせよ、どうも解せない。我が国の人口構成は65歳以上が4割近くを占める。生涯単身者も増えるばかりにある。これでこの国は大丈夫なのだろうか。
一方、コロナ渦で自粛ムードに覆われる中でさえ、お一人様『歓迎』の広告があった。さすがに豪華客船で行く世界一周の旅だけはなかったものの、国内ツアーからレストランの予約まで、この2文字が残っていた。バブルの頃なら、お一人様『お断り』が常であり、単身者は団体の一員に加わる以外、その行動範囲は限られていた。少子化の副産物とはいえ、これが何を物語っているだろうか。
かつて、適齢期を過ぎた単身者は独身貴族と呼ばれた。家族がいない分、自らに使える資金も多い。優雅な自由人の象徴でもあった。それも今は昔、貴族ではなく“餓族”とさえいわれている。そう、貧困社会の象徴であり、食えない人種の代名詞でもあるのだ。お一人様歓迎も、縮小する市場での顧客獲得作戦の一環であって、窮余の策に過ぎない。
国立社会保障研究所がまとめた世帯数の将来推計によると、2040年には65才以上で一人暮らしをする高齢世帯が全体の40%になるという。しかも、団塊ジュニアが65才に差し掛かることから、この数字を更に上回る可能性が高い。高齢者の半数が無縁社会に身を置くことになるのだ。
我が国の高齢者(65才以上)人口は(2025年9月15日現在)3619万人。子供との同居率をみると、昭和55(1980)年の約70%から、平成27(2015)年には39.0%まで下降している。単独世帯又は夫婦のみのでは、昭和55(1980)年に合わせて3割弱であったものが、平成27(2015)年で56.9%、令和6(2024)年には64.5%まで上昇している。
(65才以上のいる世帯)
一人暮らし高齢者(65歳以上)は男女ともに増えるばかり。昭和55(1980)年に男性約19万人、女性約69万人、高齢者人口に占める割合は男性4.3%、女性11.2%だったものの、平成27(2015)年には男性約192万人、女性約400万人にまで増加。高齢者人口に占める割合も男性13.3%、女性21.1%と急拡大している。令和6年では合わせて900万人を超え1000万人に達するのも時間の問題にある。
(65才以上の単身高齢者世帯)
(総務相、国勢調査に基づく)
これだけではない。今の日本は更に深刻な問題を抱える。生涯未婚率の増加だ。2020年の国勢調査によると、50才まで一度も結婚をしていない割合を示す生涯未婚率は、男性28.25%、女性で17.85%だった。総数では男性が1663万人、女性が1309万人の計2973万人である。
上のグラフをご覧いただきたい。2020年以降の改善を前提にしてさえ、2035年には男性の3割が、女性の2割が生涯の独身を見越している。現実に改善する要素は何もない。ならば、5年で4%の上昇率から、2035年には2人に1人が生涯を独り身で通す時代になるのだ。
日本では今、財源難と人材不足から、医療も介護も「在宅で」を推し進める。でも単身者に家族はいない。手術入院や施設への入所に当たっては身元保証人の設定が絶対条件である。保証人に成り得る親族や身寄りがいなければ、余程の大金持ちでない限り、病気治療のみならず介護だって受けられない。慈善団体のキャパにも限界がある以上、大半は見捨てられてしまうだろう。
最期は孤独に苛まれて人生を終える。荼毘に付されることもない。あと10年も経たずして火葬場は2ヶ月待ちが常態化する。それも身元引き受け人がいての話だ。如何に互助会に入っていようとも身寄りのない者は後回しにされる運命に。そう、墓じまいが話題になるが、無縁仏にさえなれないのだ。
少子高齢化を助長する、もうひとつの懸念材料。出生率の低下に加えて急拡大する生涯独身者の数々。これでは人口の下げ止まりどころではない。対象の喪失は予測を大きく上回る人口の急減さえ覚悟せねばならない。出産世代の半減は出生数の半減をも意味する。非正規の拡大が貧困層を生み、機を逸した(労力の)市場解放が国力を衰退させるなら、この付けは限りなく大きい。
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〈そして月日は経ち〉
203x年、街中は高齢者で溢れた。それも大半が独り身である。家族はいない。親戚もいない。保証人がいないことから入院は断られ介護を受けることさえ出来ない。かつては、保証代行なるものがあって身寄りのない者を救済してはいたが、これとて無残に潰えた。何せ、全体の過半数が高齢者で、それも単身者ばかりではどうにもならない。とても支え切れないのだ。
最早、都会の主役も若者ではない。段ボールハウスで過ごす『ストリートシニア族』に取って代わった。動ける間はまだいい。健康でも害せば悲惨な最期を迎える。誰しも生きることで精一杯なのだろう。看取る者さえ誰一人としていない。そこには群れ騒ぐカラスの鳴き声だけが虚しく響いていた。
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これは創り話ではない。誰がこうならないと断言出来ようか。人手は足りない。その前に財源もない。今回のコロナ騒ぎや防衛費の増強で使い果たしてしまっている。外国人は来ない。就労目的で来日していた外国人も本国と逆転した所得水準からほぼ全員が帰国することに。こうした中、日本人(若者)の海外流出だけが日を追って増え続けてゆく。永田町(や霞が関)のセンセイ方には、ただ単に綺麗事を並べるだけでなく、こうした“現実”にも目を向けて欲しいものだが。



