〈内閣総理大臣に決まった高市早苗〉

(画像は日経ネットから借用)
第104代内閣総理大臣は高市早苗に決まった。紆余曲折はあったものの、新たな助っ人(維新)の支援もあり、我が国初の女性宰相が誕生したことになる。だがこれで順風満帆にいくかどうか。敵は野党だけではない。世界的な右傾化もあって、まだまだ予断を許さない。支持者からは、これまで以上に過激な思考を求められるかも知れないのだ。この先には一体、何が待ち受けるだろうか。
愚生の居住地は某大学の隣にある。少し前のことだが、ここの学生数人と話す機会があった。聞けばアルバイトの途中だという。途中とは複数掛け持ちの移動時間らしい。複数のバイトをこなして就寝は深夜2時過ぎだそうだ。しかも、授業は休まず、部活までこなすというから驚く。
「海外旅行の計画でも‥」の問いには、「とんでもない、授業料と生活費の捻出でいっぱいいっぱいっすよ」である。球界でも(数年前の)巨人軍ドラ1の吉川尚輝は、アルバイト優先で学業と部活を両立し、プロ入りを果たしたことで話題になったが、いずこも同じようだ。
ついでに政治への関心についても尋ねてみた。「選挙はいくの?」には、案の定「バイト休めないし」と返答される。「最近の大学生は大人しいのか無関心なのか学生運動もしなくなったな」には、「そんなことないっすよ。少しはいますけど、やつらは親からの仕送りだけで贅沢しているブルジョア階級のガキばっかしで、とても付いていけないっすよ」である。ここで我に返った。全てが真逆なのである。
昭和40年から50年代にかけて、この間に学んだ世代は、まだ貧しい時代だ。社会への不満も鬱積する。カール・マルクスを読み漁り科学的社会主義へと傾倒してゆく。学生運動も大学生は言うに及ばず高校生までが多数参加していた。変革(平等)を求めるウネリは反戦から社会改革、そして体制打破へと全国に拡がっていった。
だが実際はどうだったか。彼(女)らの大半は親からの仕送りで生活(就学)していた。アルバイトはしても、その多くは遊興費が目的であった。自活型は、いても“苦学生”と呼ばれ、少数派でしかなかった。兄弟姉妹の5人や6人が当たり前の貧しい時代にあって“苦学”せずに就学出来ていたのだ。
それが今、貧困の話題が尽きない。奨学金なしには2人に1人が大学進学は叶わないという。結果、学生時代はアルバイトに追われ、就職すれば教育ローンの返済に追われる日々。倒産やリストラにでも遭えば、もう後はない。非正規ではとても食えない。年老いた両親や祖父母を抱えて路頭に迷うことになる。
大学生だけではない。中高生でも自身のみならず家族のために働き小学生の新聞配達までが復活しているとか。大学進学率ではイランやモンゴルにも抜かれ、高校進学率でも下がり続ける。子供の貧困率たるや(一時)16.3%にも達して小学校にさえ通えない児童すら増えつつある。最近では、日本人からみて貧しい国でしかなかったAA諸国からも、「日本の貧しい子供達のために」と義援金が届くというから情けない。エズラ・ヴォーゲルのジャパン・アズ・ナンバーワンも遠い過去の幻影になってしまった。
明治から昭和と日本では貧しい時代が続いた。子沢山の時代でもある。生計は、長子から順に幼くして働き、その稼ぎによって支えられてきた。貧困から脱出する近道は“軍人“である。衣食住タダで給料まで貰える。だから「大きくなったら兵隊さんになるよ」が定番だった。それも、表向きは「お国のために」でも、内心は「母ちゃんを楽にしたいから」ではなかったろうか。
そして高度成長とバフルを経て再び混迷の時代へ。少子高齢化による弊害は深刻になるばかり。急増の高齢者に反して出生数は1~2世代ごとに半減してゆく。増える急患に消防は追い付かない。蔓延する高齢者犯罪に警察は対応できない。若年層の涸渇著しく、署員数を維持する手立てすらない。
例外は自衛隊であろう。その気になれば禁じ手を繰り出せる立場にある。徴兵制のことだが、これには大きなハードルをクリアせねばならない。憲法だけではない。何せ、このところの少子化(出生数)は尋常ではない。一時の4分の1にまで落ち込んでいるのだ。しかもこれとて通過点に過ぎない。瞬く間に、30万、15万人、、へと縮小していく。こうした中での徴兵制は各分野に深刻なダメージを与える。人手を奪われることで全ての産業が崩壊の危機に直面してしまうのだ。更にはこうした問題も。
右傾化は日本だけではない。世界的な風潮でもある。でも何かが違う。諸外国は国粋主義に傾倒するにつれ士気も高揚する。ドイツでさえ徴兵制復活に門戸を開いてしまった。日本の場合はどうか。憲法を盾に誰も言わない。最大の違いは意識であろう。排外主義を唱える以上は義務を負う。なのに『自分の国は自分で衛る』なんて話は一切聞かない。何より『有事の際には志願して戦うか』との問いに、欧米先進国では(排外主義を支持する国民の)80から90%が「YES」と答えるのに対して、日本の場合は2%にも満たないとか。
世相迎合で「そうだそうだ!」と叫ぶだけの排外主義賛歌の国ニッポン。幼稚園は「園児の声がうるさい」からと移転を求められ、盲人用信号機も「メロディがうるさい」ことを理由に撤去(消音)を余儀なくされている理不尽な現実。風潮に従うだけでは排外主義の本質さえ見誤ってしまう。この国に関する限り、右傾化は『ファッショ』でなく、ただの『ファッション』なのだろうか。ある意味、健全なのではあるが・・。

