(1)廃屋で溢れる日本の近未来


 203X年、この国は廃屋で溢れた。地方だけではない。大都市であれ朽ち果てた家々によって埋め尽くされている。高層住宅だって同じだ。タワーマンションなどは最たるもので砂上の楼閣でしかない。明かりが消えた佇まいから醸し出される生活感のなさは、あたかも軍艦島のようでもある。人々はどこへ行ってしまったのだろうか。


 声がする。どうやらうめき声らしい。僅かな者だけが旧市街地の片隅で生き延びてはいるものの、どこか生気がない。病に冒されている年寄りも多く必死に助けを求めている。でも悲しいかな誰も来ない。たまに巡回する救護隊もいるにはいるが、首に下げたIDカードで身寄りのない独り身と知るや、そのまま放置されてしまうのだ。

 財政は破綻し医療や福祉の制度も過去の遺物に成り果てている。富裕層は早々に国を捨て海外へ逃亡。若者も新天地に活路を求めた。2019年の法改正によって入国した就労目的の外国人も、国力の衰退と一ドル200円に迫るような円安には堪えられず、もう誰一人として残っていない。日本列島全域が絶海の孤島であり、姥捨山になってしまった。この国に未来はあるのだろうか。


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(2)増え続ける空き家の実態


〈日経紙(5月1日)より〉

 この4月、総務省が公表した令和5年版の「住宅・土地統計調査」によると国内の空き家総数は約900万戸だった。前回の調査(2018年は849万戸)に比べて約51万戸の増加。空き家率(13.8%)も上昇の一途で、これは住宅総数(6521万戸)の7軒に1軒が空き家ということになる。都道府県別では(1)和歌山県21.2%(2)徳島県21.2%(3)山梨県20.5%(4)鹿児島20.4%(5)高知県)20.3%(6)長野県20.0%と続き、最小は(47)沖縄県の9.3%である。


《空き家数(率)の年次別推移》

 (総務省『住宅・土地統計調査』より)


 2030年代になるや団塊世代も急速に欠落する。この世代は総人口の中でも最多層にある。戸建てに住む割合も高い。これは、その多くが空き家として加わることを意味する。ならば全体(6521万戸)の約半数が空き家になっても不思議ではない。しかもこれで終わりではない。人口が減り続ける限り延々と拡大するのだ。見渡す限りの廃屋が如何に恐ろしいことか。


 〈65才以上人口の推移〉



 (総務省データより)


 家屋数が世帯数を上回ったのは令和元年のことだ。こうした空き家(900万戸)もまだ序章に過ぎない。近い将来、2000万戸、そして3000万戸の空き家が現実味を帯びる。市場は需要と供給のバランスで成り立つ。ならば不動産の価値も下がるばかり。これからの時代、不動産は資産でなく、所有してはならない「究極の負債」に名を変えるのではなかろうか。


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(3)そして、人が消え、街が消え、国が消える


 日本人の平均年収は韓国に抜かれ中国の極東部にも追い越されてしまった。賃金水準たるや、メイドとして北京や上海で出稼ぎをする、フィリピーナにも及ばない。そして、タイやベトナム、インドネシアといった国々が後に続く。2030年代の後半には、インドやパキスタン、バングラデシュにも並ばれてしまうだろう。現在、外国人就労の主力でもあるネパールだって例外ではない


 ある調査によると、来春卒業の大学生の内、約5万人が直接外国での就職を希望しているという。しかも年々、急増中とか。少子化にあって、こうした若者までが出て行ってしまうのだ。出生数50万人割れが危惧される中、これが10万、20万と拡大したら、どうなることやら。冒頭の愚話が現実になるのではなかろうか。


 行き先は米国や中国、そして中東やASIAN諸国などである。理由は言うまでもない。高い報酬にある。かつての違法就労大国はどこへやら。明治から大正にかけての一次、戦後の二次に続き、豊かな生活を夢見る日本人が大挙して海を渡る『第三次海外移住ブーム』が到来しようとしているのだ。外国人は来ない。人口急減の社会にあって加速度的な流出にも苛まれる我が国の残酷な現実。


 空き家の増加は少子高齢化や非婚率の問題だけにとどまらない。こうした事情も加味されてゆく。ならば3000万戸でも収まるかどうか。富裕層、若者、そして外国人までが去り行くニッポン。残るのは貧しい高齢者ばかり。それも身寄りのない単身者だ。これでどうして国としての体裁を保てようか。


〈映画、楢山節考より〉
(画像はネットから借用)


 深沢七郎の物語(楢山節考)では我が子に背負われることで姥捨山まで辿り着く。しかし、これからの高齢者に実子はいない。2035年には2人に1人が生涯を独り身で通す時代になるのだ。ならば姥捨山に行くことさえできない。もしや廃屋で溢れた現世そのものが姥捨山なのだろうか。