〈大相撲春場所、千秋楽/尊富士vs豪丿山〉

(画像はサンスポから借用)


 大相撲春場所は尊富士が賜杯を手にした。それも只の賜杯ではない。初土俵(序ノ口)から所要9場所での新入幕は常幸龍以来であり、11連勝も大鵬に並ぶ。何より(新入幕の)優勝は110年ぶりである。しかも足首の怪我を押しての出場であることから、ただただ驚くばかり。先ずは「メデタシ、メデタシ」といったところか。


 だが視点を変えればこうした見方も・・。 


  ロサンゼルス五輪(1984年)の柔道無差別級決勝は山下泰裕とエジプトのモハメド・ラシュワンによって争われた。 この決勝の前、山下は右足に肉離れを起こしていた。とても戦える状態ではない。誰もがラシュワンの勝利を確信した。しかし、ここで神風が吹く。ラシュワンが痛めている足元を攻めないのだ。結果、一瞬の隙を衝いた山下が横四方固めで勝利する。


〈ロス五輪、柔道無差別級決勝〉
(画像はネットから借用)

 【1984年、ロサンゼルス五輪柔道男子無差別級決勝で日本の山下泰裕と対戦した、エジプトのモハメド・ラシュワン。その戦いぶりから、2019年春の叙勲では旭日単光章を受章している】


  この試合では、「決して足元を攻めなかったわけではない」とする後日談はあるものの、ラシュワンの戦いはフェアプレイスの象徴であり、スポーツマンの鏡であるとして称えられることになる。道徳の教材にもなったことから覚えている方も多いと思う。 


〈2001年夏場所の千秋楽「貴乃花vs武蔵丸」〉
(画像はネットNumberから借用)


  こうした“美談”は、やはり大相撲に多い。とりわけ「痛みに耐え良く頑張った」の名言を残し小泉純一郎自らが総理大臣杯を渡した貴乃花と武蔵丸の一番が記憶に新しい。貴乃花は右膝に重症を負っていたのだ。とても戦える状態ではない。歩くのさえやっとに見える。それでも“攻め手のない”武蔵丸を鮮やかな上手投げで仕留めてしまった。武蔵丸の心情たるや如何ばかりだったろう。 


  そもそも、格闘技には人其々、得意技がある。押しに徹する者、引き技に長けている者、投げ技に自信がある者、足技を駆使する者など様々である。それがどうだ。対戦相手の負傷でこれらが使えないならどうなることやら。相手を憚ってそっと立たねばならない。無論、ぶちかましなど出来ない。投げ技もダメ。足を攻めるなんて以ての外である。如何に怪我人相手であれ、これでは勝てない。相手に身を委ねるしかないなら、その前に(勝負は)決着しているようなものだ。 


  スポーツマンシップて何だろう。フェアプレイって何だろう。負傷を押して出場することなのか。怪我人に配慮して攻めないことなのだろうか。歴史に残るアスリートは怪我を理由にしない。(出場する以上)怪我自体をひた隠しにさえする。弱点を突かれない為だけではない。相手に「負担をかけまい」とする配慮からである。これぞ、フェアプレイであり、スポーツマンシップではなかろうか。 


  因みに、豪ノ山の場合はどうだったか。確かに攻めてはいる。だが、どこか元気がないように見えたのは愚生だけだろうか。格闘技に怪我は付き物。それでも出場することに異議を唱えるつもりはない。立派以外の何ものでもあるまい。だが、攻めないのが『フェアプレイ』なら、辞退(休場)するのも『フェアプレイ』であり『スポーツマンシップ』であると思うが・・。


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【裏で蠢く、もう一つの大相撲】


〈次に追放されそうな親方は誰か〉


 宮城野部屋が閉鎖に追い込まれた。これまでの所業から仕方ない面はあるにせよ、どこか釈然としない。同様な事件はいくらでもあるのに。それも親方自身の暴行事件であり、あの貴乃花でさえ弟子から訴えられていたではないか。やはり素行だけではない。改革を前提とした野望だけは絶対に認めないとする旧態依然とした体質にあるのではなかろうか。白鵬の場合、ファンサービスや白鵬杯といったイベントに長け、その力量差は歴然としている。 このままでは、新規入門者の多くが宮城野部屋に奪われてしまうだけでなく、角界そのものまで支配されてしまうのを危惧した追放劇と考えても不思議ではない。


 貴乃花でも同じだろう。彼も改革派の急先鋒だった。タニマチ制度を廃止して、ファンクラブに切り替えようとまでしていた。これでは御祝儀が貰えない。資金源が絶たれてしまう。しかも(申告しない限り)無税である。こんな美味しい収入源を失ったのでは堪ったものではない。だから『貴の乱』は追放する格好の材料だったのだ。そもそも、親方自身の暴行疑惑以外にも、土俵へのつば吐き事件や弟子間の乱闘、女性問題に親兄弟との確執など、ご乱行は数え切れないほどあるが。 


〈改革の旗頭でもある二所ノ関部屋〉
(画像は公式ホームページから)


 ならば次の標的は誰だろう。二所ノ関親方(稀勢の里)かも知れない。土俵を二つにしただけではない。栄養管理に理学療法の活用、そして、ハイテクを駆使した稽古の動作解析など、これまでの部屋運営を逸した手法は枚挙に暇がない。なにより、マスコミから『未来の理事長』と持て囃されている。伝統の踏襲を最優先とする古き良き?面々が、こうした手法を認めるだろうか。出る杭は打たれる、の如く、また奥の手を繰り出されて失脚に追い込まれないことを願うばかりだ。