阪神淡路大震災から29年、また能登半島付近を震源に悲惨な地震が起きてしまった。事前調査では、何れも震度6弱以上の揺れに遭遇する確率は2%未満の地域であり、これは千年単位で発生する地震に見舞われたことを意味する。この日本、未知の断層も多く、まだまだ予断を許さないということか。

 こうした中、支援活動も拡大している。だが問題も。東日本大震災でもそうであったように、なんと『ゴミ』が多いことか。震災ゴミではない。支援物資のことだ。能登の被災地にも、薄汚れた衣類のみならず、2019年で賞味期間が切れている食材までが送り付けられているとか。あの震災(311)以降、当地にも大量の不用品が届き、その処理に往生したのを思い出す。

 今や戦前ではない。貧困からの生活苦と物資不足に喘いだ戦後の混乱期でもない。如何に困ろうと、悪臭漂う古着や、腐りかけた食材など、どうして欲しようか。送るなら、ニーズを察知した上での未使用品であり、それも出来る限り新しいものを優先すべきかと思う。被災地はゴミ捨て場ではないのだから。

 更には、こうした問題もある。ボランティアのことだ。バブルも終わりに差し掛った頃からだろうか。日本でもボランティアといった言葉が日常的に使われるようになったのは。当然のことながら、やっと本来の姿に近付いたのは言うまでもない。でもまだ何処かおかしい。ボランティアの意味を履き違えている者が如何に多いことか。

〈ボランティアの模範とされた尾畠さん〉
(その献身的な姿勢からスーパーボランティアの異名も/日経より借用)

 長年、日本人は村社会の中で育った。誰もが貧しい。助け合わねば生きてはいけない。苦難は全員の力で乗り越えなくてはならない。長老は敬うだけではない。知恵が尊ばれた。そして子から孫へと引き継がれていった。

 高度成長が社会を変えた。バブルは人間性まで変えてしまった。都市化は過当競争を基本とし、他人を思いやっていたのでは、とても生きてはいけない。弱肉強食の時代が到来した。勝ち組と負け組に振り分けられ、勝ち組には未来が、負け組には絶望だけが待ち受けていた。

 バブル崩壊では企業の連鎖倒産が相次いだ。名だたる大企業であれ例外ではない。仕事がない。生活は困窮を極めた。こうした最中を阪神淡路の大震災が襲った。助け合う大切さに気付いたのだろうか、支援の輪の広がりとともに、ボランティア活動も根付き始めた。

 いうまでもなく、ボランティアとは『自己犠牲による奉仕』である。それを、なぜか履き違える者がまだ多い。介護施設では、頼みもしないのに押し掛けて見聞きに耐えない貧芸を披露し、「来てやっているのにお茶も出ない」といった不満だけならまだしも、法外な謝礼まで要求するケースがあるというから呆れるやら情けないやら。

《《ボランティアとは》》

◆『原則として、自発性、無償性、利他性、先駆性が求められる。但し、無償性に関しては、1980年以降、柔軟に考えるようになった。大型イベントなどの“公募”に限り、交通費や食事代といった名目で、その一部を負担することもできる。選挙活動の支援や、オリンピックでの通訳などがこうした部類に入る。自発性(善意や善意の押し売り)は、この範囲ではない』

(東日本大震災ボランティア風景)
(画像はネットから借用/本文とは関係ありません)

 被災地ならどうだろう。同じ思考で来られたのでは堪ったものではあるまい。上記の如く『自発性=善意』は無報酬を原則とする。だから見返りを求めること自体が御法度でもある。にも関わらず東日本大震災や豪雨被害で当地に入ったボランティアでも飲食や心付けなど見返り要求はゼロではなかったと聞く。相手の分まで持参するからボランティアなので』あって、これなら衣食住付きのお客さんになってしまう。

 かつて、岩手県出身でJリーグ鹿島アントラーズの小笠原選手が、このように語っていた。

「食料や衣料を持参したところで地元の市場を奪ったり“迷惑”になったのでは意味がない」と・・。

 炊き出しも、場所や状況によっては自己満足でしかなく、現地の消費を奪ってしまうかも知れない。古着などは最たるもので、ここぞとばかりに処分に困っている物を押し付けされたのでは堪ったものではない。これではゴミの不法投棄と同じで迷惑この上ない代物なのだ。当地でさえ、2011年に届けられた衣類は、その殆どが使われぬままに焼却処分されている。武士は食わねど高楊枝ではないが、いかに苦しくとも“芳香漂う”パンツなんて誰もはきたくないということだ。

 支援活動は難しい。ことにボランティアはそうだ。良かれと思ったことが結果として迷惑になることもある。やはり自己満足ではいけない。廃棄物(不用品)の押し付けなど犯罪に等しい。「お茶の一杯も出ないのか」では資格すらない。邪魔者以外の何ものでない。基本は弱者の身になった“献身”が全てなのだから。