景気は良いのか悪いのか。巷の指標(企業の好決算)に反して増え続ける不幸な事件の数々。母子家庭の就学率低下のみならず貧困による餓死までが紙面を賑わす。日本人「総中流」は昔ばなし。今や、貧富の差は拡大の一途で、完全な2極化の時代に入ったようだ。
 
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(増えるばかりの貧困層)

(この数年でやや回復したとはいえ、OECD加盟国の中では最下部に位置する)


(日本よりも貧困率が高いのは、ブルガリア、エストニア、ラトビア、メキシコ、イスラエル、ルーマニア、コスタリカの7か国しかない。今や世界第二位の経済大国も昔話。この30年で『発展途上国』に成り下がっている様子が見て取れる。

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 子供の頃、祖父母や両親から、よくこんな話を聞かされたのではないだろうか。

 「昔は、そりゃー大変だった。戦時中は食べるものなんかありゃしない。終戦になっても、お金がないから学校にさえ満足に行けない。尋常(小学校)出たら汗水流して働いて仕送りしたもんだ。それに引き換え近頃の若いもんは‥」

 それが時を超え再び現実になった。

〈1983年放送のTVドラマおしん〉
(画像はネットから借用)

 過日の地方紙(西日本新聞)によると、九州のある小学校では、生徒が下の子を背負って登校しているという。これは、あのTVドラマ“おしん”そのものではないか。母子家庭で生活は貧しい。僅かな学費や給食費さえ払えない。それも一人ではない。どこの学校でも、こうした子供は増えるばかりだそうで、世は正に明治から昭和20年代にかけての再来である。

 街を歩けば古物商(リサイクルショップ)が目につく。家具に家電、衣類に書籍と、なんでもある。バブル期までは中古車に古本ぐらいなもので、カネ持ち比べが蔓延する世の中にあって、ほとんどは見向きもされない業態であった。それが昭和30年代を彷彿させる如くに見事に復活を遂げている。

 モッタイナイ文化の醸成には、この上ないことだ。無駄の排除のみならず廃棄物の軽減にも繋がる。だが内実はまるで違う。貧困社会の進捗した結果に他ならない。

 中国人による爆買いも、やや落ち着いたかと思いきや、まだいる。中高年富裕層に遺る見栄はり族のことだ。なにせ高度成長とバブル期の悪霊に憑り依かれているから始末が悪い。買い物三昧、棄て放題の堕落社会を謳歌して、本当の貧困を知らない。だから、リサイクル品を買い求める庶民をよそに、高級ブランド品の、バカ(爆)買いを継承する。経済への多大な貢献は否めないとしても、なにか釈然としない。

 現在、大学生の過半数が奨学金に頼るという。即ち、多額の借金を抱えたまま社会人になることでもある。後々の貸し倒れや自己破産が問題になるが、団塊以降の中高年世代に、どれだけ奨学金で大学に行った者がいるだろうか。高度成長といった追い風はあったにせよ、大多数(約87%)は親からの仕送りであり、アルバイトも、かなりの頻度で遊興費だったではないか。進学率だってあまり変わらないのに。奨学金とアルバイトだけで就学する近年の若者とは大きく乖離してしまっているのだ。

 団塊や高度成長世代も苦難の時代に変わりはない。だが、物心付いた頃には電話が普及し、そしてメールになった。だから自筆の手紙なんて先ず書かない。まめにラブレターでも書いていたならともかく、大半は自筆で近況を伝えた記憶すらないのではなかろうか。最近の子供逹は手書きに回帰している。部活人気も書道部が一、二位を争う。だから「今の大人は漢字を知らない」と嘆くそうだが、愚生を筆頭に、あながち的外れではあるまい。

 歴史とは日進月歩で培われるもの。日本人は今、人口減少に社会的後退と、有史以来初めて時代を逆走する世界で唯一の民族ともいわれる。だが悪いことばかりではない。かつての日本も貧しさから這い上がった。いや、貧しいから発展した、といっても過言ではない。快楽は堕落しか生まないが、貧しさからは向上心が芽生える。そして人の優しさを知り温もりも覚える。先人がそうであったように、貧困も天の恵みであり、この国を蘇生する上では格好の活力源なのかも知れない。

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《余談=矛盾》

〈冬なのに・・〉
〈・・まだ秋の名残りが〉

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▶してはいけない自慢話、其の一◀

《ん? 戦後の高度成長は我々が頑張ったから??》

 最近、事あるごとに聞かされることがある。「この国の経済発展は我々が築いた」といった自慢話のことだ。そして「今の若者は・・」と続く。でもどうか。これは、団塊世代を筆頭にした昭和20年から30年前半生まれの会話だが、どうも腑に落ちない。高度成長は昭和30年から40年代のことである。この時期、多くはすねかじりの学生であり、まだ最前線にはいない。いても20代半ばでしかない。なのにどうして「この国は・・」なんて偉そうなことが言えようか。年功序列全盛の時代にあって、せいぜい“雑用係”でしかなかったであろうに。

 こうした世代が中枢に上り詰めたのは早くとも昭和から平成(1980年後半から90年代)にかけてである。そう“バブル崩壊”以後であり“失われた30年”の真っ只中なのだ。戦後の高度成長は、明治・大正・昭和(戦前生まれ)の世代が血の滲むような努力をし、そして築き上げたことに疑う余地はない。ならば、「我々が築いた」のではなく、「我々が壊した」方が正解になってしまう。これでは墓穴を掘る以外の何物でもない。やはり『自慢話もほどほどに』といったところか。あくまで自戒の念を込めての話ではあるが・・。