スキャンダルに揺れる永田町。今度は財務副大臣(神田憲次)である。それも、2013年以降、固定資産税の滞納から計4回に渡って差し押さえを受けていたとか。財務省は税を管理する最高機関でもある。それだけではない。本業が税理士というから驚く。一体、どんな仕事をしていたのだろうか。実は“貧困”で金がないのか、それとも横領(脱税)の常習犯なのか、はて?? 前者なら国会議員にはなれないと思うが。
かつて、この貧困問題を争点にした国政選挙があった。自民党はアベノミクスの成果を強調し経済成長を一段と加速させることでの解消を公約に。民進党は、格差の拡大や、貧困によって増え続ける30、40代の非婚問題などを取り上げ、アベノミクスの失敗を追及する。
ある意味どちらも正論かも知れない。だが不可解な点も多い。安倍、岡田のご両人とも貧困を知らない。安倍総理は代々、政界のサラブレッドであり、岡田代表はイオングループ総帥の御曹司である。100円ショップでの買い物や立ち食いそばの味さえ知らないであろう“究極のお坊っちゃま”に、どれだけ理解できただろうか。
貧困が止まらない。義援金も、世界の恵まれない〇〇〇から、日本の〇〇○に置き換えられてゆく。エズラヴォーケルが唱えた「ジャパン、アズ、ナンバーワン」も遠い昔、今や、これまで見下していた国々からも同情を集めているのだ。一部とはいえ、AA諸国からも届き始めた「貧しいニッポンの子供達のために」が、こうした現実を如実に物語っているのではなかろうか。
大学生は約半数が奨学金を借り、生活費捻出のために複数のアルバイトを掛け持ちする日々。アルバイト禁止だった高校も次々と解禁し、近頃では中学年はおろか小学生までいるという。山田太郎の歌ではないが「新聞少年」さえ現実になっているのだ。
古来より「今の若い者は!」が定番とはいえ、最近は何かおかしい。老若の思考が完全に逆転している。止むに止まれぬ若者のアルバイトを「勉強もしないで」と決め付け、やっとの思いで調達したリサイクルでの廉価な家電や衣料品を「きたない」や「情けない」といって嘆くバブル亡霊族の数々。一体、誰がこんな世の中にしてしまったのか。
事実、「自分達が苦労したから今日がある」などと吹聴する者に限って、本当は苦労なんてしていないことが多い。団塊の世代であれ自力で学校へ行った者がどれだけいようか。ゼロではないものの相当数は親がかりだったはずだ。高度成長だって然り。戦後生まれの力ではない。先人(戦前生まれ)の敷いたレールの上をタダ乗りしていたに過ぎない。
貧困は深刻だが光明もある。「3代目のジンクス」と言うように、明治の先代が種を撒き、大正から昭和の2代目が実らせたものの、戦後生まれで3代目の放蕩息子が食い潰したとするなら、それはそれで原点回帰を意味する。そう、新たな種まきが可能になった、ということだ。
コロナ、ウクライナ、そしてパレスチナと混迷を深める世界。まだまだ予断を許さない。往々にして負の歴史ほど繰り返されるもの。スペイン風邪から間もなく、1929年の大恐慌は世界経済を奈落の底に突き落とした。日本でも企業倒産が相次ぎ街中は失業者で溢れた。食えないことから栄養失調のみならず餓死までが続出した。
万一、こうした状況が再来したらどうなるだろう。衣食住に事欠いたことのない面々にはまず耐えられまい。しかし貧しい中で生きる術を心得ている者にはさほど大きな問題ではない。バブルで我が世の春を謳歌し、グルメ自慢の見栄はり族と違って何でも食える。何処でも寝られる。生命力は格段に強い。
自分探し、なんて悠長なことも、豊かさの中では言葉遊びに過ぎない。己の価値はどん底を味わってこそ気付くもの。失うものがないない以上、もう怖いものは何もない。向上心が強いからこそ豊かな創造力を身に付けることが出来る。戦後、この国を先進国に導いた経済界の重鎮でさえ、その三分の一が尋常小学校(現在の小1から小4に相当)しか出ていなかった。戦前とはいえ大半が高等小学校(現在の中1から中2に相当)へ進学していた時代だ。貧しさは原点に辿り着く近道である。やはり貧困(苦労人)に勝る力はない。
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【空模様 二選】
『夕焼けに 架かる夢追い 七重橋』


