田舎を歩く。すれ違い様、子供達は「こんにちは」と大きな声で挨拶をして通り過ぎる。道に迷えば、見ず知らずの人から「どうかしなすったかね」と声がかかる。排他的である反面、こうした温かみが残るのもまた田舎である。
大都会の片隅を歩く。子供達は目を会わせることもなく、ただ足早に通り過ぎる。お互いに、声を掛けることも、掛けられることもない。挨拶そのものが御法度のようだ。道に迷って往来でもしようものなら不審者であり通報の対象でしかない。
この数年、毎日のように孤独死のニュースが流れる。熱中症や凍死に加え、最近では餓死までが急増。都会では干渉はすれど関心は示さない。隣人の行動やゴミの中身は厳しく監視しても健康や悩み事に耳を傾けることはない。在宅とおぼしき家屋のポストに新聞や郵便物が溢れていても意に介さない。その結果、多くの孤独や孤立を生み出している。
不審死を前提とした孤独死は年間で2400人にも上る。しかも長い間、放置されて発見される。夏場は特に多い。隔絶した社会が、その数を増やし続ける。原因は猛暑や寒さだけではない。四半世紀に渡って減り続けた収入は生活困窮者を急増させた。十数年で20倍の悲劇が現代社会の歪みを物語っている。
この孤独死、不審死を加えた身寄りのない者の総数は、年間3万人を超えたという。昨年、1年間の死亡者数は約157万人であり、これは50人に1人が最期は無縁だったことを意味する。しかも、これとて”公表“に過ぎない。(一部には)不審死15万人説までが存在するから恐ろしい。この場合、WHOの定義に従えば不審死の半数は自殺として処理されることから、7万5千人が自らの意思で命を絶ったことになる。これがどれだけ悲しいことか。このままなら毎年20万人がこうした状況に陥っても不思議ではあるまい。
〈生涯未婚率の推移〉
また昨今は生涯非婚率も上昇の一途にある。40から50代にかけてはことさら高い。こうした世代も20年後には定年を迎える。第二次ベビーブーム生まれとはいえ少子化世代だ。兄弟は少ない。両親が他界すれば身寄りはない。しかも付き合い下手は女性より男性に多い。近い将来、孤立無援が続出するなら孤独死20万人の大半は男性ということになる。
最近の調査によると、孤独死の最多層は60代であり、それも男性だという。80や90代の高齢層は意外と少ない。超高齢者重視の報道から誤認しがちだが、圧倒的に多いのは、やはり60代男性なのだ。
2022年の交通事故死は、前年比26人減の2610人で、7年連続して4千人を下回った。一時(1970年)からすれば4分の1以下の水準である。三大成人病も医学の進歩と共に漸減するだろう。こうした中、孤独死だけは3万人から20万人へと拡大しそうな気配が。それも圧倒的に60代に多い。ならば、この先は悲劇でしかない。
(交通事故より遥かに深刻な孤独死の現実)
前述の如く40から50代単身者は増えるばかりだ。理由は言うまでもない。非正規雇用の増加であり収入の低さにある。この非正規組でも然り。最も多いのが40代男性で下表の如く平均年収たるや200万円にも満たない。これでは結婚も出来ない。その前に生活すら出来ない。彼らも十数年後には還暦(60歳)を迎える。しかもその数は700万人と推定される。
*《2020年現在、勤労者の平均給与は433万円(46.0歳/平均)である。正規は495万円だが、非正規では176万円と、その差(495-176=319万円)は拡がるばかりだ》
孤独死の回避は、「世間に溶け込むか」「世間が受け入れるか」の二者択一だが、これがなかなか難しい。人間関係の希薄な大都会にあっては困難を極める。やはり自然と人情味に溢れた田舎に住むのが一番ではなかろうか。同じ孤独死でも、都会の片隅で放置されるより、どれだけ幸せなことか。それにしても『人生60年』は、あまりにも悲しい。