《これは昭和の時代にあった実話に基づいた物語りです》


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 とある田舎町には『太郎』と『花子』という、とても純情な若者が住んでいました


(昭和の時代、東京の象徴だった上野公園)
(撮影は昨秋)

 最近、東京から戻った幼馴染の一郎くんが言いました。

 「大都会だけあって東京は大変だよ。水にさえ金が掛かるんだから。


 それを知った太郎は思いました。

 「そりゃーええごど聞いただ。オラも東京さいって水売って、うんと稼ぎてーだよ」

 花子も思いました。

 「ええな~、あだいも東京さいっで水買って、うんと飲んでみてーだよ」

 二人は大都会・東京へ出て行きました。


 長い年月が経ちました。念願叶って太郎は水を売って儲け、花子は水を買ってたらふく飲めるまでになっていました。

 〈小売店に並ぶ飲料水〉

(画像はネットから借用)

 太郎と花子、今度は東京で土が売られているのを知りました。

 ビックリ仰天の太郎は・・。

 「あんれま~、土っ子まで金になるんだが。こりゃー早速、儲けねばなんねな」

 花子も目を輝やかして・・。

 「たっまげだなや、土っ子まで買えるんだが。こりゃー早速、買って帰んねばなんねな」

 またもや太郎は土を売って大儲け、花子は家庭菜園で大忙しの毎日でした。

〈ホームセンター、ガーデニング売り場〉

(画像はネットから借用)

 太郎は考えました。

 「都会は何でも売れるだよ。もしがすっと“噂”でも売れるんではねーべが」

 その頃、花子も・・。

 「ええなー都会は、金さえ払えば喫茶店だのレストランだので、いづでも噂話が出来るんだど」

 こうして太郎は噂のチュンネルを立ち上げました。花子は、いつでも噂話が出来る壇話室を全国各地に拡めました。

 またまた月日が経ちました。太郎と花子はどうなったでしょうか。

 太郎は今、和製ビール・ゲップ(ん??)としてIT社会に君臨しています。

 花子もまた、ボログからドヂッター、マイーチューブまで席巻し、ネット社会の押しも押されぬ女王様だそうです。


(おわり)


□□■■□□■■□□■■□□■■


《余談》


【宇都宮ライトレール開業】



 開業から一週間、物珍しさもあってか、まだまだ混んでいる。朝夕だけではない。日中でも同じだ。ことに途中乗車では先ず座れない。問題は高齢者だろうか。いつ乗っても目に付くのは立っている高齢者だ。吊り革は高くて届かない。必死に座席の端を握ってはいるものの、これってどうなのだろう。バスならかなりの確率で座れ、そうでない場合でも誰かが必ず手を差し伸べるのに。



 そもそも『LRT導入の主旨』は『高齢者や障害者に優しい街作り』ではなかったのか。それがどうだ。優しいどころか苦難を強いているように思えてならない。通勤客や来客者で始発(駅)から満席なのは営業上好ましいとはいえ、途中から乗車し通院や買物に向かう弱者が疎かになっている現実。やはり、ライトレールは高齢化社会への配慮ではなく、渋滞緩和と働く“若者”を優先する交通手段でしかないのだろうか。「開業当初の一過性」で済まされる問題ではないと思うが。



❋(出入口の吊り革を御覧頂きたい。この高さでどうして届こうか。出入口の場合、乗り降りの妨げにならぬよう高くするのが一般的とはいえ、ライトレールの主旨からして、どう解釈すればよいやら)


 座席は満席。通路も一杯。高齢者や障害者は出入口付近で我慢しないといけないのに、これでは苦痛以外の何物でもあるまい。「バスの方が良かった」、、こうした声に行政はどう対処するのだろか。高い交通費を使って全国から集まり、数車両を先送りしてまで、やっと一等席を確保して撮影に励むユーチューバーや鉄道フャンからすれば、それどころではない気持ちも分からないではないが。


 因みに、これを○○新聞の記事に投稿したところ、その殆どが👇だった。しかも「我慢が足りない」や「○○者を優遇し過ぎ」のコメントまで。数年前、横断歩道で止まらない運転の県民性が話題になったが、この時も「歩行者は信号機のある歩道を渡るべき」といった意見が多数あったように、もしや「高齢者や障害者は乗るな」って意味なのか。開業当初の一時的混乱にせよ、だとしたらとても悲しい。短い間であれ弱者からすれば死活問題なのだから。

□□■■□□■■□□■■□□

《おまけ》


「この通り、しゃあねえと思って、皆々様にも御協力をお願い申しあげます」

✻『しゃあねえ』は栃木弁で『仕方ない』です