《これは昭和の時代にあった実話に基づいた物語りです》
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とある田舎町には『太郎』と『花子』という、とても純情な若者が住んでいました
最近、東京から戻った幼馴染の一郎くんが言いました。
「大都会だけあって東京は大変だよ。水にさえ金が掛かるんだから。
それを知った太郎は思いました。
「そりゃーええごど聞いただ。オラも東京さいって水売って、うんと稼ぎてーだよ」
花子も思いました。
「ええな~、あだいも東京さいっで水買って、うんと飲んでみてーだよ」
二人は大都会・東京へ出て行きました。
〈小売店に並ぶ飲料水〉

太郎と花子、今度は東京で土が売られているのを知りました。
ビックリ仰天の太郎は・・。
「あんれま~、土っ子まで金になるんだが。こりゃー早速、儲けねばなんねな」
花子も目を輝やかして・・。
「たっまげだなや、土っ子まで買えるんだが。こりゃー早速、買って帰んねばなんねな」
またもや太郎は土を売って大儲け、花子は家庭菜園で大忙しの毎日でした。
〈ホームセンター、ガーデニング売り場〉
太郎は考えました。
「都会は何でも売れるだよ。もしがすっと“噂”でも売れるんではねーべが」
その頃、花子も・・。
「ええなー都会は、金さえ払えば喫茶店だのレストランだので、いづでも噂話が出来るんだど」
こうして太郎は噂のチュンネルを立ち上げました。花子は、いつでも噂話が出来る壇話室を全国各地に拡めました。
またまた月日が経ちました。太郎と花子はどうなったでしょうか。
太郎は今、和製ビール・ゲップ(ん??)としてIT社会に君臨しています。
花子もまた、ボログからドヂッター、マイーチューブまで席巻し、ネット社会の押しも押されぬ女王様だそうです。
(おわり)
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《余談》
【宇都宮ライトレール開業】
開業から一週間、物珍しさもあってか、まだまだ混んでいる。朝夕だけではない。日中でも同じだ。ことに途中乗車では先ず座れない。問題は高齢者だろうか。いつ乗っても目に付くのは立っている高齢者だ。吊り革は高くて届かない。必死に座席の端を握ってはいるものの、これってどうなのだろう。バスならかなりの確率で座れ、そうでない場合でも誰かが必ず手を差し伸べるのに。
そもそも『LRT導入の主旨』は『高齢者や障害者に優しい街作り』ではなかったのか。それがどうだ。優しいどころか苦難を強いているように思えてならない。通勤客や来客者で始発(駅)から満席なのは営業上好ましいとはいえ、途中から乗車し通院や買物に向かう弱者が疎かになっている現実。やはり、ライトレールは高齢化社会への配慮ではなく、渋滞緩和と働く“若者”を優先する交通手段でしかないのだろうか。「開業当初の一過性」で済まされる問題ではないと思うが。
❋(出入口の吊り革を御覧頂きたい。この高さでどうして届こうか。出入口の場合、乗り降りの妨げにならぬよう高くするのが一般的とはいえ、ライトレールの主旨からして、どう解釈すればよいやら)
座席は満席。通路も一杯。高齢者や障害者は出入口付近で我慢しないといけないのに、これでは苦痛以外の何物でもあるまい。「バスの方が良かった」、、こうした声に行政はどう対処するのだろか。高い交通費を使って全国から集まり、数車両を先送りしてまで、やっと一等席を確保して撮影に励むユーチューバーや鉄道フャンからすれば、それどころではない気持ちも分からないではないが。