【開業間近なLRTにぶつぶつと】
全国の主要都市でLRT導入の動きが加速している。LRTとはLight rail transitの略称であるが、日本と欧米では発想をやや異にし、日本の場合は一般的に都市型交通を担う“低床式”路面電車と見なされている。
LRTのメリットはなにか。主に(1)環境に優しい(2)高齢者や障害者に配慮した交通手段である(3)中心市街地の活性化に直結する、などであろう。電動式で排ガスを出さず、杖や車椅子でも楽に乗れ、中心部が賑わいを取り戻すなら、これに勝る妙案はない。でも実際のところはどうなのだろうか。
数年前、このLRTを争点にした市長選が栃木県の宇都宮市で行われた。結果は、推進派現職の辛勝であったものの、LRTに関しては反対が賛成を上回ることに。理由は、400億円とされた費用であるが、その後も円安によって膨らむばかり。今や684億円までになってしまった。
確かに建設費は高い。国庫補助金だけではとても足りない。少子高齢化で将来に不安を残す以上、いずれ財政を圧迫するのも時間の問題にある。市民への影響だって計り知れない。だがそれだけだろうか。何か大きな履き違えをしているのではなかろうか。
こうした紆余曲折はあったものの、この8月(26日)に、やっと開業を迎える宇都宮のLRT。経路としては、JR宇都宮駅の東口から芳賀の工業団地を結ぶ。駅東は、清原、芳賀と北関東を代表する工業地帯に続く。通勤ラッシュで朝夕の交通渋滞は凄まじい。そこで浮上したのが次世代型路面電車のLRTである。これなら渋滞の解消には繋がるかも知れない。だが、本来の主旨からは遠くかけ離れてしまった。
《路面電車は『ビルの谷間』を走るもの。こうした概念を覆したLRTが、この8月末に開業する。果たして順風満帆にいくだろうか》
時刻通りに到着する。通勤の足としては、この上ない乗り物だろう。だが日中はどうか。ご覧(写真)の通り沿線の多くは都市型交通では考えられないような田園地帯である。これでは運転本数を減らしたところで、どれだけが乗ろうか。一部、新興住宅地として開発は進むものの、これとて廃屋銀座の予備軍に過ぎない。県都とはいえ油断は禁物。この先、団塊世代の欠落が加速し、かつてない人口氷解の危機に直面する。超高齢化に伴う都心回帰(集住)が郊外の衰退に一層拍車をかける。
途中には、Jリーグ栃木SCの本拠地・グリーンスタジアムもあるが、この春からは遠く離れた新競技場に軸を移したことで期待半減。大企業とて例外ではない。リーマンショックのような事態になれば撤退が現実味を帯びる。民間企業にも寿命がある以上、安泰はない。無人の荒野を路面電車だけが走ることにもなりかねないのだ。
〈宇都宮駅前から旧市街地を望む〉
一方、駅西(旧市街地)は再開発され、超高層マンションの事業化計画も目白押しにある。旧市街の活性化は小売業の都心回帰にも繋がる。しかし残念なことに肝心の足がない。低床式のバスも走るが車椅子では自由に乗れない。少しでも混雑していれば素通りされてしまう。結局は、そこに多く住む高齢者や障害者だけが取り残されてゆく。
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既存のバスは車椅子一台分のスペースしかない。運転手さんの対応には敬意を表するものの、先客があれば、その後は乗れない。だからといって分刻みでは来ない。都バスとは違うのだ。積み残されたらどうなるだろう。路線によっては一時間に一本もない。
今後、高齢化社会が進むにつれ、こうした状況は深刻になるばかりにある、しかも“難民”は旧市街地ほど多い。弱者に配慮した低床式が健常者の足として運用される捻れた現実。それでも『ライトレール』は走り始める。果たして成否や如何に・・。
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本来の主旨に添って考えてみよう。何のためのLRTなのか。誰のための“次世代型”路面電車なのか。少子高齢化によって増え続ける弱者の足であって中心市街地活性化の切り札ではなかったのか。通勤の、それも健常者のためだけなら”低床式”路面電車なんて意味をなさない。
この際、逆転の発想が必要ではなかろうか。路面電車に広い道路はいらない。欧州の主要都市がそうであるように、乗用車のスレ違いすら困難な狭い道路ほど、レール上を走る軌道式が活きる。そのための路面電車なのだ。
工事(道路新設による)負担も少ない。那覇のモノレール(ゆいレール)は市街地の中心部を貫く。工事期間は元より深刻な渋滞に拍車をかけたが、結果として大巾に緩和され、市街地の活性化にも大きく貢献したと聞く。システムの違いこそあれ同じだろう。行政担当者には、ただ単に新道ありきではなく、オリオン通り(アーケード街)を走らせるくらいの柔軟な発想が必要だったように思う。もし(西口に)伸延するなら考えて欲しいものだが。