1980年代のバブル期だったろうか。一部の店舗ではあるが秋葉原の電気街には不思議な光景があった。何せ、Japan as Number Oneの時代であり、創業以来とされる人手不足の真っ只中でもある。選んでいる場合ではない。採用条件に国籍は問わない。不法就労か否かは不明ながら日本語さえ満足に話せない若者までが働いていた。ことに中東からが目立った。言葉が通じる外国人客には好都合にせよ日本人客には不便そのものであった。

(バブル期の秋葉原駅)
(画像はネットから借用)

 商品の位置を尋ねても、ただ一言「安いよ」しか言わない。何とか売り場に辿り着けば、そこもまた外国人店員ばかり。そして、またまた「安いよ、安いよ」の連呼である。これでは機能や使い方の質問は無論のこと値引き交渉さえ出来ない。怒ったところで返る言葉が「ヤスイヨ、ヤスイヨ!!」では喧嘩にもならなかったのを思い出す。

 月日は変わり地元の家電量販店に行ったときのことだ。見る限り外国人(中国や東南アジア系は除く)とおぼしき店員は誰一人としていない。しかしどこかがおかしい。質問と返答が噛み合わないのだ。何を聞いても「分かりません」の一点ばりで、「調べてよ」にさえ「分かりません」としか答えない。手持ちのカタログを示して、やっと「あっ、これですか」にはなったものの、それ以上は進展しない。「担当者に確認します」や「呼んで参ります」もない。

 もしや派遣社員かと思いきや、そうでもない。正真正銘の正社員のようだ。にも関わらずこの体たらく。挙げ句には「類似品の取り寄せは可能ですが、その場合、必ず購入して貰いますので宜しいですね」のダメ押しである。取り寄せれば購入するのは当然かも知れない。でも「いくらになるの」にさえ「分かりません」では、もう呆れるしかない。これで一体、誰が買うのだろうか。

 長年、我が国の商習慣は世界に誇れるものであった。丁重な応対に始まり、懇切丁寧な説明、そして決め細かなアフターサービスである。それがIT化社会になるや一変、合理化だけが推し進められた。販売は簡素化され諸々の質問やアフターサービスの窓口はコールセンターが担うことになる。

 これに勝る不便はない。使い方は分からない。壊れたところで迅速なサービスさえ受けられない。緊急を要するものまで数日待ちではどうにもならない。こうして疲弊する社会は更に疲弊してゆく。時代の流れとはいえ、せめて「古き良き習慣」も少しは残せなかったものだろうか。

〈日本の人口ピラミッド〉
(総務省・国勢調査より)

   我が国は世界でも突出した高齢化社会である。裏を返せば、ネット難民も世界一、ということになる。しかも、そこには大市場が存在する。海外勢が日本古来の商慣習を取り入れることで売り上げを伸ばした反面、本家本元がネットに特化して衰退の一途をたどるだけの悲しき現実。お客様を『神様』でなく『仏(ほっとけ)様』としか扱えないなら、消費難民ばかりが増えて、この国は益々凋落してしまうのではなかろうか。社員教育だって然り。欧米型の成果主義一辺倒では進歩しない。横文字の羅列だけでなく日本の古き良き慣習も学ばせるべきかと思うが。

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《おまけ》

〈小さく、小さく、小さくなーれ〉

「そんな商売、ウマくいくわけないっチュウの」

〈で、とれくらい小さくなったんかいな〉
(米粒&ゴマ粒)

「それより、ウマか、チュウハイでも飲んで、カエルたい」

「ん・・??🤔」