〈思考の整理学〉
(画像は日経から借用)

 このところまた外山滋比古の著書『思考の整理学』が大人気らしい。それも大学生に支持され、養老孟司の『バカの壁』に並ぶ数百万部単位のロングセラーなんだとか。AI支配に疑問を呈する上でも当然の流れとはいえどうなのだろう。これで思考力の大切さに気付くだけならまだしも実践で示せる者がどれだけいるだろうか。無機質な情報に浸るだけの日常にあって、染み付いた他力本願は、そう簡単に消し去れるものではない。人間、楽(手抜き)を覚えると、それがDNAにもインプットされてゆく運命にあるのだから。

   そもそも人間て何なのだろう。本当に進化しているのだろうか。我々が知らないだけで実は退化しているのではなかろうか。想像力だけではない。自然界から孤立し、科学なしでは生きられない現実と、社会全体を覆い尽くす諸々の劣化は致命的でしかない。これが本能にまで及ぶなら生命としての存在価値さえ失ってしまうかも知れないのに。すると・・・。

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 〘→→どちらから読んでも←←〙

【進化の監視しんかのかんし】

 天地創造の昔々、この地球という小さな星には『自然大魔王』『破壊大魔王』の二人の大王だけが存在していました。両者は仲悪く何事においても常に競い合っていました。

(自然破壊でも生き延びる昆虫=想像)
(極小折り紙/対象=大豆)
 
 ある時、破壊大魔王が自然大魔王にこう言いました。

「いつまでも闇夜ばかりじゃ退屈でつまらん。どうじゃ、このわしと進化くらべをしようではないか」「どちらが先に優れた生き物を世に送り出すかの競争じゃわい」

 自然大魔王は即座に答えました。

「望むところじゃ、お前さんには決して負けやせんよ」

 こうして、延々と続く進化くらべが始まりました。

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〈進化論を唱えたチャールズ・ダウィーン〉

(この世は進化論ばかりで退化論が登場しない不思議。でも人類って本当に進化してるんだろうか)

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 月日が経ちました。自然大魔王は美しい野山を創り、そして数多くの息吹きを次々と生み出しました。緑の大地に育まれた美しさはそれはもう眩いばかりでした。

 破壊大魔王は焦りました。やることなすこと失敗ではどうにもなりません。仕方なく、後に人間となりうる劣性な生き物を、完成には程遠い未熟な状態のままで世に放ってしまったのです。

 自然大魔王は更に進化を加速させました。鳥や昆虫には空や野山を自由に飛ぶための羽を、動物や魚には聴覚や嗅覚といった優れた五感のみならず、クジラやオオカミのように遠距離交信まで可能にする優れた機能すらも備え付けました。

 破壊大魔王は焦りに焦りました。なにせ人間には遠方との通信はおろか大空を飛ぶ機能さえ備わっていないではありませんか。

 破壊大魔王は修繕に励みましたがその欠陥は致命的でした。仕方なく原始的な手法でその穴埋めを余儀なくされました。こうして、空には飛行機を、遠方との会話には通信機器を授けてはみたものの所詮はオモチャなのです。不具合ばかりで肝心なところではちっとも役に立たないんですから。

 破壊大魔王の怒りも頂点に達しました。そして「いっそのこと自然を破壊してしまえ!」と大暴れを始めたから、それはもう大変でした。二酸化炭素を撒き散らして草木を枯らし、フロンガスを放出してオゾン層にまで穴を開けてはみたものの、結果的に深刻な影響を被るのは進化の鎧で環境の悪化に順応しうる動植物ではなく、いつだって脆弱な人間ばかりなのです。このままじゃ人類のほうが先に駆逐されかねません。

 それでも懲りない破壊大魔王は「そうだ、地球が駄目なら宇宙を目指せばいいのだ」と考えました。

 またまた永~い歳月が経ちました。

〈H3ロケット〉
(画像はJAXAより)

 20××年×月××日………光子ロケットが打ち上げられてから数十年後、今日は永年の夢が叶い人類が初めて地球外知的生命体との接触の日です。現地では宇宙の進化の中で最も取り残されているとされる『原始生命体』を一目見ようと大勢の見物客が押し寄せていました。

 着陸地点は意識誘導されて銀河希少動物園の檻の中です。そうとも知らず「自分は英雄」と勘違いして悦に入る宇宙飛行士。自分が見せ物になっているなんて知る由もありません。

 えっ、数十光年も離れた惑星なのに、どうし人類が宇宙で最も遅れた原始生命体だってことを知っていたのかって?

 それはね、地球上の樹木や植物に内蔵されている通信機能には時間的概念がないんです。ですから木々や草花などから全宇宙に配信される情報も瞬時に受信され、人類の進化のなさが逐一監視されていたからなんですよ(-_-;)。

「ドキッ!!」

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「な~るほど、だから人間は猿より劣っとるんか」

 『類人猿を代表して・・反省!!』

「でも、どうしてまたオイラが登場するわけ」

「反省なら、お前さんの方が得意じゃろが」

「ちと古〜い😩」

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《余談》

【子供は大人の決定に従うもの】

 この典型は高校野球だろうか。柔道や相撲といった個人競技ならいざ知らず審判の決定に異議を唱えたケースをまず知らない。大人だって間違える。ならば過ちを正す権利は子供にもあるはずだが、それもない。もし不服でも示すものなら『高校生にあるまじき行為』として処分の対象にすらなりかねない。これでは不正を強要されても従わざるを得なくなってしまう。

 失われた30年。この間、我が国では協調性を重んじてきた。個(独創)性など二の次である。組織は、上意下達を旨とし、その遵守が基本でもあった。これでは思考力云々どころではない。結果、科学技術は停滞し、経済も後退の一途に。大人(上層部)が全てではない。子供(部下)であれ、自らが正しいと信ずるなら、それを主張できる社会であって欲しい思うのは愚生だけだろうか。