選挙の度に必ず出てくるテーマ、「福祉の充実」。
選挙前は「福祉の充実を約束します」、当選すると議員の仕事が具体的に出てこない。
有権者とのふれあいも殆ど無いままに、四年間が過ぎていく。
 政党助成金、政務調査費、議員の給与が具体的にどう使われているのかが疑問。
当選した後も、選挙運動中の言葉を忘れないで欲しいものだ。
私は、脳性麻痺のため全身に障害が有り1日24時間の介護が必要な身である。
介護を受ける側と、障害者としての感想と意見を述べてみたい。介護を受けるということは、身内であっても介護福祉士やヘルパーであっても「言葉、態度、表情など」を気にしながら日々を送るのが現実である。対応の仕方によっては、相手の「人生や価値観など」も変えてしまう影響を持った責任のある仕事である。
のりピーの「福祉や介護の仕事がしたい」という言葉の裏にどういう思いがあったのだろうか!?「介護」の仕事をしたら罪が報われ、社会も許してくれると思ったとしたら、甘いと思うし、「介護も福祉」も罪滅ぼしの道具でもないし、癒しの対象でもないし、商品でもない!?
芸能人にプライバシーやプライベートが有るのだろうか!?日常、人の目を気にしての生活という意味で共感を覚える。芸能人は、人を喜ばせるのが仕事。そして記憶力やコミュニケーション能力(日常会話)、臨機応変の状況判断が要求されると思う。介護の仕事も同じ要素を持っていると思う。

酒井法子さんが本当に「介護」に興味があるのであれば、「介護のボランティア」も並行して行なった方がいいと思う。
「ひとつ屋根の下」を思い出して!
毎日3交替、毎日24時間の介護を受けながらの生活。日常動作のすべてを、委ねる生活。介護者は全員、私が選んだ人たちで気心も知れて、私を理解してくれている。でも、年齢や価値観や人間関係、育ってきた生活環境も違う。もちろん性格も違う。介護者が7人居たら、調理、食事、排泄、入浴、移乗(ベッド↔車いす↔ポータブル便器)、車いすの操作、ひげ剃り、歯みがき、顔拭き、鼻毛、耳毛、眉毛のカットなど、それぞれ7通りある。それに加えて、気配り、言葉の行き違い、お互いの体調や精神状態によって、口調や力の入れ具合が変わってくる。
気まずくなるようなトラブルは、避けたい。キャッチボールの会話が出来るように心がけてはいるが!?
12000円貰っても、何に使うかな!?貰う為には、役所に行き書類などを書いたり収入を調べられたり面倒!定額給付金にかかる経費が350億円以上だという!どうしても、定額給付金を配りたいのであれば、国会議員が手分けして全国を回り、現金を一人ひとりに手渡して歩けばいいとおもう!?経費削減の為に!
削減した分を他のところに回したら!?
「戦争は障害者を作り出す愚かな行為」
与えられたかけがえのない「命と身体」を大切にすることができないのでしょうか?。
なぜ、傷つけあったり、殺し合ったりするのでしょうか?

私は、生まれつきの脳性まひのために全身に障害があります。常時、介護者がいないと生きていくことはできません。
抵抗することも、逃げることもできません。平和でなければ生きていくことはできません。武力がなければ、平和は作れないのでしょうか?平和で居ることは、できないのでしょうか?
戦争に、正当性はあるのでしょうか?戦争が起こることを前提にした「平和」の議論は間違っていると思います。
戦争を起こさないためには何をしたら良いのか!武器を造るお金を人々が安心して暮らせるために使うことはできないのでしょうか!戦争は、「愚かな行為」と気付いた時には遅いのです。
言葉で分からなければ、暴力や武力で解決する。それが「平和」を作る最良の方法なのでしょうか?人間は、本能のままに動く「動物」ではありません。人間には、「喜怒哀楽」の感情があり、その中に、優越感や劣等感があります。
これを、コントロールできる「理性」の力があるのです。でも、理性の力を生かせるのは人の話をよく聞き、人への思いやりを持つことができるかできないかで、その人の人間性が見えてきます。人間の「感情」は理屈では割り切れないことが沢山あります。これが、「人」同志の争いの要因なのです。でも、人は一人では生きては行けません。だから、「人間」なのです。しかし、「権力」と「お金」によってその「立場」を守ることだけに力を注ぎ、多くの人に支えられていることを忘れてしまうのです。
私たちが選んだ国政を預かる多くの先生と呼ばれる国会議員の皆さんたち。本当に、私たち国民のことを考えているのでしょうか?いくら耳障りの良い言葉で訴えかけても、結局は自分の立場しか考えていないと思ってしまいます。
違うというのであれば、私たち、一人ひとりと向き合って話を聞いてください!経済の発展だけが「人間の幸せ」に結びつくのか、立ち止まって考えてみることが必要です。それが貴方たちの「与えられた仕事」です!
今日の夕食は、カツオ節とマイタケの佃煮の入ったオニギリ、鶏の照焼き、それに昨日作ってもらったコンソメ味の野菜スープと白菜の一夜漬けとナスとピーマンの味噌和えと、豪華な食事だった。とても美味しかった!
メニューは自分で考える。調理方法や味付けなども教えてあげることもある。父が料理好きだったので、見て覚えた。
食べながら、ふと考える。病気や貧しさのために食べられない人も居るということを忘れてはならない。
しばらくぶりの更新だ。いま一文字ずつ文字を入力している間にも、刻々と時は過ぎていく。今日は、浣腸を居れ、今年最後の便を出した。その後、シャワー浴で今年の垢を落としてもらった。すっきり!それから、昨日買ってきた残りのコロッケと、母が作ってくれた黒豆となますと白菜の一夜漬けをおかずにしての夕食。
今年も、4時間を切った!明日は、しばらくぶりで実家に泊まってこようと思う。何年ぶりだろうか!母は、1月10日で84歳。私は、2月で58歳。
市の福祉課の職員が、訪れた。
理由は、法人取得と指定事業所への移行の状況を聞きに来た。
既に、法人取得は済んで、指定事業諸申請の準備も進んでいることを話した。
話をする中で、福祉課の職員が「この財政難の中で一人の障害者に年間二千万以上かかることは、市の負担は大きい」、夜間の巡回型介護を活用できないかと尋ねられた。私は常に人がいないと、生活はできないので、無理と答えた。
福祉課職員が「財政難対策」の案は、ないでしょうかねと聞いてきた。
「貴方たち公務員が、ボランティア休暇を活用して介護をしたら!?」と答えた。
最近、健康について考えさせられる出来事があった。
検査入院していた父の病気の結果が出た。
手の施しがないほど、進んでいた。とりあえず痛みを緩和するための投薬と、放射線治療を始めた。耳も殆ど聞こえないので筆談を交わすが、聞こうというか、聞く意識がないみたいである。話しかけるだけで、怒り出す。激痛と、連日の暑さでよけいにイライラしているみたいだ。食欲もないので、点滴を始めたが、時間がかかるので通院をいやがっている。母も、妹も対応に苦慮している。父ぐらいの年代は、一般的に頑固な人が多いと言われているが!?私も首を悪くして、10ヶ月入院生活を送った。不自由さと退屈を味わったので、父の気持ちも理解できる。私ができることは、母と妹の話を聞くことと、父の好物を差し入れること。回復して得意の料理を振る舞って欲しい。