車いすでも、五分くらいのところに区役所がある。
誰を選んでも、この国の政治は変わる訳がないという反面、このままでは益々、能力大一主義の優生思想の国になってしまうのではないだろうかという危機感がある。
そんなことを考えているうちに、「期日前投票」の最終日になってしまった。

本当に、「自分の立場」しか考えられない多くの議員の皆様。
その人たちを選んだのは、誰!?

午後から、一票を投じてこよう!
私の知人もコムスンに勤めていたことがあった。話に聞いていたので、やっぱり!と言った感じだが、私も介護なしでは活きていけないので無視できない!
命と生活を守る「介護保障」を利益優先の市場原理に位置づけることには、無理がある。確かに水増し請求は問題だが、それと介護の質は、別の問題ではないだろうか。ヘルパーさんの全国の平均収入は、12万から14万円くらいと言われている。厚生労働省は、事業報酬単価の切り下げを行ない更に、低廉コストで質の高い介護を事業所とヘルパーさんに求めている。経営者もヘルパーさんも生活があるのです。介護という仕事は、気持ちだけでは長続きできない、理屈では割り切れない難しさがあるのです。現場の難しさを知らないコメンテーターや評論家に、「福祉を食い物」にしているとか、されているとかなんて語って欲しくないものである。
母は、いくつになったのだろうか!?多分、83くらいかな?
髪はだいぶ白くなったし、しわも増えた。私の髪も少なくなったわけだ!

母が私にできる介護は、少なくなった。月に、1~2回くらい会いにいく。
行くと食事を作って、待っている。介護者に食事を勧める母。私の食事介助は、この時ばかりは母の仕事である。父の耳もだいぶ、遠くなった。今日も母は、大きな声を張り上げて、父とけんかしているのかな!?

そんな母に何を買っていけば、喜ぶかな?
「戦争は障害者を作り出す愚かな行為」
与えられたかけがえのない「命と身体」を大切にすることができないのでしょうか?。
なぜ、傷つけあったり、殺し合ったりするのでしょうか?

私は、生まれつきの脳性まひのために全身に障害があります。常時、介護者がいないと生きていくことはできません。
抵抗することも、逃げることもできません。平和でなければ生きていくことはできません。武力がなければ、平和は作れないのでしょうか?平和で居ることは、できないのでしょうか?
戦争に、正当性はあるのでしょうか?戦争が起こることを前提にした「平和」の議論は間違っていると思います。
戦争を起こさないためには何をしたら良いのか!武器を造るお金を人々が安心して暮らせるために使うことはできないのでしょうか!戦争は、「愚かな行為」と気付いた時には遅いのです。
言葉で分からなければ、暴力や武力で解決する。それが「平和」を作る最良の方法なのでしょうか?人間は、本能のままに動く「動物」ではありません。人間には、「喜怒哀楽」の感情があり、その中に、優越感や劣等感があります。
これを、コントロールできる「理性」の力があるのです。でも、理性の力を生かせるのは人の話をよく聞き、人への思いやりを持つことができるかできないかで、その人の人間性が見えてきます。人間の「感情」は理屈では割り切れないことが沢山あります。これが、「人」同志の争いの要因なのです。でも、人は一人では生きては行けません。だから、「人間」なのです。しかし、「権力」と「お金」によってその「立場」を守ることだけに力を注ぎ、多くの人に支えられていることを忘れてしまうのです。
私たちが選んだ国政を預かる多くの先生と呼ばれる国会議員の皆さんたち。本当に、私たち国民のことを考えているのでしょうか?いくら耳障りの良い言葉で訴えかけても、結局は自分の立場しか考えていないと思ってしまいます。
違うというのであれば、私たち、一人ひとりと向き合って話を聞いてください!経済の発展だけが「人間の幸せ」に結びつくのか、立ち止まって考えてみることが必要です。それが貴方たちの「与えられた仕事」です!


自分の事業所(基準該当特例事業所)も、行政から、「自立支援法」になって法的根拠がなくなったので10月までに会社かNPOを設立しろと云われている。ミーティングで、どちらかを選択しようと自分で決めたが、一人では何もできない。これから、みんなと話をしながら一つ一つ具体的に進めていかなければならない大事な時期である。私の生活と、ヘルバーの生活もかかっているのである。
そんな大事な時に、「立候補予定者に介護体験をして欲しい」ということを思いついた。事業所の仲間からも、優先順位が違うなどの指摘も受けながら、その準備と調整に明け暮れた。ここ2年くらい体調も崩さなかったので、少し疲れていたが動き回った。インフルエンザの予防接種もしていたので、かからないと確信していた。
身体が怠くなり、病院に行き熱を計ったら9度5分、検査したら「インフルエンザ」という。ショック!!
 夕食が済み、ベッドの上でノートパソコンのトラックパッドを右手の中指でなぞり、ディスプレ上の文字盤をひとつずつクリックしながら、このブログを書いている。
唯一、動くのは中指だけ。そんな私の生活を毎日支えてくれている6人のヘルパーがいる。この人たちは、どういう思いで私の介護をしてくれているのだろうか。出会ったきっかけは様々、思いも様々だと思う。共通しているのは、「思い通りに動かない体を見て、可哀そう」」とか、「少しでも、役に立ちたい」という思いではないだろうか?
私も、自分よりも重度の障害を持った人に出会ったとき、「自分より、もっと大変な人がいるんんだ」と気付かされる。同時に、「可哀そう、何か協力してあげたい」と思うわけだが、自分のことだけで精いっぱい。
私は、重度の障害者。社会的には、弱者!?とされてしまっている。そして私も、私よりも「重度」の人を「弱者」として見てしまっている。弱者がさらに、弱者を作っている!?
今年は統一地方選、参議院選が行われる。
私は、特定の政党は支持するつもりはない。人として、真剣に向き合える人を選びたい。
多くの政治家は、権力と金が結びつくと「名誉」と「立場」を守ることだけに力を注ぐ。
有権者は、候補者を「先生」とおだてて、当選した暁には見返りを求め、議員という肩書きの「先生」は献金を求め、「責任」という言葉におびえながら、知らず知らずのうちに国民からどんどん離れて、自分は偉いんだと「お上」になってしまう。政治家も同じ人間で、できることと、できないことがある。
人を批判したり裏切ることは簡単だが、人を信用して信頼することは難しい。
私は、7才から30才(うち2年半は家族と暮らす)まで、施設生活を送った。
お盆と正月のそれぞれ10日前後、帰省出来た。両親は、理容と美容を経営していた。
大晦日、仕事の後片づけを終えると日付が変わり、午前1時を過ぎてしまう。
翌日、母親は大田区の大森から列車を乗り継ぎ、板橋区にある施設に迎えに来る。
家に帰れる嬉しさと、親に甘えられる喜びと、正月のご馳走を腹いっぱい食べれる、そして一番嬉しかったのはお年玉。帰路の途中、デパートを散策中、玩具売り場の前を通る。見るものすべてが欲しくなり「欲しい、欲しい」と駄々をこね、私を負ぶってくれている母親の脇腹を両膝で締め上げ、困らせたものだ。
こたつに入り、正月のご馳走の好物「だて巻」と「砂糖醤油餅」の甘くて香ばしい味がよみがえる。
日付が変わり、介護者と日本酒を酌み交わしながら「今年もよろしく」
ネットで、年末ジャンボの当選番号を調べる。(連番で20枚だから、600円はあたる)と思っていたが、4等下2ケタ3000円、当たった!
嬉しい!今年は、いい年かも!喜びは、わかちあおう!
去年の「うん」を出し尽くしたのが良かったかも!?