平成6年2月11日。

 奈良県にある、「平城京跡」へ行ってきました。

初詣(出雲大社 大阪分祠)や、旧正月に参る「清荒神 最澄寺」などにも出かけてましたが、こちらは約40年以上も恒例行事となってましたので、特に写真なども撮らず、ブログにもアップしてませんが、それを除くと久しぶりの屋外活動です。

                     「平城宮跡歴史公園 HP」より

  正しくは、「国営平城宮跡歴史公園」という名称で、2008年(平成20年)から公園整備を進めているそうで、これからもさらに整備が進むそうです。

  「朱雀門ひろば」

 大阪から、阪神高速の東大阪線~第二阪奈を利用して、約40分で到着です。

大きな駐車場も整備されていて、南側の朱雀大路(跡)から敷地に入ると、正面に「朱雀門」。ここは「朱雀門ひろば」として観光客以外にも凧上げや、ボール遊びを楽しむ親子さんで賑わっています。

 京都や、この近くでは東大寺などの他の社寺仏閣とは違い本来、一度埋もれ、再建された建物ということであまり興味がなく初めて訪れましたが、来てみるとまた、考え方も変わります。

 「朱雀門」正面

 詳細は省きますが、資料によると長年の発掘調査を経て1990年(平成2年)に基礎工事着工、1998年(平成20年)に竣工したそうです。

 復元にあたっては、年代などから「薬師寺東塔」、規模からは近い条件の「東大寺転害門」を参考にしたそうです。再建された建築物ですから、コンクリートなどの最新の建築技術かと思いきや、柱は国産檜、壁面も当時の手法を用いた土壁(下地に竹を組み、その上に漆喰を塗ってあるらしい)が基本で一部、耐震・補強などの都合で現在の技術を使ったすじかいなどを利用しているらしい。

 「朱雀門」より望む

 黄色のウインド・ブレーカーを着た人は、ボランティアの解説員の方のようで、貴重なお話を聞かせていただきました。気軽に話しかけていただいていろいろ参考になりました。

 「朱雀門」から「大極門」を望むと、平城京の規模がわかります。

 「近鉄電車」

 公園内には電車が走り、踏切もあります。

 1914年(大正3年)に大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道・略称:近鉄)が大阪~奈良を開業したときは、平城京の正確な範囲は解っていたけど世間の注目も薄く、大した問題にもならなかったそうです。(新聞紙法などの言論検閲もあり)

 今なら大問題ですよね。

 「大極門」

 「大極院」への正門となる「大極門」です。左右に「東楼」「西楼」があり、現在は「東楼」が再建の途中です。正式な門号(名前)は解らないそうで、いろいろな文献を参考に「大極門」と命名されたようです。

 復元作業は、2017年(平成29年)整備工事に着手。2022年(令和4年)3月に竣工。

 「東楼(復元中)」

 復元中の「東楼」には仮設のステージがあり、工事の様子が見えるらしい。

  「東楼」から南側

 休日なので、復元中の内部は暗くてよく見えないが、景色はいい。

 南側には「朱雀門」が見える。その大分右手に見えるのは多分、「薬師寺東塔」

 

 「東楼」から西側

 西側には生駒山が望めます。

「東楼」から東側

 東側には東大寺と若草山。

 

 そして、大極院を抜けると「大極殿」です。

「大極殿」

 復元作業は、2001年(平成13年)整備工事に着手。2010年(平成22年)3月に竣工。奈良時代にガラスはあったの?などと憎まれ口をたたきながら見学。本来は吹き曝しの建物らしいです。

 「大極殿」は、重要な国家儀式を執り行った場所で、天皇が出御された場所らしいですね。

 第一次としてありますが、平城京造営当初から整備され、740年の恭仁京(くにきょう/くにのみやこ 現在の京都府木津川市加茂地区)遷都の際に解体・移築されたそうです。

 その後、紫香楽宮(滋賀県甲賀市)~難波京(大阪市)を経て再び平城京遷都の祭にはここの東側へ第二次大極殿として再建されたということで、784年に長岡京に移るまで祭祀が執り行われていたそうです。

 学校の社会科の授業では、どこの宮がどの順番で・・・なんてことまでは習わなかった(多分)ので、勉強になりました。

 「大棟中央飾り」

 屋根の中央には、金色の飾り。何か名称があるのか調べましたが、「大棟中央飾り」しかひっかかりません。まんまやん。

 「大極殿」は、内部も見学できます。撮影禁止などの表示もないので、写真も数枚撮影。警備の人にも咎められることもなかったので、パチパチ。

 

 「高欄宝珠」

 多分、「高欄宝珠」でいいと思います。回廊をお洒落に飾ってます。

  「小壁(内部)」

 内部の小壁には、四神と十二支が描かれています。

 「内部の風景」

 「高御座」

 天皇が鎮座される玉座。文献・史料をもとに製作したイメージ模型だそうです。

 「高御座」の装飾

 黄金の鳳凰がいいですね。

 「鴟尾(しび)」

 屋根の両端にあるやつですね。近くでみれます。

 

  「大極殿」から

 「大極殿」から望む「大極院」。ここに当時の豪族や使者が整列し、天皇が謁見を行ったのでしょう。

 

 「大極殿」を出て東へ行きます。「遺構展示館」があります。

 途中に「推定宮内省」という、当時の宮内省を模した建物があります。

  「推定宮内省」

 役人が務めていたところのようで(当然、再現です)、当時の様子も伺えます。

  「同上・内部」

 さて、「遺構展示館」。

  「椿と梅」

 梅が綺麗に咲いていたので、建物を撮るのをわすれてました。

 「再現模型」

 「柱穴」

 この「柱穴」は、レプリカではなく本物の露出展示です。穴の形や深さなどから、建て直された回数や順番の解るそうです。

 

 昼食休憩はとったものの、ここまで約3時間の散策。

「東院庭園」と「資料館」も行きたかったのですが、ギブアップです。次にします。

 

最後に「朱雀門ひろば」西側の、復元「遣唐使船」だけ見学。

 復元「遣唐使船」

 「同上・甲板」

では、次回。