どんなに頑張っても努力しても、結果が伴わないと低評価・・・
努力してないとは言わないけれど、頑張っても結果が出せないと、時にはボロクソに批判の対象になり、事実と違うことが平気で流布されてしまいそれを信じ込んでしまう人も・・・
試合はシビア、、、
だから結果が全て!
それは分かる。
『結果良ければ、全て良し!』
う~ん、今更ながらこの言葉考えてしまう。
そうなんですよね。
例えば、それまでいくら素晴らしい結果持ってて、過去の成績が良かったらと言っても、突然不調になることだってがある。
そういう時、批判・非難する事に徹するのではなく、見守るという姿勢が出来ないのか?
とつくづく思うことがある。
また、それとは別にその途中の何かがおかしくても、結果さえ良ければ多少の事には目を瞑って、その過程のおかしな事はどうでもいいとされてしまうことさえがある。
さらに、事実と違うのに称賛され、良いように解釈されその結果がさらに強固なその人に似つかわしくない『肩書き』となったら。。。
そして、そんな愚かな張りぼての『肩書き』を後生大事に自分の価値としてひけらかし、傲慢、高慢、我が儘が通ってしまったら・・・
そう考えると、気が重くなることもある。。。
ただ、それって物事の良し悪しが見えて無い人には通じるかもしれないけれど、客観的に見て、その胡散臭さに気付き不信感を抱く人には通じない事ってあると思う。
単に好き嫌いの批判の目で見てたとしても。。。
あとで、その矛盾が露わになった時、人としての真価が分かるのかしら。。。
それとも上手く誤魔化すようになるのか・・・それもその人なりか。。。
そして思う事。
確かに結果が出なくても、それまでの努力をひけらかす事をしなくても、見てる人にはちゃんとその人が努力してきた事は伝わるし、だからこそその人を認めたくなるし、応援したいと思う!
また、妙な秘密主義は時として、その人の印象・本当の姿を良くも悪くもしてしまう。
そこに本来のその人の人となりも大きく関わってくると、ますますその印象は違ってくる。
それと、何かあると自分を悲劇の主人公のように言って同情を集めようと胡散臭い言動をしてしまう人と、寡黙で語らず語っても問題があるのは自分自身だと(上辺のいい子ぶりっこでなく)真摯に受け止める人との違いは、自ずとその後のその人の人生に影響してくるのでは!?とも思ったりもする。
なので、そんなさまざまな事を思えば、
『結果良ければ、すべて良し』
って、そうしちゃいけない人というのも確かにいるよな~と、思ったコンでした。
では、また・・・