2年前から、義務教育において「道徳」の授業が教科として授業に組み込まれるようになったらしい。

わたし自身が小学生だった時も、なんとなく道徳の授業あったなぁという記憶があるのだけど(何を学んだかは覚えていない)、それはあくまで教科外の科目だったと。

 

で、道徳の授業が変更になった背景は何かというとこちら。

・いじめの認知件数の増加

・SNSの普及

・自己肯定感や社会参画意識の低さ(諸外国との比較)

 

うむうむ、背景は理解できる。

 

では、教科化することで何が変わったのか。

1 必要な授業数が決められる

2 検定教科書がつくられる(今までは副読本や資料などは先生に委ねられていた)

3 評価対象になる(もちろん数値ではなく記述式)

4 受け身で学ぶのではなく「考え、議論する」を重視する

 

一気にズコーーーーーーーーッ感。

いや、無いよりいいのかもしれないけれど、これで「自己肯定感」が上がったり、いじめが減るイメージがいまいち湧かない。

 

そもそも、道徳を教えるということはどういうことか。

教科として設定し、学ぶ時間を確保すれば、身につくものなのだろうか。

 

道徳を学ぶということを考えたときに思い出したのは、ある本で読んだ、ある保育士さんのお話。

そこには、“命を大事にしましょうと子どもに口で伝えるよりも、実際に園で動物を飼い、その動物を保育士さんが一生懸命お世話をし、愛情を持って育てることの方がずっと大事”だとあった。保育士さんは子どもにとって"社会と自分を繋ぐ接点"であり、その保育士さんの姿勢から、命の大事さを間接的に学ぶのだと。

 

この話、ものすごく自分の中で腑に落ちた記憶があって。

つまり、道徳で教えようとしている「よりよく生きる」姿勢というのは、子どもたちは周りの大人の生きる姿勢から多くを学びとっているということ。それは道徳の授業時間を確保したり議論し、理解すれば、学んでいけるものではないと思う。

 

上で言う大人というのは、決して親や保育士さんや先生に限らず、日々接する大人たち、画面越しに見聞きする大人たち全ての人のこと。なので、一人一人の日々の振る舞いや行動は、自身の子どもだけでなく、社会全体の子どもたちに影響を与えると思っている。大袈裟かもしれないけど結構本気で思っている。

 

子どもは親や社会の鏡。

子どもたちに何を教えるか、は、わたしたち大人がどういう姿を見せるべきかなんじゃないかな。

 

わたし自身、決して胸を張れる生き方ができているわけではないしむしろ反省することばかりなのだけど、少なくとも、自分自身の人生を楽しむ姿勢は忘れずにいたいと思うし、正しさよりも楽しさで溢れる世の中になるといいなと思う。