とくこうん てるのかむかい
  かせのまの せかいかむかの るてんうこくと

(解く五蘊 出る野が無涯 風の間の 世界が無我の 流転動くと)

解説

五蘊(ごうん)は「仏語。存在を構成する五つの要素。すなわち、物質的、身体的なものとしての色蘊(しきうん)、感覚作用としての受蘊、表象作用としての想蘊、意志・欲求などの心作用としての行蘊(ぎょううん)、対象を識別する作用としての識蘊。五陰(ごおん)。」、無涯(むがい)は「かぎりのないこと。はてしないこと。」、流転は「状態・境遇などが、たえず移り変わること。同じ状態にとどまらず変化していくこと。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画音楽を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Forest Funk』(「Sakuzyo Official」より)


雑感

「解く五蘊」は、五取蘊(五蘊に執着すること)から解放するとか、五蘊をヴィパッサナー瞑想でその都度観て分解するとか、そういう感じかと思う。

「出る野」は、野に出るということ。出家なんて言葉もあるけれど、自分の家から出て野に出る、というニュアンス。

といっても別にお坊さんになるとかそういうことではなくて、自分の家、つまり自分が普段から見ている煩悩の世界から脱出する、という感じかと思う。

下記参照。

『法話と解説 パティパダー巻頭法話 見た目では分かりません』(「 日本テーラワーダ仏教協会」より)


『法話と解説 パティパダー巻頭法話 生命にマイホームが必ずある』(「 日本テーラワーダ仏教協会」より)


『法話と解説 パティパダー巻頭法話 聖者(阿羅漢)の心②』(「 日本テーラワーダ仏教協会」より)


「風の間の 世界」は、風が吹いている、または止んでいる間の世界ということ。つまり、ある時に風が吹いていることを感じた時に、「あっ!今、風が吹いている!」と感じていても、その風がどこから現れたのかわからないし、また感じているその間に、その風はどこかに消えて行く、という感じで、要するに「無常」とか「生滅」の世界を象徴している、ということかと思う。

「世界が無我の 流転動くと」は、自我を持っていない風、無我なる風がそのまま流転していくような様で(自分が)動くと、ということ。

といっても、本来は「動くと」だけで「(自分が)動くと」ではない。なぜなら風のように無我であり無常だからである。でもわかりやすいように(自分が)といちおう付けた、ということです。

ヴィパッサナー瞑想では、名詞は使わずに動詞だけを使うので「動くと」だけになっている、とも言えるかと思います。

そうして、そのように動くと歌の最初の「解く五蘊」がさらに進む、といった感じになるかと思う。

回文なので、図にするとこんな感じ。こうやってぐるぐる回りながら、深い境地に入っていく、というイメージ。

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とくこうん てるのかむかい かせのまの せかいかむかの るてんうこくと
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(解く五蘊 出る野が無涯 風の間の 世界が無我の 流転動くと)