みくしのか うやきつくきろ
  ひやくあく やひろきくつき やうかのしくみ

(御頭の我 礼気付く岐路 秘鑰開く 八尋菊月 八日の仕組み)

解説

御頭(みぐし)は「頭の敬称。」、礼(うや)は「うやうやしくすること。礼儀。いや。」、岐路(きろ)は「道が分かれる所。分かれ道。」「将来が決まるような重大な場面。」、秘鑰(ひとく)は「秘密の鍵。他には使用させない鍵。かくされた鍵。」「秘密・謎・本質などを解きあかすかくされた手がかり。解明のための深秘(じんぴ)の手段。」、八尋(やひろ)は「非常に長いこと。また、非常に大きいこと。」、菊月(きくづき)は「陰暦9月の異称。」、八日(ようか/やうか)は「月の第8の日。」の意味です。

余談

この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第26巻 第1篇 伊都宝珠 第2章 真心の花(一)』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)


雑感

今年2024年は、新暦の十月十日が旧暦の九月八日なんだよなぁ。

この「八尋」の「八」は、三つの御玉と五つの御玉が揃って「3+5=8」で八という感じがする。

日月神示で、いつ岩戸開くということも解る、とか書いてあるが、辰の年云々の記述もあるので、におうなぁ。

2012年当時も、あんだけマヤ歴マヤ歴言うてて何も起らんかったけど、2025年がミスリードだったら、その一つ前の年の2024年で決着をつけるべき、という仮説が成り立つが……。

 

下記ブログでは、この秋にも第三次世界大戦勃発の可能性が示されている。秋からレプリコン(自己増殖型)ワクチンも開始されるそうだ。

 

『もう目前に近づいたのか? 第三次世界大戦』(「tokaiama20のブログ」さん)

 

『レプリコンワクチン』(「tokaiama20のブログ」さん)

 


日月神示参照。

『今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。』(下つ巻 第二十五帖)

『新しき御代の始めのタツの年。スメ大神の生れ出で給ひぬ。皆々御苦労ながら、グルグル廻って始めからぢゃと申してあらうが。始の始と始が違ふぞ。皆始めヒからぢゃ。赤児になりて出直せよ。ハラで見、ハラできき、ハラで話せよ。ハラには間違ひないのぢゃ。祈りばかりでは祈り地獄、神から光いただけるように理(ミチ)つけねばならん。水は低きに流れるぞ。喜びに叶ふ心、喜びの行あるところ喜び来るのぢゃ。喜びにも正しきと曲れるとあるぞ。無限段階あるのぢゃ。心して迷はんように致しくれよ。此処は光の理(ミチ)伝へ、行ふ所、教でないと申してあろう。教は教に過ぎん。理でなくては、今度はならんのぢゃ。天の理、地の理、もろもろの理、カタ早う急ぐぞ。教は局部的、時、所で違ふのぢゃ。迷信となるぞ。ハラが神であるぞ。』(春の巻 第一帖)

『富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからんぞ、よき代になりたら神はモノ云はんぞ。人が神となるのざぞ、この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。この道は中行く道と申してあろがな。戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。長引く程、国はヂリヂリになくなるぞ。米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命(いのち)あると申して油断するでないぞ。この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ。』(磐戸の巻 第九帖)

『この方 明神(みょうじん)とも現はれてゐるのざぞ、臣民守護の為に現われてゐるのであるぞ。衣(ころも)はくるむものであるぞ、くるむとは、まつらふものぞ、神の衣は人であるぞ、汚(けが)れ破れた衣では神はいやざぞ。衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ。今は神の衣なくなってゐる、九分九厘の臣民、神の衣になれないのざぞ。悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ。◎の国、霊の国とこの世とは合せ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ、臣民 身魂洗濯して呉れとくどう申してあらうがな、この道理よく分りたか。十月とは十(かみ)の月ぞ、―と|との組みた月ぞ。』(地つ巻 第二十四帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)

十月に―(緯)と|(経)が揃うってことだよなぁ、これ。

それにしてもなんで―(緯)が先に来ているんだ? 瑞伊都能売神(みづいづのめのかみ)が出て来るってことか?

下記参照

『出口王仁三郎全集 第一巻 皇道編 第六篇 愛善の真意義 第二章 伊都能売』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)