きとくさの めうみかかたる
  むねのまの ねむるたかかみ うめのさくとき

(木と草の 妙味峨々たる 胸の間の 眠る高神 梅の咲く時)

解説

妙味(みょうみ/めうみ)は「非常にすぐれた味。また、いうにいわれないおもむき。うまみ。妙趣。」、峨々(がが)は「山や岩石などが険しくそびえ立っているさま。」、高神(たかがみ)は「霊威の強い神。対象は一定せず、各地の大社、人神でなく天上の神、現世利益の神、藪神、よくたたる神、天狗などがある。」の意味です。

余談

この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第25巻 第4篇 神花霊実 第15章 改心の実』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)

 

雑感

三千世界一度に開く梅の花

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

「木と草」はちょっとわかりにくいが、イメージ的には一般の神様や人様、という感じがする。

おそらく「木」は柱のことで、神様の数え方を「一柱」「二柱」といったりするが、そういうニュアンスを感じる。一方「草」は、これは国民のことを青人草ともいうように、人のことだろうと思う。

要は、梅の咲く時に、つまり心の底から改心するその時に、自らが低い位置にある木や草のように、いと小さきものと自覚することができる、ということ。

それは即ち、必然的な流れに乗って、高い地位にある大神様を心底拝むことが出来ることと同義であって、さらにその高位の神様が、自らの心の中にも坐していた、ということを自覚することでもある、といった感じ。

ひらたくいうと、改心することによって、高天原を垣間見てしまう、というニュアンス。ただただ有難い、勿体ない、という気持ちになってしまう、というニュアンス。心底、胸がすく感覚になる、というニュアンス。