よきのひし またにくみかる
  ますみのみ すまるかみくに たましひのきよ

(善きの美詞 また憎み離る 真澄のみ 統まる神国 魂の寄与)

解説

善し(よし)は「正しい。正当である。善である。」、憎み(にくみ)は「憎むこと。憎しみ。憎悪。」、離る(かる)は「心がはなれて、疎遠になる。」、真澄は「よく澄んで明らかなこと。澄みきっていること。また、そのさま。まそい。まそみ。」、統まる(すまる)は「集まって一つになる。すばる。」、魂(たましい/たましひ)は「生きものの体の中に宿って、心の働きをつかさどると考えられるもの。古来、肉体を離れても存在し、不滅のものと信じられてきた。霊魂。たま。」、寄与(きよ)は「寄贈すること。あたえること。」「世のため、人のために力を尽くすこと。貢献すること。」の意味です。

余談

この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第25巻 第2篇 自由活動 第7章 大蛇解脱』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)


雑感

火水伝文参照。

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 今、最期の時。彼等の企み、彼等の申すとうり九分九厘成功しておるのぞ。彼等の企み最も鮮やかに花開きたるは日本なるぞ。汝、気付かぬか。日本の人民様見てご戯れ、上から下まで見てご戯れ。彼等の言うた〈自ら思考する事の出来ぬ〉人民様や〈欲望のままに生くる〉人民様ばかりの世になりなりておろうが。ここそ『あやま知』に見事にはめられし果ぞ。実ぞ。証ぞ。破滅の花でありたのじゃ。

 破滅の花はこわいぞ。欲心の種何処ともなく寄り付きて汝に芽吹くが由なるぞ。これ大事なことぞ。汝『あやま知』にどぷりと囚われておるが由、関わり無きと申すなれど、汝の持ちたる衣の糸引いて見て下されよ。食の糸引いて見て下されよ。住の糸引いて見て下されよ。衣食住その糸引きたる先見れば、商人がいるであろうが。更に引きたる先見れば工場見えるであろうが、農場見えるであろうが。さてその先に、汝何を認めしか。汝等日々ほとんど省みし事なきが、そは資源ぞ。汝等の創りたりえぬモノぞ。天恵ぞ。水ぞ。油ぞ。食物ぞ。鉱物ぞ。森林ぞ。海洋ぞ。地球ぞ。すべてのすべて神なるぞ。

 汝等この天恵なくば一日たりとも生きてはおれんのぞ。されば汝等一人一人にその糸集まりきておろうが。されど汝等、自然とあまりにも隔たされ過ぎたるが由に衣食住の本義忘れ、ただただ『あやま知』たる衣食住むさぼり生くるようになりてしもうたのじゃ。食えば食ほどゼイに入り、着買え着捨つる狂り返し、住むに不自然作り上げ怪適かなえる物集み、『あやま知』病みたる欲望の糸引く勢い増しに増し、『我善し』消費の限り尽く。引かれし糸の先見れば、ワガ国ばかりか他国まで天恵むさぼり略奪の汚名頂く様となる。三千年の策略に、まんまとはまりし由なれど、成せしは汝の罪なるぞ。天恵とられし国々は、衣食貧しく住難く、辛き思いの国なるぞ。物心飢餓の国作り、地球の環境悪化させ、騒ぎ起きれば人ごとの、援助、援助と騒ぎ立て、汝の成せしは自覚無く『あやま知』たてたる援助にて、金出し、口出し、手を出して自国ばかりか他国まで利権むさぼり食い尽くし。『あやま知』散々ばらまきて、山死ぬ海死ぬ心死ぬ、貧富逆巻く悪き世にさせたが日本の罪なるぞ。寝ぼけマナコに在りては危ういぞ。こ度の大変、悪神は日本の人民様餌食に致してやり通す、申す声聞こえんか。これより日本を世界の悪者に成す仕組み、どんどん表に顕れ来るぞ。出て来てから騒ぐなれど後の祭りじゃ。真釣りは真先でなくてはならんのじゃ。これで少しは解かりたか。

 汝、外に悪認めしと申すなれど、悪現われたる元見れば、汝の手元に結ぶのぞ。汝の集めしその糸は『我善し』汝のご都合に合わせ作らる欲糸ぞ。『あやま知』生みたる悪の糸。汝の育む欲糸じゃ。汝の厭う原子力、背後で育む悪親は『あやま知』病みたる汝等の『我善し』使うる電力のひたすら消費が真の親ぞ。汝等、悪滅っせんと申すなれど、握りた糸切ったかや。汝等欲糸引かずば悪育たず。生ぜず。自ら滅するの他無きであろうが。糸切りて滅びる産業、悪の業と知る時ぞ。慘業でありたのじゃ。滅びる他に無きものでありたのじゃ。お役目終わりぞ。

 神の渡せし糸と汝の集めし糸、混同してはならぬのじゃ。欲糸ひとつ放せば神の渡せし糸太くなるぞ。欲糸ひとつ生ずれば神の渡せし糸細くなるのじゃ。この道理解かるであろうが。

 これ程言うても解からぬ人民様ばかりじゃ。汝関わり無きと思いせば、その場で落つるのぞ。謙虚になりなされ。もう間違え出来んのぞ。最後のときぞ。後はないのぞ。神、頼むぞ。『あやま知』万物万象に渡りておるのぞ。汝一人関わりなきと思うてか。万物万象糸引かばすべて汝に及ぶなり。汝動きしその時は万物万象動くなり。針一本落ちても万物万象に関わるのぞ。汝の言の葉(口)、汝の思い(心)、汝の生き様(行)、何ぞ万物万象に関わり無きか。まして世の大変、汝等一人一人の『あやま知』由の現れと、素直に気付きて下されよ。

 大変起こるそれまでに『あやま知』捨つるミチのれよ。大変起きしその後は『マコト』貫くミチのれよ。ふたミチ貫く大切は『口・心・行』とぞ知れぞかし。三真釣り合わぬミチのりは、神も仏も無きものと思う世界へ向かうなり。三真釣り合わせしミチのりは、意乗り(祈り)神来るミロク世へ生くる唯一のミチなるぞ。

 汝等これまで言うてる事、心に思うてる事、行うてる事皆ばらばらでありたであろうが。そは『あやま知』の世に合わせ生くるためでありたと申すも、最早ならぬぞ。生きて地獄、死にて地獄。益々その身さいなむだけぞ。後いくばくも無き年月、ちいとはご苦労して見なされよ。今この時一つのご苦労百の安らぎぞ。

 かほど三真釣り成せ申すも、人民様の自覚甘きが由ぞ。汝等、巷に大変知らすオフレガミ数多あるを知り居るな。なれどこれより起き来たる危難、事細かに知りて何とするおつもりか。逃げ道探るは破滅のミチじゃ。そろそろ卒業結構ぞ。この期に及びて尚、逃れんと欲するは《身欲》を基の『あやま知』で《我善し》力で押し進み、ミロクの御代に残らんと、思える程に曇りて居るのであろうから、この方、末期の今今に辞世の歌を聞いて遣わす。思いの侭になさるが善いぞ。

 こ度のコトはいかなる神仏に頼み参らせれど適わぬコトぞ。人を創り、神をも創りせしものの意なるが由ぞ。元つ神の御ハタラキなれば、人にも神にも解からぬとくどう申し置き居ろうが。こ度の大変は時にあらず。場にあらず。マコト危うきは汝自身と知りて下され。時空越えたる祓い清めなるが由じゃ。助くる捨つるは後の後。自ら祓い清めるが、こ度の汝の【苦心行】三真釣り合わすミチのりぞ。

 解かりたか。海、荒るるが危うきで無いぞ。山、火吹くが危うきで無いぞ。地、裂けるが危うきで無いぞ。戦、激しきが危うきで無いぞ。衣食住、無うなるが危うきで無いぞ。めぐりだけの事はせにゃならんが、三真釣り持ち行く者なれば呼ベば助くる手出しすると申して居ろうが。由に汝、マコト持ち行けぬただその事が危ういのじゃ。生死一如と申して居ろうが。生きておりても死しておりても同じ事ぞ。三真釣り持ち行けぬ者、海、危うきぞ。山、危うきぞ。地、危うきぞ。戦、危うきぞ。衣食住、危うきぞ。死後も危うきと申すこと、ハラに入れよ。

 こ度の大変起こりし裏の裏の経綸は宇宙創りし始源に及ぶなり。汝等、始源の時この方と共にありたのぞ。光輝そのものでありたのじゃ。汝等その時、万物万象生かし活かせしチカラと共にありたのぞ。マコトそのものでありたのじゃ。なれど、光幸はう神代の末期、汝等こ度の深因なる《囚われ》の病みにかかりてカムハタラキ成せなくなりたのじゃ。汝等の真ハタラキ、闇を光に、不秩序を秩序に、不調和を調和に転質転換なさるマコト尊きカムハタラキでありたのじゃ。

 ここそすべての鍵なるを知りて下され。汝等の取り違え居る善悪のハタラキあるも自由なる真姿も、転生生じたワケも汝等が見失うたマコトのすべて解き明かすカギあるぞ。そは汝等本来のマハタラキに関わりて、現れい出たるが由なるぞ。

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 ついて参りて居るか。人民様の囚われ居る『あやま知』申すは、マコト、オカシキ事にてあるから、無理に解かる必要は無いのじゃが、アタマで着て。アタマで食べて。アタマで住み居る。救い難き者共にハキリ『あやま知』の正体を伝えねばならぬ由、今暫しくどう申すも許して下されよ。ス直に元つ天地の大恩に感謝を致し、今までの有り様を心底より、詫びて改心出くる程の者なれば、こが事は解かり取れねでも善いぞ。難しく思いたら、解かるとこだけ取れば善いのじゃ。心配致すで無いぞ。この方の申したきは、マコトの改心を持ちて三真釣りなされて欲しくあるだけにござるから、【口と心と行い】を違えず一如に真釣ろうご苦労を致して下されば、それで善い。そが一番ぞ。この方もそが一等嬉しいのじゃ。ここまで良く良くついて参りた。もう後少しじゃ。ゆっくり、ゆっくりついて参られよ。この方がお手を引いて居る由、手を離すで無いぞ。解かりたな。

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 元つ天の大神様は、地のへにスメラとユダヤの神策成就の経綸を背負うた二民を創り降ろされて、天地のご守護に、正神真神のご霊統にあらせられる二柱の大神を配し置かれたのじゃ。天上をご守護しなさるご一柱をアマテラスオオカミ様と称し奉る。地のへをご守護なさり、こ度、神響きにて地のへの王の王の王と現れなされミロクを顕じます、尊き御役のご一柱をカムスサナルノオオカミ様と称し奉る。

 ナギご一柱でお産み成されたアマテラス様、スサノウ様と、ゆめお取り違え召さるなよ。ご二神で息合わせ、真釣りてお産みに成られた正神真神のご二神と、ご一柱でお産み成されたご二神では違うのが道理でござろうぞ。正神真神申すは、火水構えマコト真釣りたハタラキをなさる方々のことにてござるのぞ。正神真神のご霊統より産まれし神々は別なれど、ナミ、カミサラレまして後、お産まれの中つ神々様方は、未だ自らマコト真釣り無き、神成る神にてあらせられる由、おハタラキは片ハタラキにて、こ度一二三(ヒフミ)に結び真釣りて真神と成りなさる方々じゃ。
    
 天地を守護し給える正神真神のお二人方は、天地創成の初発より、こ度この地ヘミロクを現ずる元つ天の大神様のご経綸を直接に進み参らせる、艱難辛苦のご苦労の御役でござりたのじゃ。汝等にマコトの真釣りを取らすため、汝等が真釣りを外す度毎に、辛き心を鬼に致して真釣るマコトの岩戸を閉めて、気付かすために情け掛け、一成る花を願うたが、真釣り外すは数知れず、天のご守護を先に閉め、地のへのご守護もお閉めして、陰に参りてご守護を構え、掛けたる情けは数知れず、散る花ばかりが咲き行きて、今、今、今の悪き世に成りたを知りて下されよ。真釣りを外すが岩戸閉めじゃ申す事、よくよくハラに入れるが、お陰受く取る礼節にてござるぞ。解かりたな。よくよくお詫び申し上げて、感謝の響き鳴り鳴り持ち行き、三真釣り持ち行きてマコトの響き少しでも鳴り成して下され。

 今今の人民様も中つ世の神々様も、ご苦労の無いミタマなれば、身欲ばかりを追い掛けて、情けのマコトを逆恨みなさりて、益々真釣りを自ら外して、メグリばかりを創り成し、出て来たメグリはスサナルの、総ての罪科と責め着せて、地のへの岩戸も閉めらるる。仕組みの中へ居る者は、解からぬミタマであるが由、知らず冒すはあるなれど、もろうた情けを省みて、ちいとは身欲の真姿に、気付き真釣りて下されば、今世のザマには成りはせんのじゃ。元つ仕組みに真釣り成す、総ての罪を負いおわす、カムスサナルノオオカミ様の真姿に、お一人なりとお気付きあらば、今まで気付きなかりた事どもを、お詫び致してその守護に感謝の心を手向けておくれ。大神様喜ぶぞ。その言魂を幾星霜お待ち続けて参られたか、一人なりともマコトのことを、知りて下さるもうそれだけで歓喜弥栄の大神様にあらせられるのぞ。それ程のご辛抱のミチでござりたのじゃ。もったい無き程の至誠至愛の光輝溢れる神響きにて、こ度救世の御大神様にあらせられるぞ。【ヒフミつるミヨイツりてイツムナるナナヤココノ座スベ(十)マツル(☉)カミの真中はタテヨコナナメいつにありても五にござる三四五タテカエ岩戸開け五より一二三でタテナオス五六七結ぶカムシクミ】火の三角。水の三角。組み成して、正位に真釣ろう陰陽を、真中を要に正方に九つ御座に顕じたり。スサナル仕組みの九御座じゃ。

 地のへにミロクを顕ずるは、神幽顕、三千世界をタテワケて、地のへ三つにヨコワケて、マ釣る仕組みの経綸に、情けと花を忍ばせて、九条の御座と構えたり。

 一(ヒ)の御座より始まりて、九つ統べて十(カミ)結ぶ神経綸の流れから申せば、今今はカムスサナルの七の御座にかかりて居るのぞ。今世とミロク代の境目にてあるよ。なれど神ご経綸の九つの御座申すは、総てが総て初発よりありてあるのぞ。時の流れにそうて段々にお創りになられたのではござらぬぞ。初発からありてありたのじゃ。取り違え致すでないぞ。ざから初発より九条の御座に真中があるのでござるよ。時の流れにそうて御座が出くるのであれば、真中もその都度変わりてしもうではござらぬか。こは大事なこと由、くどう申すぞ。真中申すは初源より万古末代変わらぬ御座じゃ。いついつにありても五の御座にござるを今今今に、ハラに据え立てて下されよ。こ程申すは、神ご経綸をマコト真釣ろうて参るには、いついつにありても経綸真中をスミキリさせるが、肝心要の大事な事にてあるからじゃ。こ程大事な真中申すが、ヒノモトの事にてある知りて下されよ。ヒノモト真中を透き清め、四方八方アメツチを、なべて統べりて真釣る御座が、カムスサナルノオオカミ様の御座じゃ申して居るのぞ。解かりて下されよ。

 九条の御座の経綸申すは、真中より八方に御座を構え、九条の構えに結ぶが由なり。これ解かるか、真中の御座が八つの御座を統ベマ釣る、構えに成りて居る申しておるのぞ。真中の御座に何様が座されるかによりて、マ釣りが違うて参るのぞ。【真釣りの経綸】、『魔釣りの経綸』いずれかに決まりてしもうのじゃ。こは恐ろしき事にてあるのぞ。真中の御座が、総てを統ベマ釣る基なれば、真中にマコトが立ちあれば、総ての御座にマコトが開けるなれど、真中にウソが立ちあれば、総ての御座にウソが開けるのじゃ。こは解かるであろうがな。川上にウソを流せば、川下もウソに染まるが道理でござろうよ。こ度の事に関わりて申せば、こに二千数百年ウソが座してござるのじゃ。八御座総てに蛇の頭が座して居るぞ、八頭のオロチじゃ。真中は三スクミ酷き様であるよ。善き九条の御座に致すも悪き九条の御座に致すも、ひとえに真中の有り様にかかりて居るを忘るなよ。

 火鳴る位の神幽顕、三段タテワケ致し参りて、水成る位の、ヒトなる人民様。ヒノモトなるクニツチ。アメツチなる全世界。三並び、ヨコワケに配しありて、火鳴る位をタテ上に、水成る位をヨコ下に、タテヨコ構えて組み鳴りた、九条の御座が汝等も、神をも統べる経綸の、見えぬ仕組みの構えにござりたのじゃ。水の位のそれぞれで、神幽顕を一二三にて、真釣ろう型を示しある、ミロクを顕ずる構えなり。こが九御座すべてを統べ真釣る、真釣るマコトの型示し、歓喜弥栄の構え鳴る、神ご経綸の御座型にござるのじゃ。

 九御座の火鳴る位の神幽顕申すは、日月地の事にてもござるのぞ。霊力体の事にてもござるぞ。火土水の事にてもあるぞ。一つの真釣りた響き申すは、総ての構えに真釣ろう響きじゃ、申し伝えし事。思い出されて下されよ。されば口心行の事にてもあるなれば、こは三真釣りの御座構えざ申すも解かりてくだされよ。

 どうじゃ、アタマが痛うなりてしもうたか。なれど、こは大事なご経綸の構えにて、汝等が気付きある度毎に、汝等の真中を正し行く、鳴り鳴る響きの座すところにてござるから、汝等には是非にも伝え知らせねば、鳴らぬ事であるのじゃ。くどくど申すはこの方の思いに免じて許して下されよ。この方は何でもかんでも授けたいのざから、取れるものからどんどん取りて下されよ。この方は汝等の三真釣る響き、早う清らいで成り鳴り来るを、ジリジリ致して待ちて居るのぞ。

 難しく考えねで善いのじゃ。汝等の申す三掛け三の掛け算思えばそれで善いぞ。真中を含めた九つの御座で大き正方を形創りてる思えば善いのじゃ。その真中の真中が五じゃ申すは、正方の左上から下に向うて神(一)、幽(二)、顕(三)こをヒトの座のヒフミ申して居るのぞ。上のまん中より下に向うて神(四)、幽(五)、顕(六)こをヒノモトの座のヒフミ申して居るのじゃ。こに真中の真中の五があるぞ、解かるな。最後は右上から下に向うて神(七)、幽(八)、顕(九)こをアメツチの座のヒフミ申して居るのじゃ。簡単でござろうが。幽の座がそれぞれの真中に成りてるも見知りて下されよ。解からなくあれば書いてみやれよ。すぐに解かるぞ。

 一(ヒ)の御座申すは神の座にありて、汝ご自身の口の座の事にてあるぞ。汝ご自身と神の真言(マコト)の真釣ろう御座にござるのじゃ。こが初めの始めざぞ。汝の真中の二(フ)の御座にウソが立ちて居れば、汝は虚言(ウソ)を持ちて神と魔釣ろうて居るのじゃぞ。魔釣ろう御役の神あるも解かり参りて居ろうがな。気を付け召されよ。今世まではマコトの解からぬ汝等と、マコトの解からぬ神々が、魔釣ろう御役の神々に、良いようにだまされて居りたからマコトがちいとも出なんだのであるぞ。なれど、この方が表の世に出張りた今今は、許すは適わぬ事なれば、早う改心致されて、身欲を控え捨て去りて、清まる事が第一にござるぞ。
    
 二(フ)の御座申すは幽の座にありて、汝ご自身の心の座の事にてあるぞ。こが汝ご自身の真中の御座ぞ。九御座の真中の真中は五(イツ)にござるが、そは汝等の真中の真中の事にて、汝が真先に真釣ろう真中は二(フ)の御座なるをハキリ知りて下されよ。こが、こ度の大変に関わりて肝腎要の鍵なる御座じゃ。こが力のお宮なるは伝え知らせ居るな。火をスクリと立て持ちて、火水を真十字に組み結ぶお土の力の御ハタラク、大事な御座にござるのじゃ。こがスミキリあらねば汝がミロクは適うまい。こが余りに曇りたままにありては、ヒとミが『×』の姿に組み結び、汚れを負うたメグリが成り鳴り響き参るからじゃ。汝の口と行いが違うて参るは、こが曇りてあるからでござろうが。こが曇るは唯一つ、《身欲》を基と成しありて《我善し》力で我利我利に、生くる響きが巣くうて居るからじゃ。汝は《身欲》の中にありて、そに気付けず。メグル情けを《身欲》で避けむが証なり。幾再生転生の末期なるこ度はどうありてもスミキリあらねばならぬ御座ぞ。

 三(ミ)の御座申すは顕の座にありて、汝ご自身の行の座の事にてあるぞ。こがこの地へマコトを顕す御座にござるのぞ。万象万物鳴り成らせる御座にござるよ。火のマコト、タテワケありて、お土がスミキリあれば、水の清きがそのままに、マコトに真釣ろうたカタチと鳴りて、顕れなさる御座にてあるのじゃ。こが真響き鳴るを一二三(ヒフミ)申すのぞ。三(ミ)が真響き真釣ろい結ぶがミチにござるよ。三が道ぞ申したはこの事にてあるぞ。神々も汝等もこが真響きてござらぬ由片ハタラキじゃ申して居るのぞ。片ハタラキ申すは、自ら基のその内の陰陽の不調和の事にてあるぞ。二(フ)の座が曇りて、一(ヒ)の座のマコトが少のうなりて、三(ミ)の座の水がマコト少のう響きにマ釣ろう由、水の御ハタラキばかりが強く出ある片ハタラキざ、申して居るのじゃ。これにては一二三(ヒフミ)のミチに至れぬも道理でござろうぞ。解かりたでござろうか。汝等の基の過ちは、火の位に座さすは適わぬ仇醜き《身欲》の響きを、知らず居座らせある事にてござるのぞ。そが由、水の御ハタラキで顕れなさる火土水(ヒトミ)総てが、ケガレを含みてマコトに鳴れぬのであるよ。解かりて下されよ。一二三(ヒフミ)が地のへ三座総てのミチぞ。ヒトの一二三。クニツチの四五六。アメツチの七八九。地のへ三座それぞれが、一二三(ヒフミ)の響きにて真釣ろうてあらねば、マコト鳴らぬのじゃ。

 善いか、ミロク申すは、九御座すべてが、マコト、マコトに真釣ろうた、歓喜弥栄を、五(イツ)の真中が鳴り鳴り統べる御代のことにてござるのぞ。そは地のへの三座のそれぞれが、すべて真釣ろうて初めて適うが由、ヒトの座の一二三の〔三〕、クニツチの座の四五六の〔六〕、アメツチの座の七八九の〔九〕、地のへ三座の御座のご称名〔三〕〔六〕 〔九〕を拝し奉りて、ミロクと呼び習わしめたを知るが善いぞ。解かりたか。総ては九条の御座の型にて示しありたのじゃ。
    
 もちょっと教え置くぞ。正方に納まりた九つの御座を、真中を含みたタテヨコナナメ、それぞれに足してみやれよ。いずれも十五に成るであろうがな。そが十(カミ)の真中はいつにありても五じゃ申す事にてあるのぞ。善いか、こ度ミロクが顕ずるは、真中の五がスミキリてマコトが現れるに依りて、スサナルノオオカミ様が響きにてお出ましなさる由、真中の〔五〕より開かれてスサ〔七〕ル様のお出ましで、ミロクの響きが鳴り顕れなさるにより、五六七(イツムナル)と書かしめて、こもミロクと呼び習わしめたのであるぞ。解かりたか。九条の御座の構え申すは、大き神仕組みに真釣ろうご経綸でありたのじゃ。とくとごろうじあれよ。汝が清まりて来る程に、汝を教え導く構えにてもあるのぞ。

 一二三と真釣るがヒトの成す、マコト顕ずるカタチなり。四五六と真釣るがクニツチの、一二三(マコト)顕ずるカタチなり。七八九と真釣るがアメツチの、一二三(マコト)顕ずるカタチであるのじゃ。こが水の位を統べ真釣る一二三(ヒフミ)と鳴り鳴る型示しであるぞ。ヒトにありても、クニツチ、アメツチにありても火鳴る位に座しまする、神鳴る響きをおろがみて、透け切る響きの幽の座で、授かるマコトを立て持ちて、水成る響きを和し添える、顕に現し鳴りなさるマコト真釣りの御座型にござるよ。霊主心従体属の正位マコトのコトワリにござる。

 水の位の顕の座申すは、地のへの事じゃよ。地のへ三ワケそれぞれの真中の御座申すは、火の位の〔幽の座〕なれば、ヒトにありては二〔フ〕の御座。ヒノモトにありては五〔イツ〕の御座。アメツチにありては八〔ヤ〕の御座とそれぞれに持ち居るなれど九条の御座を構える経綸の、真中の真中はヒノモトの五〔イツ〕の御座にあるを忘れて下さるなよ。

 地のへの三座総てが真釣ろうは、構えの真中の真中なる、ヒノモト真中の五なる座が、スミキリあらねば、叶わぬ事でありたのじゃ。なれどちいとも適わぬ有りザマでありた由の、こ度の大変であるよ。ヒノモト真中が曇りたは、初発にアメツチ真中が《快欲》に、囚われ曇り参りて来る程に、鳴り鳴る響きがヒノモトに至り渡りて参りたのじゃ。なれどヒノモトをご守護致す神々が、正神真神の大神のマコト真釣る御心の、真釣る真中の尊きを、ちいとでも気付きなさりて居らるれば、曇りをハラウも出くりたのじゃが、真釣る真中のご苦労の、自覚全く無き道楽な性限にてござるから、自ら進みて《快欲》に、囚われ曇りてしもうたのじゃ。九条の御座真中のヒノモトが、曇りてしまえばそれだけで、八方囲みた八御座、総て曇るを知りて下され。汝の真中も同じにござるぞ。

 今今は五(イツ)の真中を《快欲》に、絡みた嘘なる『あやま知』が統べ魔釣る、身(三)欲(四)苦(九)の構えと鳴りて居るを知りて下されよ。四(ヨ)の御座はヒノモトの、火鳴る位の御座にて、元つ天地の大神の、正神真神の座す座にて、仇汚れし神々の、触れるは許せぬ座にあるを、ヒノモト地のへをご守護する、日本を預かる者共のハラが腐りて居る由に、幽の心の五(イツ)御座、曇りに曇りてケガレさしヒノモト神御座四(ヨ)の御座、天地に仇なす神々が、座すをも気付けぬ曇りザマ、知らず気付けぬそのままに、天の御祖と魔釣り上げ、世界に仇なすものと鳴る。御ミの保身を第一に、マコトを捨ててヨく魔釣り、戻り帰りてクに結ぶ。

 《快欲》に囚われたる《我善し》力と『あやま知』の、仇ケガレし神々が改心出来ずにそのままに、四(ヨ)の御座に居直りて《身欲》を基のそのままに、何とか自ら手の内に、末代致すお積もりでジタバタ画策なしあるは、総ての総て知りて居るのぞ。最期の最後じゃ、どうなりとかかりて参られよ。こ度は得心致すまでかかりてござれ申して居るのじゃ。九分九厘までは勝たして差仕上ぐる程に、いよいよ精一杯かかりて来るが善いぞ。今今の改心は許すなれど後は無いのぞ。

 解かりて下されたか。ヒノモトは世界のヒナ型でござるから、世界の真中でござるから、ヒノモトの真中が曇り居れば世界も曇るが神仕組みにござりたのじゃ。それ由、初発にヒノモトのタテカエ致す申すも解かるでござろうが、タテナオシとて同じこと、世界の御祖のヒノモトが地軸の立ちたる新つ地を、地の日月の神成る自覚を開き持ち、統べるマコトで範を垂れ、口舌の無い世に整えて、ミロクへ結ぶが天命にござるのぞ。何事もヒノモトから始まるのじゃ。タテナオシに入りて暫くは、何かとゴタゴタ致すのであるが、岩戸は既にタテカエの最後の最後に開けて居る由、ミロク様も代にお出まし成されて居られるから、何か事ありた時には大神様がご守護を出されるぞ。この方からも、それはこう。あれはこう。申してあるから、汝は立てたマコトを持ち行きて、神と共に天命を歩んで下されよ。タテナオシ申すはスメラのミタマの天命にありて、この方とその方で共に耕すご苦労じゃ。ミロクと統べりたその時に、この方からマコトにご苦労様でござりたと、厚く御礼申し上げ、末代名の残る万古弥栄の誉れの響きと鳴らしめさせて頂くぞ。汝等皆々、危うき身欲は控え捨て、天命自ら掲げ持ち、ミロクを結ぶそのための、基と鳴るため今今を、三真釣り持ち行き魂磨き、嬉し喜び行なして、マコトの響く者と成り鳴りて下されよ。身欲残すは恥を残すぞ。善いな。

 九条の構えの九御座の、大事なヒノモト神座に、欲を基の神々を、魔釣りて据えたままにては、解け滅ぶがお仕組みの、元つマコトの神真釣り、上がダメなら、下だけで、尊きミロクを迎えるに、仕組み構えの在り様は、汝等お一人お一人の、基の内に構えたる、九御座真中の五(イツ)の座を、クニツチ思う幽の座を、元つ天地に生かされる、元つ天地の大恩に、マコト気付きて神カエリ、御祖の御心知らずして、かけたるご苦労恥じ詫びて、感謝に鳴り鳴る響き持て、欲にケガレし幽の座を、洗い清めて透け切らせ、元つ天地の大神を、崇め敬い真釣ろうて、授くマコトを護持致し、透け切る幽の御座にて、形顕す水添えて、和して真釣ろう響きにて、地のへにマコトを鳴り鳴らす、四五六(ヨイツム)統べるが汝等の、日月の神鳴る御ハタラキ。透け切る真中を護持するは、日々生くる汝等の、ヒトの座真釣るが基にて、マコト真釣るの一二三鳴る、口に違わぬ心行を、神座座します言魂を、真釣り敬い気を付けて、透けりた幽の座心の座、マコト構えて組み成して、日々結び鳴る響き、水の清きを行鳴すが、三真釣り持ち行くマコトなり。

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