はなみのみ たまのみかけの
  さありけり あさのけかみの またみのみなは

(花実の見 玉の御影の 座在りけり 朝の気神の 真民の御名は)

解説

花実(はなみ)は「花と実。」「名と実 (じつ) 。」、見(み)は「見ること。また、はたから見える物の状態。」、影(かげ)は「日・月・星・灯火などの光。」「目に見える物の姿や形。」、気(け)は「そのものがもつ要素や傾向。また、それが感じられる状態・気配。」の意味です。

余談

この歌は、「ベールの彼方の生活」の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『ベールの彼方の生活 第3巻 天界の政庁 第1章 天使による地上の経綸』(「スピリチュアリズム文書」さん)


雑感

下記参照。

『ヨハネの黙示録 第19章』(「WordProject」さん)


『ヨハネの黙示録 第20章』(「WordProject」さん)


『ヨハネの黙示録 第21章』(「WordProject」さん)


『ヨハネの黙示録 第22章』(「WordProject」さん)


この部分すごいな……。

ヨハネ黙示録は予言の部分がよくクローズアップされているけれど、改めて読んでみたら本質はそこじゃないのか……。

もう善と悪が永遠の別れ別れになって、愛善の徳を積んでおかないと、永遠の地獄いってまう、ってことやん。つまり、もう輪廻転生もなくなって、悪はますます悪となって、神の世界に永遠に戻れんってことやんか。

下記参照。

『D語録 〜30.ヨハネの黙示録 解説  その3〜』(「旦那の部屋」さん)


てか、ちょっと想像してみると、そこでの異界の地獄の様相がマジでやばいんやけど……。


(以下グロ表現あり。嫌な人は飛ばして下さい)


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そこでは、いわゆる「聖者」や「勇者」と呼ばれる人達が、異界のモンスター達にあらゆる拷問にあったり凌辱されているけど、その異界の世界での「聖者」や「勇者」は、本当の「聖者」や「勇者」ではなく、今この現実世界と呼ばれる世界で、聖者の振りをして他者を食い物にしていた人や、勇者の振りをして他人を虐げていた人たちのようだ。

その人達は、もうそういう「振り」をしすぎて、魂の奥深くまで沁みついてもうたから、本人は心底自分は「聖者」や「勇者」と思っているから、表面だけ神聖そうな衣服を身に着けたり大言壮語なことを言っているけれども、肝腎の中身がないので、ひどいことをされっぱなしのようだ。

だが本人たちは、悲惨な死に方をするその瞬間まで、自分は「聖者」や「勇者」だと心底思い込んでいるので、また生まれ変わって永遠に同じことをしている、ということに……。

一方、異界のモンスターや悪魔達は、神を貶めることを最上の喜びとしているけれども、その時にはもう、本当の神様とは永遠に離れ離れになってしまっているので、それは叶わなくなっている。

なので、上記のようなニセの「聖者」や「勇者」を標的として、それら相手ならば100%勝てるので、どこまでも貶めることが出来るので、それら相手にあらゆる拷問や凌辱をすることで、自らの願望を満たしているようだ。

今迄は、本当の神様を相手にしていて、当然のことながら勝てなくて悔しい思いをしていたが、自分の思い通りに出来なくて歯がゆい思いをしていたが、その異界の世界では、自らが神のごとく振舞うことが出来るので、そのモンスターや悪魔達にとっては、天国といっても過言でもない環境のようだ。

一方、虐げられてばかりのニセの「聖者」や「勇者」の人たちも、「聖者」や「勇者」の「振り」をする、ということに最上の喜びを見出しているので、本当の「聖者」や「勇者」が一人も居ないその異界の世界では、自分が(本当は偽物なんだけど)「本物の聖者」となり「本物の勇者」となれるので、いくら悲惨なことをされても、その悲惨なことをされていること自体が、自分が聖者或いは勇者である証と考えて、そこに喜びを見出しているみたいだ。

だが、そこで繰り広げられている模様は、到底常人には理解できない類のものばかりだ。

とある場面では、(ニセの)「聖者」が机の上に大の字に縛られており、生きたまま全身の血を抜かれ、生きたまま身体を切断され、周りにいる悪魔どもが、イヤらしい笑みを浮かべながら、その絶叫を聞いていたりする。

そしてその(ニセの)「聖者」が事切れた後、その(ニセの)「聖者」の血を、赤黒い……というか、ほとんどどす黒いのだが、それら色とも言えない色の宝石の装飾を施した銀色に拝に並々と注ぎ、同時に(ニセの)「聖者」の肉を生で、或いは軽く炙って、縁(ふち)に黄金色、さらに内側に深い紺色の装飾を施した白い皿に盛って、その焼けた肉の死臭に鼻をうごめかしながら、滝のようなよだれを垂らし、その肉の一切れを、今まさに口に入れんとしながら、恍惚としている、というような具合だ。

そのようなことが幾度となく繰り返されているが、さらにこの(ニセの)「聖者」が女性の時はさらに悲惨な光景で、それは「女性」を象徴する二つの乳房が切り取られ、まるでステーキに添えられたジャガイモやブロッコリーのように、皿の上に盛られている、という点だ。


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……というような、ちょっと、頭がおかしくなりそうな光景が繰り広げられている。

 

大きく見ると、この異界の地獄に居る全員は、命を尊ぶ振りばっかりしていたから、命尊(めいそん)の振り(ふり)だったから、ヨハネ黙示録の「いのちの書」に名前が載らなかった、ということなんやろか……。

一方、上記の「第1章 天使による地上の経綸」の最後にある靴職人の話にもある通り、この世での地位が低くても、そこで最後まで愛善の行為を貫いた人は、(永遠に生きる)天界で、相当高い地位に行く、と……。

そういや下記ブログでも、掃除のおばちゃんが死後の世界では〇〇大神であった、とか書いてあったな……。

『碌でなしのロクは【禄(6)】を待たない者の意で、禄(6)が無い者は天国天人界には行かない。何故に、6の数字が天国界に導く?。』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)