しきしまの やまとたましひ
  きよきちき よきひしまたと まやのましきし

(敷島の 大和魂 清き地祇 良き美詞またと 馬屋の汝規し)

解説

大和魂(やまとだましい/やまとだましひ)は「日本民族固有の精神。勇敢で、潔いことが特徴とされる。天皇制における国粋主義思想、戦時中の軍国主義思想のもとで喧伝された。」「日本人固有の知恵・才覚。漢才 (からざえ) 、すなわち学問(漢学)上の知識に対していう。大和心。」、地祇(ちぎ)は「地の神。国土の神。国つ神。」、馬屋(まや)は「馬を飼っておく建物。馬小屋。うまや。」「宿場。宿駅。駅 (うまや) 。」、汝(まし)は「二人称の人代名詞。みまし。いまし。おまえ。」、規す(きす)は「決まる。」の意味です。

余談

この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第22巻 第5篇 神界経綸 第20章 三の魂』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)


雑感

日月神示参照。

『光の巻しるすぞ、地(くに)の日月の神とは臣民の事であるぞ、臣民と申しても今の様な臣民ではないぞ、神人共に弥栄の臣民の事ぞ、今の臣民も掃除すれば九二(くに)の一二(ひつぎ)の神様となるのざぞ、自分いやしめるでないぞ、皆々神々様ざぞ。もの頂く時は拍手打ちて頂けよ、神への感謝ばかりでないぞ、拍手は弥栄ざぞ、祓ざぞ、清めぞと申してあらうが、清め清めて祓ひてから頂くのざぞ、判りたか、次の五の巻の謄写(とうしゃ)は四十九でよいぞ、十は神よきに使ふぞ、前のも十はよきに使ふたぞ、判りたか、皆に分けるぞよ、次は十二の巻の中からよきに抜きて謄写よいぞ。』(光の巻 第一帖)

『万物の長とは神の臣民の事であるぞ、世界の人民も皆万物の長であるが、この世の神は臣民ぢゃぞ、神に次いでの良き身魂(みたま)ぞ、臣民は地(くに)の日月の神様ざぞ。火の粉でやけどするなよ、気付けおくぞ。世に出てゐる守護神のする事知れてゐるぞ。元の生神様 御一方(おんひとかた)御力出しなされたら手も足も出んことになるのぢゃ、神力と学力とのいよいよの力くらべぢゃ、元の生神様の御息吹きどんなにお力あるものか、今度は目にもの見せねばならんことになったぞ、肉体ばかりか、魂までのうにならふやも知れんぞ、震へ上がるぞ。理が神ぞ。理が神の御用ざと申してあろがな。』(梅の巻 第十二帖)

下記参照。

『三六九の56億7千万の数字の仕組みで知る第8の世 その1。数霊で解き明かす馬小屋の救世主とは?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)


『霊学№84 みろくの世とは第8の世で、蜂(8)で永遠(∞)に巣別れ(分離)。一死七世?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)


『最古の言語は日本語と決定づけた あるキーワードをGoogle翻訳などであらゆる言語に変換して楽しめます!』(「旧皇族 華頂宮チャンネル」さん)


動画のコメント欄に下記コメントがあるけれど、もしかしたら神言会さんの「脱穀機の型が、馬小屋の救世主?」の話とつながっているのかもしれない。

--------------

それに加えて、英語教師の友人によると、英語には「馬小屋」を表す単語には「bern」と「stable」があり、「安定」という意味を持つ「stable」が「馬小屋」を指すようになったのは13世紀のことで、それより古い時代は「bern(大麦用の納屋?)」=馬小屋だったそうです。

--------------

つまり「馬小屋=bern(大麦用の納屋?)」なら、脱穀機もあったのかもしれない、と思ったり。