なかまたみ つみのしんけき
たまてりて またきけんしの みつみたまかな
(汝が真民 積みの神劇 玉照りて 全き顕示の 三つ御魂かな)
解説
汝(な)は「そなた。おまえ。▽対称の人称代名詞。目下の者や親しい者に対して用いる。」、真(ま)は「(名詞・動詞・形容詞・形容動詞などに付いて)りっぱな、美しい、などの意を表す。」、積む(つむ)は「重ねる。積み重ねる。」「(船や車などに荷を)載せる。」「ふやす。増す。」、全し(またし)は「完全だ。欠けたところがない。」、顕示(けんじ)は「わかるように、はっきりと示すこと。」の意味です。
余談
この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。
『霊界物語 第22巻 第5篇 神界経綸 第18章 布引の滝』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)
雑感
この第18章は、何気に重要な部分なのかもしれない。
「女や子供に御神徳、否肝腎な御用を御命じになるさうです。」と書いてある。
昔見た「波動気功研究所」というHPでは、この地球上では「男性性」と「女性性」のバランスがまだ悪く、今は「男性性」の悪い部分が出て戦争とかになっているので、今後は(肉体的な性別に関わらず)「女性性」を発揮することが重要、みたいなことが書かれてあったと記憶している。
出口王仁三郎聖師は「変性女子」ともされているが、聖師様の裸の映像を見ていると、やたらに胸が大きい。そして、いろいろな大本文献を読むと、子供のように無邪気だったそうだ。
下記参照。
『王仁三郎の映像 「聖師さまの戯れ姿」』(「愛善苑」さん)
要は、(肉体的な性別が男であっても女であっても)女性性が豊かで、赤子のような心を持った人に、肝腎の御用を命じる、ということではないだろうか。
そういう意味での「女子」(=女+子)でもあるように感じる。
また下記のような部分もある
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併し乍ら聖地に於ては門掃き、草むしりばかりやらせられて居つた吾々両人が、肝腎の教主様の御微行の御供を~~。
心の底迄見抜いた谷丸、滝公の両人をして御供をさせますれば~~。
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この部分は、要は社会的に底辺にいる人々の中で、「谷」の底にいても性格が「丸」い人とか、「滝」壺に落ちるような感じで、社会的地位ががくんと落ちた人でも「公(おおやけ)」のことを考えて行動している人とかが、神様の肝腎な御用を命じられる、という感じもする。
と同時に、そういう底辺に落ちる状態になっても、身魂を常に清く丸くして、天下公共のために尽くせよ、というお示しでもあるような気がする。
またこの章は、玉能姫が十余の荒男に囲まれた時に、武術を使って前後左右に投げているシーンもある。非常に合気道っぽい感じがする所も見どころではないだろうか。