かみのきの ももくさきとく
  らきのめの きらくときさく もものきのみか

(神の義の 百種奇特 羅綺の女の 喜楽と奇策 桃の木の実が)

解説

義(ぎ)は「道理。条理。物事の理にかなったこと。人間の行うべきすじみち。」「利害をすてて条理にしたがい、人道・公共のためにつくすこと。」「意味。わけ。言葉の内容。」、百種(ももくさ)は「多くの種類。くさぐさ。さまざま。」、奇特(きとく)は「神仏などの不思議な力。霊験。奇蹟。」、羅綺(らき)は「羅(うすもの)と綺(あやぎぬ)。美しい衣服。綺羅。」、女(め)は「女性。おんな。」、喜楽(きらく)は「喜びと楽しみ。喜び楽しむこと。」、奇策(きさく)は「普通の人には思いつきにくいはかりごと。奇抜な策略。奇計。」の意味です。

余談

この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第10巻 第1篇 千軍万馬 第21章 桃の実』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)


雑感

そういや霊界物語で、出口王仁三郎聖師は「喜楽」の名前で呼ばれていたような……。

下記参照。

『霊界物語 第37巻 第1篇 安閑喜楽 第2章 葱節』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)


そんで出口王仁三郎聖師に懸ったとされる小松林命は、下記によると武内宿禰とあり、神功皇后つながりで、やっぱりオリオン星の化身ともされる住吉三神と縁がある、ということなんやろか。

住吉と言えば松が有名だし……。

『小松林命』(「オニペディア」さん)


また下記によると、底筒男命・中筒男命・表筒男命に、わざわざ「男」と付けてあるのはカモフラージュで、本当は女神だ、と紹介されている。

『「武内宿禰が語る・仁徳天皇陵と古代河内王朝の謎」第七十三世武内宿禰と行く秘授口伝ツアーVol.10 大阪』(「WONDER OTSUKA」さん)


男だけど女だとしたら、そのまま変性女子の瑞の御霊やんこれ……。

さらに下記霊界物語では「桃の実」は瑞の魂(たま)とあるが、瑞の御魂である出口王仁三郎聖師の存在自体が型とすると、これは「瑞の魂→水の魂→水(晶)の魂」なのではないのか?

『霊界物語 第9巻 余白歌』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)


大本神諭では、よく「水晶の世」「水晶の魂」という言葉が出て来る。

『大本神諭 明治36年旧6月4日』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)


日月神示や火水伝文にも、同様の趣旨のことが出て来る。

日月神示参照。

『神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちて うれしうれしの世となるのざぞ。』(天つ巻 第二十帖)

『世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、民草とは一人をまもる入れものぞ、ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。』(下つ巻 第三十七帖)

『悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、草木はそれぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊に神の国の臣民みな、まことの光あらはしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。結構な血筋に生まれてゐながら、今の姿は何事ぞ、神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。』(富士の巻 第七帖)

『江戸の仕組 江戸で結ばんぞ。この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ。まだまだ敵出て来るなれど、神心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎んではならんぞ、敵も神の働きぞ。神は六ヶ敷いこと云はんぞ、神に心皆任せてしまうて、肉体慾 捨ててしまふて、それで嬉し嬉しぞ。神が限りなき光り、よろこび与へるのざぞ。いやならいやでそなたのすきにしてやりてござれ、一旦天地へ引上げと申してある通りになるぞ。一度の改心六ヶ敷いからくどう申してあるのざぞ。今までほかで出て居たのは皆 神示先(ふでさき)ぢゃ、ここは神示(ふで)ぢゃ、何時もの如く思って居ると大変が足元から飛び立つのざぞ、取返しつかんから気付けてゐるのぢゃ。何れは作物(つくりもの)取らしておくから、沢山取れたら更に更に愈々ざと心得よ。神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、マコトが元ざぞ。タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申すのぢゃ。○とヽをまつりたものぢゃ、物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ、マコト一つの道ざと申してあろがな、わかりたか。ミタマ相当にとりて思ふ様やりてみよ、行出来ればその通り行くのぢゃ、神に気に入らん事スコタンばかりぢゃから、引込み思案せずに堂々とやりて下されよ。こんな楽な世になってゐるのぢゃ、屁(へ)も放(ひ)れよ、沈香もたけよ、ふらふらして思案投首この方嫌ひぢゃ。光る仕組、中行く経綸(しくみ)となるぞ。』(風の巻 第六帖)

火水伝文参照。

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 こ度の天意転換は、この宇宙創りたる始源より決まりてありたことなのぞ。汝等の宇宙、光ひとつ上ぐる仕組み、七つに別けて進み来たりたのじゃ。こ度がその最期なり。七期目の仕上げの時になりたのじゃ。しかあれ、こ度の大変は天意転換なるが由でなきこと、先ず知りおきて下され。世界の人民様ケガレ無くありたなら、マコト麗しき幕の上がりでありたのじゃ。なれどケガレ逆巻く気枯れ世と成り成してしもうたが、こ度の大変招きしワケ成るぞ。

 こ度ケガレ祓うは元つ神なるぞ。こ度はハラとアタマの戦ぞ。神力と学力の戦いであるぞ。アタマ『あやま知』用いて汝等の神気いずるを封じ込め、さんざん世を気枯れケガラし【マコト】無き世と成さしめたのじゃ。神にはアタマを操るの仕組みし企み、すべて解かりて居る由、最後の最後の最後のところで見事ひくり返し、あっぱれ新しき御代建てるも心配無きが、人民様にはこれよりひと苦労ふた苦労、地獄の苦労もせなならん者もあるから、しっかり【マコト】持ち行きて下されよ。汝等、悪神の仕組みし企み知るよりも三真釣り持ち行く【マコト】大切なるを忘るなよ。それ無くば、何を知りてもご無念ぞ。

 日本の大変が酷いのは上に立つお偉い様方、ヒノモトは《元つキの国》なるを『あやま知』に惑わされすっかりだまされ忘れ去り、神気息も出来ぬほどにケガレ気枯らしてしもうたが由なるぞ。汚してはならぬ元つ神のご神体でありたのじゃ。汚したるご無礼、末代ワビつると申せど取り返しのつかぬ事でありたのじゃ。一度は日本はもう潰れたと、誰もが思うひどき有りざまにせなならぬ。神も辛いがこれも人民様にマコト無きが由ぞ。マコト無き所にマコトの神は降りぬのぞ。
    
 神、幾度も注意を促し来たりたのぞ。されど汝等聞かず、『あやま知』に目がくらみ我欲に囚われておりたのじゃ。由に申して居る、こ度の災難、天意転換の仕組みより受くるのでないぞ。神仕組みで無いぞ。汝等自身の仕組みし大変の事なるぞ。巷で騒ぎつる世の破滅、汝等の仕組みし世を祓う大掃除のことであるぞ。

 今までの世でありたならケガレと光、共にあることも仕組み有りて出来たことなれど、新しき御代になりたればケガレと光、共にあること適わぬのじゃ。仕組み変わるのじゃ。このことよくよくハラに入れて下されよ。今迄の神仏説きし転生は古き教えの中でのことじゃ。今迄は中つ世の神々のお役目なればいたしかたなくありたなれど古き転生の教えこ度で終わりぞ。取り違え致すなよ。
    
 こ度の事は元つ神の仕組みなれば、中つ神々様でも解からぬ事ぞ。元つ心にスミキリてなくれば神々と申せど何処へも逃げおおせぬお仕組みなるぞ。光ひとつ上ぐるのじゃから、ケガレ持ち越せぬのじゃ。汝初めてのこと由、解かり難きも無理なきが、ケガレ持ちたまま何処へ生まれ落つるつもりぞ。こ度は汝の生まれ落つる所、何処にもなきぞ。神、許さぬが由ぞ。これ程申してもマコト持ち行けぬ者、止むなし。その者の最も避けたき苦難、万倍の有りざまにして未来へ打ち捨つる外なきも解かるであろうが。もう神、待たれんのぞ。

 汝、マコト神の神民なから身魂の大掃除、自ら勇んでして下されよ。ケガレ自ら払うミチ、こ度の、神の、手伝いと、知るが始めのマコトミチ。解かりたか。

 しかあれ、こ度の大掃除は人民様だけでは大変なから日本の国の上に立つお偉い様方のマハタラキ大切でありたなれど、身魂既に病み重きに至り、曇りに曇りて九分九厘、天の賊と成り果てしもうておるのぞ。改心既に遅く、もはや痛い目見るより外なき有りざまと成りてしもうたのじゃ。由に残されしマコトの神民一人一人、早う改心伝うるが、このフミ出せしワケなるぞ。とどめの伝うるフミなるぞ。スミキリてスナオに聞くがお蔭受く取るミチノリと思い励んで下されよ。

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 今までの世は、悪の力が強ければ強き程、上へ上へと上がれた世なれど、既に悪の世は終わりて居るのぞ。今今に悪に見ゆるはこ度の大掃除の舞台造り由、勘違い致してまだまだ悪の世が続く思いて、好い加減なことをなして居ると、残念では済まなくなるから、今今に心入れ替えて、清まれる程に心鍛えて下されよ。

 新しき御代は、汝等も含め万象万物マコトのもので無くれば、生くるは適わぬ御代にござるから、何事も上から下までマコトがキリリと立て分けられて何でも透けりて解かる御代で御ざるから、人民様皆々ご安心なされて得心なされて全く口舌の無いご苦労も悩みもない、嬉し楽しの歓喜弥栄の御代となりて来るのじゃ。マコト持ち来た汝等が、幾久しく待ちて居りたは知りておるのぞ。嬉し慶び取りて善いのじゃぞ。新しき御代に入るれば、もはや悲しき目には合わせぬ由、ミロク代至るまで今暫しの辛抱じゃ。富士動くまで何がありても堪えて下されよ。死に急ぎなさるで無いぞ。時至りなばこの方とミロクの岩戸を共に開かん。
    
 こはマコトの事であるぞ。安楽な身欲な思いにある者は、今今にこのフミ誰ぞ他のお方に渡しておくれ。汝には関わり無き御代ざ思うがよいぞ。脅しで無いぞ。か程きつう申すは、人民様は近欲なから、思いの一分なりと叶えばなぞと申して欲少なき如く申して居るが、この方から見あれば臭き心根でござるぞ。そはマコトのことは必ず成就致すを知らせあるに、マコトを鳴り成らせるは今の人民様には大層な難儀にござるから、難儀な事は程々に気楽に楽しんで出来るなら、余りに酷きザマにならぬ程に、思いの一分なりと叶えば儲けものと、心底思いて居る由、ご自分のご都合の宜しきところだけを、つまみ食らう算段が見え見えでござるからぞ。もはや身欲丸出しの見苦しき姿にも気付けん程の曇りザマでござる。

 そう成りて居りてはフミにてヤ和すも、母にてヤ和すも出来んから、鬼となりてヤ和す由、一挙に一度で致す三歳苦難のタテカエまで控えて居れ、申して居るのじゃ。大層な難儀はこの方に安心致してお任せ下され居れば、それで善いのじゃが、こ度の汝ご自身のマコトは、どうありても汝ご自身で取りて下さらねばならぬ由の伝えフミであるぞ。今までと同じような思いでありたら危ういぞ。

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 解かりて下されたか。ヒノモトは世界のヒナ型でござるから、世界の真中でござるから、ヒノモトの真中が曇り居れば世界も曇るが神仕組みにござりたのじゃ。それ由、初発にヒノモトのタテカエ致す申すも解かるでござろうが、タテナオシとて同じこと、世界の御祖のヒノモトが地軸の立ちたる新つ地を、地の日月の神成る自覚を開き持ち、統べるマコトで範を垂れ、口舌の無い世に整えて、ミロクへ結ぶが天命にござるのぞ。何事もヒノモトから始まるのじゃ。タテナオシに入りて暫くは、何かとゴタゴタ致すのであるが、岩戸は既にタテカエの最後の最後に開けて居る由、ミロク様も代にお出まし成されて居られるから、何か事ありた時には大神様がご守護を出されるぞ。この方からも、それはこう。あれはこう。申してあるから、汝は立てたマコトを持ち行きて、神と共に天命を歩んで下されよ。タテナオシ申すはスメラのミタマの天命にありて、この方とその方で共に耕すご苦労じゃ。ミロクと統べりたその時に、この方からマコトにご苦労様でござりたと、厚く御礼申し上げ、末代名の残る万古弥栄の誉れの響きと鳴らしめさせて頂くぞ。汝等皆々、危うき身欲は控え捨て、天命自ら掲げ持ち、ミロクを結ぶそのための、基と鳴るため今今を、三真釣り持ち行き魂磨き、嬉し喜び行なして、マコトの響く者と成り鳴りて下されよ。身欲残すは恥を残すぞ。善いな。

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 新しき御代の体申すは、新た鳴る高き響きにて真釣ろい創りあるのぞ。響き一つ上ぐりて居るのじゃ。光一つ上ぐる伝え知らせあろうがな。この方が汝等に生きありても、死にありても三真釣り持ち行き、マコト磨け申したは、この事に関わりて大事な事にてある由、くどうくどう申し来たりたのじゃ。そは汝等のミタマ、マコトの響き無くあれば、新しき代の肉のお宮に入るは適わぬからであるぞ。光一つ上ぐりた肉のお宮に収まれるだけの、ミタマに鳴りておい出なされませ。
    
 申すも辛い事なれど、今ザマの人民様のありザマにありては、適わぬ事と知り置かれよ。なれば汝等皆々神の響きを行成す者と成り鳴りて、一人でも多くの方々に真釣りあるを知らせくれよ。三真釣り持ち行き鳴するがミチぞ。解かりたか。

 今今は心曇りて居るが由、ご自身自ら、アタマでご自身の体をバラバラに分け縛り付けて居られるから、体の各部は益々酷き有り様と鳴りて居るのぞ。日本が世界のヒナ型申すは、汝等も世界のヒナ型申すを言うのであるぞ。真釣り役の胴体がふ抜けて居りては、ご自身のお体が真釣れぬ同様、世界が真釣れぬも無理無かろうが。この方がヒノモトの人民様に厳しく申すは、この事在りて有るが由ぞ。汝等ヒノモトの民申すものは、地球世界を真釣り背負わねば鳴らぬ、スメラの御ミタマにござるのぞ。汝等の申す、人知に汚れた、への突っ張りにもならぬ話をして居るので無いぞ。数ある民魂の真中の御役、最も辛きご苦労の、地の日月の神と統べ真釣る導き御役の響きにておわすのぞ。辛きご苦労のお身魂であるが由、枝葉とタテワケ、一段も二段も上の響きのご苦労に堪えれる様、【元つキ】の直の御チ筋を引かせあるのぞ。中身のご苦労もなさらいで、カタチばかりで取り違え、日本は偉い偉いなぞ申し参りても、ハラにマコトの一厘も無きが者の成さり様は、犬、猫にも恥ずかしい限りであるぞよ。自らの真中のマコトが解からぬから、カタチばかりの言の葉で、体裁を作りて我が一番、我が一番等と威張り合うて参りたから枝葉の身魂にも劣る、悪き身魂に落ちてしもうたのじゃ。

 マコトを立て持つご苦労を、堪えて厭わぬおハタラキが、出くる身魂を上段の霊魂、申すのぞ。少しは恥を知りて下されよ。それだけの霊魂授かり、地の日月の神と鳴り成さる御チ筋にありながら、今のザマは何たる事ぞ。ハラが枝葉のやり方真似てどうするのじゃ。未だにハラにマコトの無き者は、アタマの毒に侵され居るから、自ら選んで成りた訳でもないに迷惑じゃ等、申す者も居られ様が何度も申し伝えある様に、そが者どもは、この方一人も要らんから、お邪魔せぬ様下がって見て居れ申し居ろうがな。枝葉は真釣るを知らんから、我善し勝手に持ち荒らし、やがて潰えてしまうから、そうなりてからでは遅いから、可哀想なから、枝葉束ねる汝等に早う五体統べ真釣りて下され申し来たのであるぞ。世界を統べ真釣りて下され申すも同じぞ。肝腎要の真釣りが外され居りたのじゃ。

 真釣り統べるがハラのハタラキにござるのぞ。ハラにマコトが据えてござらぬから、腰が座らんのであるよ。ハラに真釣りの何かが解かりてござらぬから、アタマが取り違えを致して、我善しで何をやりても良い思い込みて、五体を好き放題我善し力で使い動かしありたのじゃ。なれど真釣りて使うて居らぬから、バラバラに不都合出ありて、継ぎ接ぐマコトの無き世となりたから、五体各部も何が何だか解からぬままに、我善し力のやり方で自由勝手に真似だして、更鳴る魔釣り世となさしめたのじゃ。しかあれ皆々真釣りて無きが由、皆々段々衰えて参りて、先行き不安となりたところで、体(地球)の栄養を一人受け居る、結構なハラ(日本)が悪いとアタマが仕組み煽りて、四体を巻き込みハラを弱らせ攻め入りて、何としても真中のハラを我が物と致して、胴を奪いて五体(世界)の魔コトの王にならんと画策致し居るが解からんか。日本の上を預かる者どもは、これより訪れ参る外圧に、好い加減なところで妥協せんとなされるが、そは適わぬ事と知り置かれよ。この方が許さぬなり。そが時、汝等マコトの者は世間より悪く悪し様になされる由、今今よりシカリ、心鍛えてマコト護持出くる様、気張りて下されよ。

 アタマが何をなさろうが、ハラがマコト真釣りを少しでも致して居れば、如何様にも持ち直す事は出来たのであるぞ。今の世の酷き有様はハラにマコトが無い由に、アタマのやり方を善き様に吹き込まれ、思い込まされ、身欲に走りて信じ込み、行に結びたが終わりの始めとなりたのじゃ。今今になりても、世の識者呼ばれる者共や宗教家申す者共は、マコト耳に入れども聞きもせず、見せども見えぬあき盲ばかりでござるから、日本はだまされて居りたのじゃから、日本ばかり責めいで下され等と物知り顔で申すなれど、そは今今に至りても尚、ヒノモトの真姿の見えぬ大ウツケの申し様でござるぞ。マコトの事が解かりて無くあれば、人民様のお邪魔にならぬ様、口を慎み、心を慎み、行を慎みて黙って見て居れよ。

 汝等の申し様は、親が子にだまされ成せし悪なれば、ワレばかり責めねで子も責むが公平なり、と申すが如きぞ。何たる情け無きザマであるか。恥を知りて下されい。ユダヤのミタマ申すは、大き構えが陽の構えでござるから、ハタラキは水の御ハタラキと鳴りて居るのぞ。情けと花の表の音色じゃ。スメラのミタマ申すは大き構えが陰の構えにござるから、ハタラキは火の御ハタラキと鳴りて居るのじゃ。情けと花の裏の音色ぞ。どちらがどちらを背負うのか、これでハキリ解かりたでござろうが。世界の人民様申すは、すべて皆々大神のご大切なる御子なれど、汝等の兄弟にてはあらぬ者なり、汝等は親なり、世界の人民様は皆々、汝のお子なり。この神仕組み取り違い居りていては、世は滅ぶなり。今までの考え様、さっぱり捨てて下されと、くどう申して居ろうが。マコトの解からぬ神や仏にいつまでも使われて居るからそのザマであるぞ。

 よきか、今今の汝等のマコトの有り様申すものは、汝等ご自身のお子を自ら殺すか生かすかの瀬戸際に立ちて居るのぞ。今一歩踏み選べばどちらかに決まりてしもう瀬戸際じゃ、申して居るのぞ。人類皆兄弟等と腰抜けたる思い様にありては易きミチに入るは必定。目も当てられぬ残念ご無念でござるよ。

 親と申すものは、子にマコトを立て開くがハタラキでござるのぞ。マコト真釣りて行に結ぶを【口、心、行】にて開き渡すなり。顕すなり。子にマコトの開くのを【情け】と【花】にて見守るが、親たる者の有り様でござろうが。情けの表は【真釣る厳しさ】であるぞ。情けの裏は【忍ぶご苦労】でござるよ。花の表は【行に結びた形】にござる。花の裏は【散らぬマコトの花一輪】ハラに咲かせしことなるぞ。見守るご守護のハタラキは、表に立ちては適わぬぞ。下に下り下りて与えるが陰のご守護の基なり。親と申すはこれ程のご苦労の御役なり、さればそれだけの力与えあるは、幼子にありては尚、解かる道理でござるのぞ。

 【散らぬマコトの花一輪】汝のハラにも、お子のハラにも、見事咲かすが出くたなら、万古末代弥栄じゃ。どうでも利かぬお子であれば、強きメグリ背負いたお子なれは尚の事、今生に覚え無くありても、何時の世かで共に真釣りを崩す様な因縁を持たれたは、明々白々であろうから、お子を神と崇められ、お詫びの響きを感謝に繋げ、汝が三真釣り持ち行きて、マコトに結ぶご苦労を少しでも早うなさりて下されよ。メグリ申すものは、真釣りた響きで逃げも和するも致すのざから申して居るのぞ。やって見なされよ。この方がついて居る言うて居ろうが。

 汝等、世界の人民様の親なれば、世界の人民様より一段も二段も上の霊魂授けあるを伝え知らせあろうがな。偉い偉く無いの話で無いぞ。尊き神真釣りの基であるぞ。いつまでもイシヤの仕組みに引っ掛かりて居りて、この世にありもせぬ自由・平等・博愛なる戯言に振り回された挙げ句、不自由・不平等・不博愛なる世を創り上げてしもうた事に、まだ気付かんか。アタマの創りた『あやま知』の世にありては適わぬ事でありたのじゃ。自由・平等・博愛なる、マコトの響き言うは【真釣り】た全一如の和したる響きなかりせば、有りは致せぬ事なのぞ。親有りて子が有るのであろうが。神有りて人が有ると同じ事ぞ。汝等皆々、宇宙コトワリの似姿なると申し伝えあろうが。親なる中心が有りて、幹なる中心が有りて初めて枝葉に全一如のハタラキが出くるのであろうが。こに自由・平等・博愛なることどもは、猛々しく言挙げさるるも無く、至善に生き活かされあるのでござろうが。日本の人民様、良い加減にシャキッと目を覚まして下されよ。自覚無き申しても余りのザマでござるぞ。真中が真釣りを忘れて居りてはどうする事も出来はせんぞ。五体におきても同じ事ぞ。ハラは五体の基なり、親なり。胴が無くれば五体バラバラであろうが。五体すべてを真釣る由、元つ気ハラに集め居るのぞ。五体すべてをかまう由、滋養ここより取るる様、型に示しあるを忘るなよ。四体、枝葉も神の御子なれば、尊き御ハタラキ持ちて居るのぞ。なれどそはハラが真釣り統べりてあれば、の事にてござるのぞ。ハラが真釣らねばいつでも逆法に鳴りてしもうは、アタマの仕組みで型示しあるは、伝え知らせあろうがな。

 ヒノモトの人民様は、世界の父親なる責を忘れて久しくありたから、今今のザマと成り果てしもうてござるが、今、最期の時。子にマコトも示せず散りて果てるは末期の恥と知りて下されよ。今今に、汝の三真釣り持ち行くが、マコト鳴り成る響きにて、汝のお子にも世界にも、マコト知らしむ型と成る。解かりたか。

 ここまで申し伝え来たなれば、よもや不足は無かろうまい。今今の時節にありては、真釣りた響き無くれば、何事も成就致せんと、くどう申し参りたが。汝に一厘のマコト残りあるなれば、今を外して、何時に使うお積もりか。こ度は万古末代二度は無い、後にも先にも一度こっきりの大層でござるぞ。今までの世は、何あろう命ありての物だねでも良かりたのであるが、これからの世申すは、マコト無くては生きられぬ神代と成るのであるから、既にその響きに入って久しくあるから、マコト有りてのお命なるを、決して忘れんで下されよ。何に付け、今生にマコト懸けての花一厘、見事に咲かすか、果て散るか、今今、この場で決めて下され。ここ今に決めれぬ者はもういらぬ。お好きな様になさるが善かろうぞ。

 この方は死に急げ、申して居るので無いぞ。逆ぞ。汝等皆々、大事な神の御子様じゃ。タテナオシの尊き天命背負いて居られる、地の日月の神々様じゃ。魔釣りの魔やかす毒牙にて、尊きおイノチ散らさるるを、この方、見るに忍びぬ由、か程きつう申すのじゃ。何がありてもマコトを護持致せ申すは、汝のハラ内に末代倒れぬマコトを立て持て申して居るのぞ。マコトが大事じゃ申しても、ケガレ逆巻く悪き世に、ご一人でマコトを掲げて正面からぶつかられては、おイノチがいくらありても足りはせぬぞ。かたひじ張らずに、避けれるものはのらりくらり機転を利かして避けくれよ。汝がことさら荒立てねば、相手もそが以上の罪ケガレ、積まねで済むのじゃ。汝の思いは次にして相手善かれの心を持つも、神の心に適うマコトにてござるぞ。汝のマコトを貫くためにもそうして下されよ。そも修行の内でござるよ。解かりたな。無駄死にはして下さるなよ。神、頼みたぞ。

 汝等皆々、こ度のご用に使うてやりたいから申して居るのぞ。ハラにマコトの立ちてる者で無くればこ度使うは出来んのじゃ。曇り残りある程に、汝ご自身が苦しゅうて、とてもご用どころの騒ぎで無いぞ。由にくどう申して居るのじゃ。身魂相応に使う申しても、【足場】の【足場】の【足場】のアの字も出来て居らん様な身魂でありてはとても使うことは出来んから、早う三真釣り持ち行きて一成る花を二成る花へ、二成る花を三成る花へ、自らにマコト持ち行く情けを課して、堪えるご苦労に勝ち行く程に、楽にご用が勤まる様に成るのであるから、ご苦労を成された分、キッチリ見取って、楽に出来るだけのご用に回してやるぞ。マコトが一番でござるから、マコトを手にして下されよ。ケガレ多き身、思えど、残るマコトの一厘で何かの神のご用をさせくれと、ケガレたとは申せ、ひそかに思うがマコト日本の人民様じゃ。この方それを知りて居る由、汝が愛しいのじゃ。何かのご用に使うてくれ申す者、一人も余さず使うてやるから、残るマコトの花一輪、何かに付けて見事咲かすが汝の務めじゃ。一厘、磨き出されて見事、水晶と成して見なされ。この方しっかと見届け致して、アッバレご用に使うてやるから、ガンバリ成されよ。

あとがき

 ご神霊のご加護、ご賛助の方々のお力により、どうにか皆様にお渡し出来ることとなりました。誠にありがとうございました。 
【火水伝文】(ヒミツツタエフミ)は元つ天地の大神様が、御自らの天地経綸を基に明かされた、世界に責ある私達日本人一人一人への最後の警告のお伝えでもあり、また残された日々をどう生きるかに関わる重大な指針でもあると考えます。このフミの真偽や出された経緯等々、ご興味をお持ちの方々が多々居られると存じますが、そんなことより少しでも多くの、今に大切な事柄を、このフミから汲み取って頂ければ幸いと存じ居ります。 

 今回本となりました分は【火水伝文】として拝受致しました全体の約半分ですが、ご神霊のお導き通り過不足なくお伝え出来ているものと存じます。尚、このフミは、国祖・国常立大神様のご守護、お導きのもとに、この度この世に下されたと知らされました事、この場を借りましてご報告申し上げたいと存じます。 

 また【日月は経綸の計画書じゃ。火水は経綸のワケじゃ。】と知らされ、このフミと併せ【日月神示】を必ず読まれる様、皆様に伝えよと申し渡されて居ります。どうか、お読みになられまして、大神様のご神意をお取り頂ければと存じます。 

 皆様の三真釣りが十全になされますようお祈り申し上げます。 

 平成四年四月吉日記    

 我 空 徳 生

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西王母から桃の実をもらうと不老長寿になる、とかいう中国の伝説もあるが、結論としては下記ブログにもあるように、神の奇(く)しき仕組みが成就して、身魂を磨けた人がみんな桃の実(=水晶の魂)を授けられる時期に差し掛かった、ということなのではないだろうか。

下記参照。

『龍達の威風堂々。天人達の誕生。人類の起源に関わった龍神達。』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)


『玉子(卵)を二つに割る【卯】の右左岐に対し、創造神が出す免罪符の【兔の免】とは?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)