ひらくのち かかりてかめい
  かくのひの くかいめかてり かかちのくらひ

(開く後 懸かりて下命 核の火の 苦界目が照り 蛇霊の喰らひ)

解説

下命(かめい)は「命令をくだすこと。」、苦界(くがい)は「苦しみや悩みの多い世界、すなわち人間世界。」、蛇(かが)は「古語でへびを表す言葉。」、霊(ち)は「霊的な力を持つものを表す語。複合して用いられる。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「常闇ノ皇」を聴きながら、下記ブログ記事を見て、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

数年前、ロシアがモスクワの全市民が避難できるほどの規模の地下シェルターが完成したとのニュースがあったが、下記ブログにもあるように、いよいよ第三次世界大戦が近いのかもしれない。

『アノニマスによる「第三次世界大戦の警告」ビデオ内容全文。そして、タラビッチが描く最終戦争の様子を思い出してみる』(in deepさん)
http://indeep.jp/anonymous-warns-world-war-3-is-on-the-horizon/

もっともこの噂は何年、何十年も前から言われていることだから、特に目新しいわけではないが、しかしアメリカの没落と中東で影響力が益々増すロシアを見ていると、これほどまでに現実味を帯びる時代は未だかつて無かったように思う。

かの出口王仁三郎聖師も第三次世界大戦について言及していることから、絶対に無いとは言い切れない。

『出口王仁三郎「大三災はこれから」』(月は盈つとも虧くるとも by oni567さんより)
http://blog.livedoor.jp/oni567/archives/1212179.html

また下記ブログでは、核戦争が起こると彗星が飛来してジ・エンドとなると書かれてある。

『< 神 の 経 綸 >』(お土のうたさんより)
http://rokushohblog.blog41.fc2.com/blog-entry-41.html

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人類が大規模な核戦争を行った場合、即座に巨大な彗星が飛来して、その時点で全てがジ・エンドとなります。

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核戦争と彗星がつながる根拠は見当たらないが、最近、日本でも緑色の火球がカメラに映るニュースや、地球近くを通過する小惑星の観測数が増えたなどのニュースに触れると、可能性としては大いにあり得ると実感せざるを得ない。

『2016年のハロウィンに「11個の小惑星」が地球近くを通過。そして、NASAのデータは、地球に脅威を与え得る小惑星の数が「15000個」と急激に増加したことを示す』(in deepさん)
http://indeep.jp/11-neo-asteroids-skim-earth-in-halloween-said-nasa/

時代の流れは止められないが、今後どうなるにせよ、全てを神様に任せながら最善を尽くすより他ないように思う。

日月神示参照。

『自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(ミチ)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思へ。如何なる悪いことも それは最善のものであるぞ。この道理よくわきまへて下されよ。真の神を理解すれば、一切の幸福 得られるのぢゃ。世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば一切はそこからひらけくるぞ。十のもの受けるには十の努力。』(春の巻 第十三帖)

『神は理屈ではない。理であるぞ。生きた自由自在の、見当とれん、絶対であるぞ。只求めるより他に道ないぞ。親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。総てを投げ出せよ。まかせ切れよ。神は喜びの光となって、そなたに現はれて来るぞ。理屈の信仰に囚はれると邪道。赤児心の理解は第一ぞ。』(黒鉄の巻 第二十六帖)

『貰うた神徳に光出す人民でないと、神徳をわれよしにする人民にはおかげやらん。自分が自分で思ふやうになるまいがな。自分が自分のものでないからぞ。自分のものなら自由になると申してあらうが。道を進めば楽に行ける。道行かんで山や畠や沼に入るから苦しむのぞ。神の仕組の判る人民二三分出来たら、いよいよにかかるぞ。未だ未だ改心足らん。神せけるぞ。魂にめぐりあると何してもグラリグラリと成就せんぞ。めぐりのままが出て来るのであるぞ。心のよきもの、神にまつりて、この世の守護神と現はすぞ。理屈は判らんでも真理は掴めるぞ。信念と真念は違ふぞ。信念は自分のもの。信念超えて真念あるぞ。任せきったのが真念ぞ。迷信が迷信でなくなることあるぞ。ぢゃと申して信念がいらんのでないぞ。もう待たれんから判りた人民一日も早く奥山に参りて神の御用結構につとめあげて下されよ。世界中を天国にいたす御用の御役、つとめ上げて下されよ。人間の念力だけでは何程のことも出来はせんぞ。その念力に感応する神の力があるから人間に判らん、びっくりが出て来るのざぞ。』(黄金の巻 第七十四帖)

『まかせ切らねばマコトの安心立命ないぞ。まかせ切るには、まかせ切って安心出来る神をつかまねばならん。おかげ信心や病気治しの神ではまかせ切れまいがな。早う合点結構ぞ。大きな生命に通ずるものには死はないぞ。通じなければ死あるぞ。』(黒鉄の巻 第二十帖)

『そなたの苦労は取越し苦労。心くばりは忘れてならんなれど、取越し苦労、過ぎ越し苦労はいらん。そうした苦労は、そうした霊界をつくり出して、自分自身がいらぬ苦労をするぞ。何ごとも神にまかせよ。そなたはまだ神業の取違ひして御座るぞ。そなたの現在与えられてゐる仕事が神業であるぞ。その仕事をよりよく、より浄化するよう行じねばならんぞ。つとめた上にもつとめねばならん。それが御神業であるぞ。そなたはそなたの心と口と行が違ふから、違ふことが次から次へと折り重なるのぢゃ。コト正して行かねばならんぞ。苦を楽として行かねばならん。苦と心するから苦しくなるのぢゃ。楽と心すれば楽と出てくるのぢゃ。ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方ぞ。そなたは悪人は悪人ぢゃ、神として拝めとは無理ぢゃと申してゐるが、一枚の紙にも裏表あるぞ。そなたはいつも裏ばかり見てゐるから、そんなことになるのぢゃ。相手を神として拝めば神となるのぢゃ。この世は皆神の一面の現われであるぞ。』(月光の巻 第六十一帖)

『神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ。悪おまかせ多いのう。魂の財産は金を得るより数倍六ヶ敷いぞ。ぬれ手で粟のやり方、カスつかむぞ。むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ。愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。左には宗教、右には芸術。』(春の巻 第二十六帖)