おいすぃ〜(^O^)/
日付変わったので昨日になっちゃうけど、嵐の番組で松潤が豚汁の達人直伝の究極の豚汁作ってるの見て早速作ってみました![[みんな:01]](https://emoji.ameba.jp/img/user/at/atsu-110/1788.gif)
通常の作り方と全然違うけど、簡単だし、具は豚肉と、豆腐と、タマネギ
豚汁にタマネギは初めて
作り方は、出汁500ml(詳細はなかったので昆布と鰹でとりました!)
そこに塩少々、味噌適宜さっくり溶かします。
豚バラ500gを入れて三分煮ます。
三分経ったらタマネギ1.3kgとお豆腐2丁入れて蓋をして20分煮込みます。
はい
これで終了
味見したら美味しかったので、明日の朝食はコレにゴハンと納豆、タマゴでOKかな
最近汁物にハマって夜な夜な作ってます
豚汁、ミネストローネ、クラムチャウダー、春雨スープetc…
朝食に身体が温まって野菜もとれて健康的
でも、やっぱり豚汁にはダイコン、ニンジン、こんにゃく、ゴボウ入れたいなぁ
![[みんな:01]](https://emoji.ameba.jp/img/user/at/atsu-110/1788.gif)
通常の作り方と全然違うけど、簡単だし、具は豚肉と、豆腐と、タマネギ

豚汁にタマネギは初めて

作り方は、出汁500ml(詳細はなかったので昆布と鰹でとりました!)
そこに塩少々、味噌適宜さっくり溶かします。
豚バラ500gを入れて三分煮ます。
三分経ったらタマネギ1.3kgとお豆腐2丁入れて蓋をして20分煮込みます。
はい

これで終了

味見したら美味しかったので、明日の朝食はコレにゴハンと納豆、タマゴでOKかな

最近汁物にハマって夜な夜な作ってます

豚汁、ミネストローネ、クラムチャウダー、春雨スープetc…
朝食に身体が温まって野菜もとれて健康的

でも、やっぱり豚汁にはダイコン、ニンジン、こんにゃく、ゴボウ入れたいなぁ

カミングアウトの理由。
一昨日は、弟の怪我の事について書きました。
なぜこうして不特定多数の方が見て下さるブログで公表したのか。
同情を買いたいわけではありません。
少しでも救われる人がいるからです。
一年前、私たち家族は脊髄損傷について知識がなく、インターネットで脊髄損傷を検索しても医学的な情報ばかりで損傷度によっては完全麻痺か不全麻痺か、損傷した脊椎部位によっても麻痺の仕方が違うとか、どこを損傷するとどういった症状が出るのかなど、一般的なものばかりでした。
弟の損傷部位は、一度目は頚椎6番7番、二度目は5番4番。上に行けば行くほど重症度が増します。
二度の脊椎損傷という例は見つからず、とにかくどんな小さな事でも希望の持てる情報が欲しがった。
暇さえあればパソコンに向かって情報を探しまくりました。そんな時に小さな希望の光となったのが脊椎(脊髄)損傷を負った方たちのブログだったのです。
同じように医者には一生車椅子だと言われたのに歩けるようになったとか、
動かなかった手足が動くようになったとか。
実際は、脊椎(脊髄)損傷といっても
十人十色です。お医者さんでも断言しきれないくらい人によって回復度は違います。それは、同じ頚椎脱臼骨折でも脊髄自体にどれだけの損傷があるのかと言うことが一番大きく、あとはリハビリ、本人の気力。
でも、当時は光を閉ざされた私たちに、微かな希望の光と諦めないで立ち向かう気力を与えてくれました。
凄く救われました。
年間の脊椎損傷者は5000人だそうです。これでもシートベルトの着用の義務化で大分減っているそうです。
同じ病院には、階段から落ちた方、貧血で倒れた時に損傷された方、スポーツで損傷された方、嘘みたいですが、学生さんが友達を楽しませようと湖や池に飛び込んだら底が浅かったとか・・・(春先や夏休みに多いそうです。)
決して縁遠いものではないと感じさせられました。
だから、きっと今もどこかで不幸のどん底に落とされ、どんな小さな事でも情報が欲しい人がいるはずなんです。
だからあえてブログに書きました。
二度の脊椎損傷を乗り越えようと頑張っている人がいると知ってもらいたくて。
弟にゴールはありません。
少しでも良くなるように闘い続けます。
一年前は本当に辛かった。
でも今は現実を受け止めながら、奇跡を起こそうと奮闘中です。
書けるようになるまで一年かかっちゃいまたけどね
弟もブログ書いてるので、一応了解ちゃんと取ってます。
ほんの少しでも微かな光となれますように・・・
なぜこうして不特定多数の方が見て下さるブログで公表したのか。
同情を買いたいわけではありません。
少しでも救われる人がいるからです。
一年前、私たち家族は脊髄損傷について知識がなく、インターネットで脊髄損傷を検索しても医学的な情報ばかりで損傷度によっては完全麻痺か不全麻痺か、損傷した脊椎部位によっても麻痺の仕方が違うとか、どこを損傷するとどういった症状が出るのかなど、一般的なものばかりでした。
弟の損傷部位は、一度目は頚椎6番7番、二度目は5番4番。上に行けば行くほど重症度が増します。
二度の脊椎損傷という例は見つからず、とにかくどんな小さな事でも希望の持てる情報が欲しがった。
暇さえあればパソコンに向かって情報を探しまくりました。そんな時に小さな希望の光となったのが脊椎(脊髄)損傷を負った方たちのブログだったのです。
同じように医者には一生車椅子だと言われたのに歩けるようになったとか、
動かなかった手足が動くようになったとか。
実際は、脊椎(脊髄)損傷といっても
十人十色です。お医者さんでも断言しきれないくらい人によって回復度は違います。それは、同じ頚椎脱臼骨折でも脊髄自体にどれだけの損傷があるのかと言うことが一番大きく、あとはリハビリ、本人の気力。
でも、当時は光を閉ざされた私たちに、微かな希望の光と諦めないで立ち向かう気力を与えてくれました。
凄く救われました。
年間の脊椎損傷者は5000人だそうです。これでもシートベルトの着用の義務化で大分減っているそうです。
同じ病院には、階段から落ちた方、貧血で倒れた時に損傷された方、スポーツで損傷された方、嘘みたいですが、学生さんが友達を楽しませようと湖や池に飛び込んだら底が浅かったとか・・・(春先や夏休みに多いそうです。)
決して縁遠いものではないと感じさせられました。
だから、きっと今もどこかで不幸のどん底に落とされ、どんな小さな事でも情報が欲しい人がいるはずなんです。
だからあえてブログに書きました。
二度の脊椎損傷を乗り越えようと頑張っている人がいると知ってもらいたくて。
弟にゴールはありません。
少しでも良くなるように闘い続けます。
一年前は本当に辛かった。
でも今は現実を受け止めながら、奇跡を起こそうと奮闘中です。
書けるようになるまで一年かかっちゃいまたけどね

弟もブログ書いてるので、一応了解ちゃんと取ってます。
ほんの少しでも微かな光となれますように・・・
一年前の今日。
桧山家(私の実家)の運命を変える出来事がありました。
私は3人姉妹弟の長女で、妹と弟がいます。
実家は茨城県の大洗町で体操教室を営んでいます。
両親とも体操で内村君家のような立派な体育館ではないけど、ずっと体操が好きで辞めたいと思った事は一度もない環境にいました。
両親も名のある選手ではなかったし、私も妹も無名の選手。それでもオリンピックという夢はいつもどこかにありました。そしてその期待は弟に。
私や妹は高校に入るまで両親の指導でしたが、弟は中学から厳しい力のある先生へ託されました。中学生なのに毎日夜10時過ぎまで練習、ほとんど休みもなく頑張ったお陰でメキメキと力をつけ、中学3年生の時全国中学生大会で優勝。ナショナル強化メンバーに入りオリンピック選手達と合宿したり、
海外遠征に行ったりと夢は膨らむばかりでした。
中学を卒業し、高校入学を目前に大怪我をしました。中学校の体育館で最後の練習の日。
父から一本の電話が入りました。
父が泣きながら弟が頭から落ち首をやったと・・・
私は頭の中が真っ白になり、腰が砕けて泣き崩れました。
車を飛ばし弟が搬送された地元の病院へ。弟は頭蓋骨に穴を開け、装具で固定されていましたが意識もあり、幸い手足の感覚もありました。
負傷名は頚椎脱臼骨折。
MRI画像では頚椎が外れて飛び出し、脊髄神経もグニャリと曲がっていて損傷がないのが奇跡としか思えない状態でした。
弟は脱臼した頚椎を固定する手術をし何事もなかったかのように現役復帰していきました。一年後には全日本で跳馬4位という成績を残し、またオリンピックへの夢を歩き出していました。
昨年春から大学生になり、運命の11月17日・・・
悪夢の再来でした・・・
父からの電話・・・
病院へ向かう途中、どこかで大丈夫なんじゃないかという期待がありました。
あんな大怪我を乗り越えたのだからと・・・
しかし今回は信じたくない現実を叩きつけられました。
運ばれた救命救急は不幸中の幸いで大学から近く、怪我をした直後から意識もあったと駆けつけていた大学のコーチたちから聞きました。でも・・・
胸から下の感覚が全くないとも・・・
茨城から向かっていた両親たちが到着する前に、担当医が来て面会できるとの事。身内である私が入る事になり病棟にはいりました。TVでしか見たことのない光景です。
救命救急なので、周りでは心臓マッサージなど本当に死と隣り合わせの殺伐とした光景・・・
弟も人口呼吸器や、あらゆる管に繋がれ意識朦朧としていました。
立っているのもやっとの中、主治医からの説明に通されました。
まずは、命は取り留めましたと。
そして聞かされた信じたくない現実。
負傷名は前と同じ頚椎脱臼骨折。
でも、前回と違うのは脊髄損傷。
一般的に言う全身麻痺です。
搬送された状態からして、良くて車イスでしょうと言われました。
胸から下が全く感じないのですから。
熱い、冷たい、痛いなどあらゆる触覚が失われていました。
家族は絶望の果てに追いやられました。
あれから今日で一年。
弟はまだ入院しています。
車イスを自由に乗り回しています。
食事も特殊なお箸で食べられます。
支えられて立つ練習をしたり、台を支えながらスクワットしたり、ペダルを漕いだり、ハーネスで身体を吊って歩行訓練をしたり。

一年長いようであっという間でした。
主治医からは歩くのは無理だと言われています。

でも、弟は絶対歩いてみせると頑張っていますし、私たち家族も信じています。
厳しい現実、健常者までの回復は難しいです。あらゆる障害を背負って生きていかなくてはなりません。
でも、怪我をしたからこその弟にしかわからない色々な事をプラスに変えて生きていく使命を与えられているのだと思います。
この一年、沢山の人が弟に会いに来てくれて、沢山の元気をもらいました。
色々な所で心配してくれるの人がいます。
沢山の人の支えで弟は驚異的な回復をみせています。
先月20歳になりました。

こんなに沢山の人に支えてもらえる一年はなかなかないと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも長い長い闘いが続きます。

でも、絶対に負けません。
弟は絶対歩きます。
本音は怪我なんかしてほしくなかった。でも、弟は幸せ者です。
私たち家族も一緒に闘っていきます。

私は3人姉妹弟の長女で、妹と弟がいます。
実家は茨城県の大洗町で体操教室を営んでいます。
両親とも体操で内村君家のような立派な体育館ではないけど、ずっと体操が好きで辞めたいと思った事は一度もない環境にいました。
両親も名のある選手ではなかったし、私も妹も無名の選手。それでもオリンピックという夢はいつもどこかにありました。そしてその期待は弟に。
私や妹は高校に入るまで両親の指導でしたが、弟は中学から厳しい力のある先生へ託されました。中学生なのに毎日夜10時過ぎまで練習、ほとんど休みもなく頑張ったお陰でメキメキと力をつけ、中学3年生の時全国中学生大会で優勝。ナショナル強化メンバーに入りオリンピック選手達と合宿したり、
海外遠征に行ったりと夢は膨らむばかりでした。
中学を卒業し、高校入学を目前に大怪我をしました。中学校の体育館で最後の練習の日。
父から一本の電話が入りました。
父が泣きながら弟が頭から落ち首をやったと・・・
私は頭の中が真っ白になり、腰が砕けて泣き崩れました。
車を飛ばし弟が搬送された地元の病院へ。弟は頭蓋骨に穴を開け、装具で固定されていましたが意識もあり、幸い手足の感覚もありました。
負傷名は頚椎脱臼骨折。
MRI画像では頚椎が外れて飛び出し、脊髄神経もグニャリと曲がっていて損傷がないのが奇跡としか思えない状態でした。
弟は脱臼した頚椎を固定する手術をし何事もなかったかのように現役復帰していきました。一年後には全日本で跳馬4位という成績を残し、またオリンピックへの夢を歩き出していました。
昨年春から大学生になり、運命の11月17日・・・
悪夢の再来でした・・・
父からの電話・・・
病院へ向かう途中、どこかで大丈夫なんじゃないかという期待がありました。
あんな大怪我を乗り越えたのだからと・・・
しかし今回は信じたくない現実を叩きつけられました。
運ばれた救命救急は不幸中の幸いで大学から近く、怪我をした直後から意識もあったと駆けつけていた大学のコーチたちから聞きました。でも・・・
胸から下の感覚が全くないとも・・・
茨城から向かっていた両親たちが到着する前に、担当医が来て面会できるとの事。身内である私が入る事になり病棟にはいりました。TVでしか見たことのない光景です。
救命救急なので、周りでは心臓マッサージなど本当に死と隣り合わせの殺伐とした光景・・・
弟も人口呼吸器や、あらゆる管に繋がれ意識朦朧としていました。
立っているのもやっとの中、主治医からの説明に通されました。
まずは、命は取り留めましたと。
そして聞かされた信じたくない現実。
負傷名は前と同じ頚椎脱臼骨折。
でも、前回と違うのは脊髄損傷。
一般的に言う全身麻痺です。
搬送された状態からして、良くて車イスでしょうと言われました。
胸から下が全く感じないのですから。
熱い、冷たい、痛いなどあらゆる触覚が失われていました。
家族は絶望の果てに追いやられました。
あれから今日で一年。
弟はまだ入院しています。
車イスを自由に乗り回しています。
食事も特殊なお箸で食べられます。
支えられて立つ練習をしたり、台を支えながらスクワットしたり、ペダルを漕いだり、ハーネスで身体を吊って歩行訓練をしたり。

一年長いようであっという間でした。
主治医からは歩くのは無理だと言われています。

でも、弟は絶対歩いてみせると頑張っていますし、私たち家族も信じています。
厳しい現実、健常者までの回復は難しいです。あらゆる障害を背負って生きていかなくてはなりません。
でも、怪我をしたからこその弟にしかわからない色々な事をプラスに変えて生きていく使命を与えられているのだと思います。
この一年、沢山の人が弟に会いに来てくれて、沢山の元気をもらいました。
色々な所で心配してくれるの人がいます。
沢山の人の支えで弟は驚異的な回復をみせています。
先月20歳になりました。

こんなに沢山の人に支えてもらえる一年はなかなかないと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも長い長い闘いが続きます。

でも、絶対に負けません。
弟は絶対歩きます。
本音は怪我なんかしてほしくなかった。でも、弟は幸せ者です。
私たち家族も一緒に闘っていきます。

まさしく!!!
常日頃私が推奨している事が記事になってる![]()
「逆立ちする習慣」があるかないかで老化スピードや健康に大きな差が出る!?
突然ですが、皆さんは普段 「逆立ち」をする機会はありますか?ヨガをしている方や、アクロバットが好きな..........≪続きを読む≫
逆立ちが無理な方へおすすめなのが・・・![]()
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コレしか写真がなかった![]()

tissusを使うことで、逆立ちより身体への負担が少なくプラスの効果が期待できます。
重力による内臓の下垂を予防することにより、内臓機能のを活発にする。
末端に滞った血液を心臓にもどりやすくして血液循環をスムーズにする。
骨盤調整
脊椎間の牽引
三半規管の強化
女性に朗報リフトアップ
などなど・・・![]()
アメーバニュースさんによると脳梗塞等の予防にもなるとか![]()
私のレッスンでは、下は1歳~上は60歳くらいまでの生徒さんが逆さまになります![]()
逆さま健康法流行るかな![]()
お家で逆立ちするときはくれぐれもお気をつけて![]()
ちょっと前の事だけど。
9月に新潟に嫁いだ妹家族のお家に行ってきました
一番の目的は、妹の旦那さんが勤める十日町市の消防署のイベントで消防体験が出来るとの事。
息子くんを消防車に乗せてあげたくて(私は甥っ子ちゃん姪っ子ちゃん
と過ごせるのが楽しみで
)

消火体験や。。。
消防士の格好で記念撮影
。。。



消防車の前でハイ
チーズ
そして大人は誰もやってないのに
からの~
。。。。。


ハーネスを着けて下で引っ張ってくれるので誰でも出来るのですが、登る前に「引っ張っらなくていいです。」
と伝えて自力で上まで登りました
みんな唖然( ̄□ ̄;)
降りてくると、いかにもお偉いさんらしき方から消防士にスカウトされました


この後、妹の旦那さんは打ち上げで質問攻めにあったとさ
ごめんね。。。(笑)
「来年も来て下さい」と言われました(笑)
来年は是非パフォーマンスさせてください十日町さん

一番の目的は、妹の旦那さんが勤める十日町市の消防署のイベントで消防体験が出来るとの事。
息子くんを消防車に乗せてあげたくて(私は甥っ子ちゃん姪っ子ちゃん
と過ごせるのが楽しみで
)

消火体験や。。。

消防士の格好で記念撮影

。。。




消防車の前でハイ
チーズ
そして大人は誰もやってないのに

からの~

。。。。。



ハーネスを着けて下で引っ張ってくれるので誰でも出来るのですが、登る前に「引っ張っらなくていいです。」
と伝えて自力で上まで登りました

みんな唖然( ̄□ ̄;)
降りてくると、いかにもお偉いさんらしき方から消防士にスカウトされました



この後、妹の旦那さんは打ち上げで質問攻めにあったとさ

ごめんね。。。(笑)
「来年も来て下さい」と言われました(笑)
来年は是非パフォーマンスさせてください十日町さん



















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