一年前の今日。
桧山家(私の実家)の運命を変える出来事がありました。
私は3人姉妹弟の長女で、妹と弟がいます。
実家は茨城県の大洗町で体操教室を営んでいます。
両親とも体操で内村君家のような立派な体育館ではないけど、ずっと体操が好きで辞めたいと思った事は一度もない環境にいました。
両親も名のある選手ではなかったし、私も妹も無名の選手。それでもオリンピックという夢はいつもどこかにありました。そしてその期待は弟に。
私や妹は高校に入るまで両親の指導でしたが、弟は中学から厳しい力のある先生へ託されました。中学生なのに毎日夜10時過ぎまで練習、ほとんど休みもなく頑張ったお陰でメキメキと力をつけ、中学3年生の時全国中学生大会で優勝。ナショナル強化メンバーに入りオリンピック選手達と合宿したり、
海外遠征に行ったりと夢は膨らむばかりでした。
中学を卒業し、高校入学を目前に大怪我をしました。中学校の体育館で最後の練習の日。
父から一本の電話が入りました。
父が泣きながら弟が頭から落ち首をやったと・・・
私は頭の中が真っ白になり、腰が砕けて泣き崩れました。
車を飛ばし弟が搬送された地元の病院へ。弟は頭蓋骨に穴を開け、装具で固定されていましたが意識もあり、幸い手足の感覚もありました。
負傷名は頚椎脱臼骨折。
MRI画像では頚椎が外れて飛び出し、脊髄神経もグニャリと曲がっていて損傷がないのが奇跡としか思えない状態でした。
弟は脱臼した頚椎を固定する手術をし何事もなかったかのように現役復帰していきました。一年後には全日本で跳馬4位という成績を残し、またオリンピックへの夢を歩き出していました。
昨年春から大学生になり、運命の11月17日・・・
悪夢の再来でした・・・
父からの電話・・・
病院へ向かう途中、どこかで大丈夫なんじゃないかという期待がありました。
あんな大怪我を乗り越えたのだからと・・・
しかし今回は信じたくない現実を叩きつけられました。
運ばれた救命救急は不幸中の幸いで大学から近く、怪我をした直後から意識もあったと駆けつけていた大学のコーチたちから聞きました。でも・・・
胸から下の感覚が全くないとも・・・
茨城から向かっていた両親たちが到着する前に、担当医が来て面会できるとの事。身内である私が入る事になり病棟にはいりました。TVでしか見たことのない光景です。
救命救急なので、周りでは心臓マッサージなど本当に死と隣り合わせの殺伐とした光景・・・
弟も人口呼吸器や、あらゆる管に繋がれ意識朦朧としていました。
立っているのもやっとの中、主治医からの説明に通されました。
まずは、命は取り留めましたと。
そして聞かされた信じたくない現実。
負傷名は前と同じ頚椎脱臼骨折。
でも、前回と違うのは脊髄損傷。
一般的に言う全身麻痺です。
搬送された状態からして、良くて車イスでしょうと言われました。
胸から下が全く感じないのですから。
熱い、冷たい、痛いなどあらゆる触覚が失われていました。
家族は絶望の果てに追いやられました。
あれから今日で一年。
弟はまだ入院しています。
車イスを自由に乗り回しています。
食事も特殊なお箸で食べられます。
支えられて立つ練習をしたり、台を支えながらスクワットしたり、ペダルを漕いだり、ハーネスで身体を吊って歩行訓練をしたり。

一年長いようであっという間でした。
主治医からは歩くのは無理だと言われています。

でも、弟は絶対歩いてみせると頑張っていますし、私たち家族も信じています。
厳しい現実、健常者までの回復は難しいです。あらゆる障害を背負って生きていかなくてはなりません。
でも、怪我をしたからこその弟にしかわからない色々な事をプラスに変えて生きていく使命を与えられているのだと思います。
この一年、沢山の人が弟に会いに来てくれて、沢山の元気をもらいました。
色々な所で心配してくれるの人がいます。
沢山の人の支えで弟は驚異的な回復をみせています。
先月20歳になりました。

こんなに沢山の人に支えてもらえる一年はなかなかないと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも長い長い闘いが続きます。

でも、絶対に負けません。
弟は絶対歩きます。
本音は怪我なんかしてほしくなかった。でも、弟は幸せ者です。
私たち家族も一緒に闘っていきます。

私は3人姉妹弟の長女で、妹と弟がいます。
実家は茨城県の大洗町で体操教室を営んでいます。
両親とも体操で内村君家のような立派な体育館ではないけど、ずっと体操が好きで辞めたいと思った事は一度もない環境にいました。
両親も名のある選手ではなかったし、私も妹も無名の選手。それでもオリンピックという夢はいつもどこかにありました。そしてその期待は弟に。
私や妹は高校に入るまで両親の指導でしたが、弟は中学から厳しい力のある先生へ託されました。中学生なのに毎日夜10時過ぎまで練習、ほとんど休みもなく頑張ったお陰でメキメキと力をつけ、中学3年生の時全国中学生大会で優勝。ナショナル強化メンバーに入りオリンピック選手達と合宿したり、
海外遠征に行ったりと夢は膨らむばかりでした。
中学を卒業し、高校入学を目前に大怪我をしました。中学校の体育館で最後の練習の日。
父から一本の電話が入りました。
父が泣きながら弟が頭から落ち首をやったと・・・
私は頭の中が真っ白になり、腰が砕けて泣き崩れました。
車を飛ばし弟が搬送された地元の病院へ。弟は頭蓋骨に穴を開け、装具で固定されていましたが意識もあり、幸い手足の感覚もありました。
負傷名は頚椎脱臼骨折。
MRI画像では頚椎が外れて飛び出し、脊髄神経もグニャリと曲がっていて損傷がないのが奇跡としか思えない状態でした。
弟は脱臼した頚椎を固定する手術をし何事もなかったかのように現役復帰していきました。一年後には全日本で跳馬4位という成績を残し、またオリンピックへの夢を歩き出していました。
昨年春から大学生になり、運命の11月17日・・・
悪夢の再来でした・・・
父からの電話・・・
病院へ向かう途中、どこかで大丈夫なんじゃないかという期待がありました。
あんな大怪我を乗り越えたのだからと・・・
しかし今回は信じたくない現実を叩きつけられました。
運ばれた救命救急は不幸中の幸いで大学から近く、怪我をした直後から意識もあったと駆けつけていた大学のコーチたちから聞きました。でも・・・
胸から下の感覚が全くないとも・・・
茨城から向かっていた両親たちが到着する前に、担当医が来て面会できるとの事。身内である私が入る事になり病棟にはいりました。TVでしか見たことのない光景です。
救命救急なので、周りでは心臓マッサージなど本当に死と隣り合わせの殺伐とした光景・・・
弟も人口呼吸器や、あらゆる管に繋がれ意識朦朧としていました。
立っているのもやっとの中、主治医からの説明に通されました。
まずは、命は取り留めましたと。
そして聞かされた信じたくない現実。
負傷名は前と同じ頚椎脱臼骨折。
でも、前回と違うのは脊髄損傷。
一般的に言う全身麻痺です。
搬送された状態からして、良くて車イスでしょうと言われました。
胸から下が全く感じないのですから。
熱い、冷たい、痛いなどあらゆる触覚が失われていました。
家族は絶望の果てに追いやられました。
あれから今日で一年。
弟はまだ入院しています。
車イスを自由に乗り回しています。
食事も特殊なお箸で食べられます。
支えられて立つ練習をしたり、台を支えながらスクワットしたり、ペダルを漕いだり、ハーネスで身体を吊って歩行訓練をしたり。

一年長いようであっという間でした。
主治医からは歩くのは無理だと言われています。

でも、弟は絶対歩いてみせると頑張っていますし、私たち家族も信じています。
厳しい現実、健常者までの回復は難しいです。あらゆる障害を背負って生きていかなくてはなりません。
でも、怪我をしたからこその弟にしかわからない色々な事をプラスに変えて生きていく使命を与えられているのだと思います。
この一年、沢山の人が弟に会いに来てくれて、沢山の元気をもらいました。
色々な所で心配してくれるの人がいます。
沢山の人の支えで弟は驚異的な回復をみせています。
先月20歳になりました。

こんなに沢山の人に支えてもらえる一年はなかなかないと思います。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも長い長い闘いが続きます。

でも、絶対に負けません。
弟は絶対歩きます。
本音は怪我なんかしてほしくなかった。でも、弟は幸せ者です。
私たち家族も一緒に闘っていきます。



