先日品川駅から泉岳寺へ歩き、怖くて地元民しか使わない正門右側の幅1mの通路から後ろの高台に上がりました。
江戸時代初めに東海道が整備される前は、この高台が街道でした。
家康さんも江戸入府の際は通ったのではなかろうか。
太古の住居跡や貝塚もある通りですが、江戸時代は細川家の外屋敷がありました。
今は立派な都営住宅が建っています。
白人の老夫婦のグループとすれ違いました。
地元の人達かと思ったら続々と老人たちが…50人はいただろうか、変わった帽子はユダヤ教の人達です。
なぜこんなところに観光客が?
思い出しました、都営住宅の後ろに吉良邸に押し入った赤穂浪士のうち、細川邸にお預けになった浪士たちの切腹の場があるのです。
細川邸の庭で切腹が行われましたが、今はその一角だけが塀に囲まれ、のぞき見できるだけです。
もはや日本人もあまり来ないのに、大勢の観光客がくるのはハリウッド映画のお陰でしょう。
港区も何か考えたほうがよいようです。