英雄の哲学 | I think now like this.

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以前、「英雄の哲学」という番組を見た。

当時メジャー6年目というから、2006年。

今から13年前のイチローと当時56歳の矢沢永吉の対談である。

 

その中でイチローは「50歳まで現役というのが夢」だと明言している。

矢沢永吉は、「50まで現役でやりたい」と思って実際に達成した後の立場。

今、齢60を超えて尚、現役を張り続けている。

 

3/21、イチローは45歳で現役を終えた。

あと5年。

この時に吐露した夢は叶わなかった。

プロ野球選手になる夢を叶え、メジャーリーガーになる夢を叶え、そして一流の選手になる夢を、その努力を礎にして叶えたイチローが、最後の夢を叶えられなかったこと。

人間臭くていいじゃないか、と思った。

 

深夜行われた記者会見。

そこで滔々と語るイチローの姿を画面越しに普通に眺めていたけれど、よくよく考えると、これは普通の事じゃないな、と思った。

MLBの選手が、現役をその母国日本で終えた、ということ。

このことが彼自身が並みでないことを端的に表している気がするし、何故、一流メジャーリーガーの引退を、日本のメディアが最優先で報じる権利を得ることが出来ているのか。

アメリカという国の社会が如何に成熟しているのか、ということを痛感した。

日本という国がビジネスになるという背景があるにせよ、でも、外国人選手の引退をその母国で迎えさせてやろう、というその大きさ。

日本に置き換えたとして、想像ができるか。

出来ない。

自分には想像できなかった。

 

野球選手としての功績は、いちいちあげつらう必要がないほどのもの。

そこで彼を評価するのが普通の観方なんだろうと思うんだけれど、今回の一連の「引退興行」が成立した、ということそのものが、野球選手イチローの凄まじさのような気がする。

 

彼は会見の中で「外国人になったことで得たことがある」と言った。

今回のこの機会は大きなギフトだと言った。

そして、その外国人に最大の敬意を表したのは、どこあろう、アメリカという国そのものだったし、イチローがもらった「ギフト」は本当に意味のある、アメリカの気持ちがたくさん詰まった贈り物だったのだろう。

我々がどの国よりも早く、イチローが現役を終えた瞬間に触れることが出来たのは、アメリカとイチローの関係性によってもたらされたものだったし、その選手が日本人であったということ、そしてイチロー自身が本当の英雄だったということだろう。

 

イチローの凄さは、野球選手という枠の中だけで語ることはできない。

イチローを組成するすべてのもの。それが凄いのだろうと思う。

それは人が作ってきたものじゃない。

イチロー自身が自らの手で作り上げたものなんだと思う。

 

英雄の哲学。

 

正解なんてないはずの哲学に、ひとつの正解を叩きだした男。

凄まじい野球選手だったと思う。