米国留学中の王千源さんはチベット人の自由を求める表明をしたために、中国人からの激しい恐喝や罵倒を受けている。


中国人留学サイトには王さんの個人情報や脅迫メールが送られてきたようである。


また、王さんの両親の身の安全も心配されている。


王さんの発言は過熱するチベット・中国の問題の中で勇敢なものであったと私は思う。王さんは中国のこの怒りの感情のことを歪んだ愛国心と表現している。また、「今の中国人には異なる政見、異なる声を聞かせる必要がある。」ともいっている。


問題はこの発言に対する社会の反応である。たしかにチベット独立反対派などからしてみれば彼女の発言はとても厄介なも出のであろう。しかし、その発言に対して一瞬で怒りを爆発させ、このような恐喝や罵倒といった、激しい非難が来ることは、社会の反応としては適切なものではないと私は思う。


言論の自由を守らなければいけないとは世界で考えられてはいるが、何か言論を行ったものを守る体制がしっかりとできているわけではない。今回のこの王さんへの批判がその例と言える。


発言の内容がどうあれ、社会に影響する発言をおこなった者に対する身の安全を確保することの必要性をもう少し世界的に認識すべきであるし、また、そういった実際的な何かを実施するのがよいと思う。


そうでないと、社会の問題はただ単に過ぎていくもので、新鮮な考えや意見を聞くことさえもできない世界となってしまう気がするのである。


言論をおこなった者に対する身の安全を保証する何か条約的なものが生まれればいいと思う。

22日に山口県光市で母子殺害事件の巻き戻し公判が為された。




世界的には死刑判決をなくしていくべきだという流れの中でのこの裁判の判決は極めて特異なものであるといえる。

また、今回のこの判決はこれからの判決基準に大きく影響を与える判例になると思う。


なぜならこの事件のあと似たような事件が起こった時にどういった判決を行うかという線引きを与える物になったからである。







これが裁判員制度との関連で問題になる…。





私が考える問題は二つある。


まず一つ、自分が人の死の決定の一要因になるかもしれないのである…。


多くの人はそんな重い裁判には参加したいと思わないだろう。


しかし、裁判員制度自体、もともとは裁判への信頼や公平性をもとめるものである。


無作為に選ばれた人に拒否する権利が与えられればどうだろうか??


無作為の意味が全くなくなりはしないだろうか。


二つ目は素人の裁判員が死の決定の一要因になってしまうということだ。


裁判の詳細に精通しているものが選ばれない可能性があるということから考えても、裁判員制度では、とても人間的な判断に基づく判決がなされる可能性がある。


それ自体が良いことか悪いことなのかはわからない。


人はそれぞれに生まれた環境や育った環境、生き方や考え方などが違うのは当たり前だが、もし、裁判員に選ばれた数人の人がとても似たような考え方の持主であった場合、一方的な裁判になる可能性がある。


これではなんのための裁判員制度か分からなくなってしまう。











いったいどこからが成人なのか・・・ドクロ

自分は飲酒という観点から考えたメラメラ

大学生は飲み会がある。

そこには、正直、二十歳という年齢が無視されることがよくある・・・。



これは一見いけないことだ爆弾




しかしビックリマーク




飲み会では新しい出会いがあったり、親しい友人とはいつもより会話がはずむこともあるービックリマーク

出会いや友人というものはいうまでもなく大切にすべきものだラブラブ!

そんな素晴らしい飲み会というものを飲酒制限で規制されるのは悲しいことだ、とおもう

実際じぶんも自分の興味のある仕事関係の人との飲み会を飲酒制限によって逃したことがある

あの時の残念な気持ちといったらはなかった叫び


かといって幼いころから飲酒ばかりしているわけにもいかないので、


自分的には高校を卒業したぐらいから飲酒を認めるのがベストだと思う合格



これがわたしの考える成人の線引きである!!