今週は、久しぶりに神奈川大学生協を訪問しました。キャンパスは平塚やみなとみらいにもありますが、あたしが訪問したのは東横線の白楽駅から歩いて15分くらい(?)のところに位置する、いわゆる「横浜キャンパス」です。

前回訪問した時は横浜駅からバスで行ったのですが、思った以上に時間もかかり、時間帯が悪かったのかバスの車内がかなり混雑していました。それにバス停が門のすぐ前にあるわけでもないので、バスを降りてからも多少は歩くことになります。

横浜の書店を回ってから向かうわけでもなし、だったら白楽駅から歩くのがやはり一番よいかと思って、今回は白楽駅から歩きました。白楽駅から大学へ向かう途中にあるのが、かの有名な六角橋商店街です。賑やかで情緒あふれた商店街として関東ローカルの情報番組などでも紹介されることの多い商店街です。

ところで、この六角橋商店街、住所は六角橋になるようですが、肝心の六角橋という橋はどこにあるのでしょう。地図を見ても見つかりませんが、商店街のウェブサイトには

町内にある宝秀寺の元禄八年(一六九五)の記録によると、 日本武尊 が東征の時、ここの 大伴久応 という者の 庵 に泊り、翌朝、日本武尊が 五位木 という木の六角の御箸を用いられて、これを久応に賜ったので、久応はこの箸へ天照大神・日本武尊と書いて日夜礼拝したことから、村名を「六角箸村」と称し、後に「六角橋村」と改称したという。法秀寺の門前に「大伴久応之墳」の石碑(成務天皇四十五年正月十四日)が建っている。昔、この地に架かっていた橋が六角形の材木で組まれていたので、そこから「六角橋」と名付けられた、という説もある。

とあります。これによりますと「六角橋」ではなく「六角箸」が本来の名称だった可能性がありますね。ただ、最後のところに「この地に架かっていた橋」とあるので、やはり「六角橋」でよいのだという気もします。ただそれよりも「この地にかかっていた橋」って、いったいどこに架かっていたのでしょう。それが気になります。




引用元:橋を探して?