時々このダイアリーにも登場する妹家族は犬を飼っています。以前は、将来盲導犬になる子犬を一年ほど愛情を持って飼うということをしていたのですが、そんなことを3頭くらいやり、現在は盲導犬を目指さない、単なるペットの飼い犬としてラブラドールレトリバーを飼っています。

犬がいると、家族揃って出かけるのが難しくなります。もちろんペット用のホテルもありますが、妹家族が飼っている犬はどうも臆病で、そういうところに預けるのが難しいようです。一泊だけでも無理なのではないかと、妹も言っています。もちろん姪っ子たちも犬と離れているのは寂しいらしいようです。

ただ、そうは言っても家族で旅行に行きたいという願望はあるみたいなので、あたしもペット宿泊可のホテルや旅館などを探してみるのですが、この手のペット可というのは小型犬を指していることが多いことに驚きました。妹のところのラブラドールレトリバーは既に30キロを超えた体重なので、十分に大型犬です。もちろん妹家族は室内で飼っていますが、ホテル側が想定している犬の大きさとは明らかに異なります。

とはいえ、大型犬も宿泊可というホテルや旅館がないわけではないので、そういうところを探してみようと思います。やはり格段に対象となる宿が減りますね。それに料金も高くなります。難しいところです。

ちなみに今回のタイトル「犬の大きさ」は、乃木坂46の楽曲「月の大きさ」にインスパイアされたものです。表題曲ではないので、この楽曲を知っているファンはそれなりの古参でしょうね。

 

 

 

ちくま新書の『中国共産党vsフェミニズム』を読んでいましたら、驚いたことがありました。

その前に、フェミニズムの観点から習近平と中国共産党による独裁体制の一面を暴いた本書はなかなか面白い一冊でした。習近平体制の中国を描いた本は星の数ほど刊行されていますが、この視点はちょっと珍しいのではないでしょうか。

そして本題です。驚いたことです。

同書には、フェミニズムや女性の権利拡大の事例がいくつも取り上げられていますが、その中の一つ、弦子さんという大学生が実習で中国のテレビ局へ行ったときに、著名な男性アナウンサーにセクハラを受け、それを後に裁判に訴えたという事案が取り上げられています。

弦子さんの裁判を受け、何人もの女性が性被害を訴えるようになり、多くの著名人が加害者とされたそうです。そして同書の135頁に、いきなり『房思琪の初恋の楽園』が登場するのです。その経緯は、台湾の小説『房思琪の初恋の楽園』の大陸版が刊行されたときに、性被害を訴えられた著名人の一人、著名な脚本家である史航氏が推薦文を寄せていた、というのです。中国でも非常によく売れたそうですが、「増刷分の同書や電子版から史氏の推薦文を削除する対応を迫られた」と書いてあります。

フェミニズムや女性の性被害と言えば、『房思琪の初恋の楽園』は外せない一冊でしょう。マンションの手すりに鍵が置かれたカバー写真。本書を読んだ人であれば、この写真の意味するところが痛いほどわかるはずです。

 

 

 

松岡正剛さんが亡くなりました。あたしの勤務先では、特に著者などは刊行していませんので、縁はやや薄いでしょう。ただ、松岡さんの「千夜千冊」の第465夜で『ライ麦畑でつかまえて』を紹介いただいたのが、個人的には非常に印象に残っています。

その第465屋の冒頭で松岡さんは次のように書かれています。

一九六〇年代のアメリカで若者たちのお手軽なバイブルになりかかっていた文芸作品が三つある。精神科病院を舞台に患者たちの擬装と反抗を描いたケン・キージーの『カッコーの巣の上で』(冨山房)、戦争状態という管理と倫理の悪夢を描いたジョーゼフ・ヘラーの『キャッチ=22』(早川書房)、そして、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』である。

あたしは、その当時のアメリカの状況を知らないので、この松岡さんの指摘がどれくらい打倒するのかわかりません。でもそういうものなのだろうと、この記事を読んだ当時は思っていました。そして、そのバイブル三作品、あたしも一丁前に架蔵しております。