あぐりはボクを信頼しているけど、ボクと同じ姿の人が信頼できない。

そらそうだよな。猫に人が何をしてきたかボクは同じ人として知っている。

ボクがボクを保てているのもこいつらとボクは違うんだと言う自信しかない。

あぐりからみれば同じだ。動物からみれば同じだ。地球からみれば同じだ。

 愛は結果であって、感情がイメージになっているだけだが、それが、あぐりがもっとも嫌うものだろう。

ボクはあぐりと暮らしていたつもりだったし、そうだった。

だが、同じ道ではなく、門を曲がっていったあぐりにボクは少しきづかなかったのだ。振り向けばいると思っていた。

どのような人でも動物でもなにもかもそれぞれの道があって無数の門がある。どこへでも自由へいける。

ボクは門出を祝ってあげるべきときに、あぐりを探しているわりに、あぐりの曲がった門へ行こうとはしていなかったことに気づいたのだ。 ボクの暮らしている町から引っ越してはいけない。猫のいくとこでボクは暮らせないし、あぐりの頼みを叶えてあげれない。 できることは連れ戻して家で飼育すること。  そんなものは愛ではない。 

あぐりの空を考えた。 ぼくの空と比べてみた。 あぐりの空は青かったし、澄んでいた、猫は介入も干渉もしない

いつも人間だけが、介入し干渉してる。 猫は人間のキモチワルさに気づいてる。  猫は人間といたいと思っていない。

犬もそうだ。  猫と犬の食べ物を人が全て奪って食べるものがない。 人が知性のない動物に需要を作って供給する優位的立場の乱用を行使しまくっているだけだ。 猫を愛する自分が愛を与えて満足している。。。 自由への介入はしなくていい。

人は人が信じれないから動物へ介入し拘束し束縛し寂しさを貪って貰っている。 

ぼくはよく理解したあぐりの服を帯で作った。子猫のときから自由奔放に車の横にのせ、かたときも離さなかったし、さみしい想いをさせていないと思う。あぐりの空は朝も夜も家と外のフリーだったなかで、ぼくとの暮らしを離れようと思ったのは、

ボク以外の人間に絶望し猫の愛にボクとの愛を見つけた。しかし、ボクは猫じゃないとあぐりも知っていた。

あぐりはそんなことを考えている心の隙間に猫のパートナーを見つけたのだ。 それがあぐりの門出だし、ボクにそれを知らせたのだ。 人間はうっとしくてめんどくさいし、救いようのない自己愛に満ちた行為ばかりを繰り返していると。

あぐりはボクのことを心の底から愛してるし、あぐりはボクを愛している。あぐりはボクと曲がる門が違った。それはボク以外の人間のせいだった。