馬年の若者が町内にきた。私は申年で親子ほど年が離れている。この方は独身で仕事をして話をしたときにはすでに仕事をやめていたらしいことは最近明るんだ。最初に書いた湯原温泉にドライブをしながら行った。色々と生い立ちを聞いたが私の関心は結局、嘘をつくかつくかないかに集約される。 それが自分の欲望のうさを晴らすために人を消費するような人は50代以下は全て男女とわず嘘をつく。

私のブログにペタペタと興味もないのにいいねをつけていく得体のしれない感情はリアルな町内にも多数存在する。

ゴミだと思う。私はコーヒーを作っているのでコーヒーを生業にする所作でしかお金は人から得ないと決めている。

マシーンが自らの手で直せない以上、足踏みをし続ける他はないのだ。

勝手な理由で目的を変えて人からお金を得ることは容易い。資本主義思想に疑う余地を持たない世の中だからだ。

極めてゴミだ。 かつて戦争があった国民の英霊は生きた奇跡は残らんが死ねば名前は残ると今は見ぬ子孫のために海の向こうへ行ったきりだ。政権は今年、その名前を国民向けて読み上げただろうか? それが資本主義のせいなら私は否定する。

私の祖先は戦争で亡くなっているからだ。 地域に貢献し地域の人に私のできる限りで手を尽くし、子供たちの歩く道を清めた上で、私の仕事にかかることが順序だ。そうすることで私の祖先は私の姿を通して今の子供や地域の人の記憶に残るからだ。

行動の指針が指標をもって判断しつづける累積は私の当たり前を変えている。

 つくづく思う家族だけよければどうでもいいとか、会社さえ浮いていれば他所の会社はどうでもいいとか、肉を食う割に生活阻害されていない獣を殺すことを躊躇わず、動物園や水族館に感情のある動物を死ぬまで閉じ込める姿を子供に見せている人を見て、そうではないと。

 教育は子供に欲望を実現させるために学業を極めることにいそしむが、欲望とはそもそもが移りげな幻であることを認識していながら、

それを肯定するように学校で集団になり組織されているから、それぞれの当たり前を理性によって発見すれば大人が推す欲望の中から答えが出てくることに子供は直感的に気づく。ほとんどがゴミ親の犠牲になり欲望のみを追いかける子供になる。将来官僚になって国をよくするとか言って国家公務員や弁護士かな。 人は人以外の生命の犠牲上に贅沢な暮らしをしているが、贅沢が幸せだと信じこまされている。

 老子様やお釈迦様はすでに答えを出しているにも関わらずだ。

質素や貧乏が良いと思っていないが私は枯れた木を燃やして2年ほど自炊している時としてガスを使うこともあるが便利だなと思う。

しかし目の前に燃料があるのにやはり皆、それを使用しようと思っていないようだ。

これはスタイルの話ではなく、理性を鍛えていけば自ずと己が見える。僅かなお金を得ることで暮らしが回る事実があって、

心を軟げ硬い学びを水のようなしなやかさで解きほぐことができていてそれは常に今の暮らしを豊かにしている

その事の累積はくたびれてながら最新で新しい活気を地域にもたらし自治会を支えている。

その一連に嘘が介入する必要がどこにもないからだ。賛否あって然るべきなのだ圧倒的少数な私の活動に賛同してくれている人たちだが、

力強いサポートと声援を受けている。

 資本主義とは本当に恐ろしい。即座に金の影響を受けると資本と言う名の池の中で餌を待つ魚の群れにされてしまう。餌を巡って奪い合う。子供がゲーム機を欲しがると親は自分の能力だけではゲーム機を作れないのでお金を作るため魚になって餌を奪い合ってくるからだ。

そうしていないと家庭がダメになるからだ。そうゆう契約で結婚したからだろう。

助け合いとは欲望のなかでやることではない。理性を鍛え池から這い出し、魚になることをやめることで、はじめて理にかなった助けの手を差し伸べることができる。

さて、私の前に現れた馬は嘘をつくような馬であれば家畜なのである。誰かに所有され誰かの荷物を私に担がせるために馬は若さを売りにして私と会話をしているのかどうなのか。 まったく恐ろしい世の中だよ。  若いから見込みがあるなんて巷で言ってるいるが、野良である確率が高いというだけだ。 私は生粋の野良だから祖先の想いを地域へ還元することが地域の人を助けることを知っているからだ。野良ならよく理解し質素こそ理に叶うことを己の欲望の中から発見するからだ。