3年前にZukaxiで書いた96期に関する記事 | ジャンル不特定

3年前にZukaxiで書いた96期に関する記事

さて96期の問題(ご存知ない方はスルーで)ですが、ついに終わりましたね。
慰謝料がいくらどう支払われたのか、謝罪があったのかなどのことは結局
わからずじまいになりました。
このことについてツイッターやブログなど、いろいろと見てみますと大体の方は
宝塚音楽学校の対応に不快感を覚えておられるようです。




「いじめた96期の生徒がのうのうと舞台に立っている」
「裁判の渦中でありながら新人公演の娘役に抜擢された」
「ファンの心理も考えたらそんなことはできないはず」
「夢を壊された。」
「もうファンをやめる。」
「96期に拍手はできない。」

などなど・・・。




個人的ではありますが、『果たしてそうであろうか?』と思います。
まず残念ながら退学処分(結局は卒業扱い)になった生徒さんは
本当にシロかクロか。これは、皆さん最初から『冤罪である』と決め付けて
いらっしゃる方が多いですが、そもそもそれがどうなのでしょうか?
当事者でもない我々は憶測でしか物を言えません。
『冤罪だ!』『イジメがあった』と訴えれば、誰しもが『そうなんだ!冤罪
だったんだ!』と先入観が植え付けられます。かくいう私もそうでした。




そこで考察してみました。
そもそも『なぜ、イジメられるのか』というところです。
何も問題のない人は、そうそうイジメに遭うことはありません。
どこかに問題があるから、イジメられるのです。
(これは語弊があります。【何も問題ない人】ではなく【何も問題ない時】と
書くべきでした。2013年6月訂正)

どこかのブログで読みましたが「出演してはいけないテレビ番組に出たことが
発端になり・・・」などと書いていましたが、それは違います。
口頭弁論の内容を私なりに検証した結果「完全なシロとは言いにくい」と
いう結論に達しました。逆に冤罪を突きつけられているのは、もしかしたら
音楽学校のほうかもしれない可能性もゼロではないと感じました。
もちろん、この問題が明るみに出た「ブログを書いてしまった子」に関しては
違う問題でアウトだとは思います。






しかし、もしも仮に、自分で「盗癖がある」という友達が近くにいて、その子が
自分と同じグループにいて、グループごとに評価される団体に所属して
いたとしたら、問題のある子を監視したり調べたりするのは普通のことだし
「本当にあいつは迷惑ばっかりかけやがって!辞めてしまえ!」と心で
叫ぶのは不自然なことではないでしょう。
誰にも見えない自分の日記になら「死んでまえ!」と書いても不思議ではない。
同じ教室で顔が合えば「おまえ、いらんことばっかりすんな!!みんな
わかっとんねんぞ!!」と平手打ちしてしまうことも考えられなくはない。
つまり、そこまでなるのは確証はないが誰もがわかってる、という事態に
なったときはこういう状況になることも有り得ると思うのです。
その子のおかげで全体の評価が下がるとすれば当然の心理です。
逆に言えば、そういう事実がないのであれば、「辞めてしまえ!」と
浅はかにもブログで書きなぐったりしないはずです。
もしもただ単に嫌いなのであれば、そういう行動にまで出ないと思えます。
『みんなが迷惑してるんだ!』という気持ちが短絡的すぎる行動に出させた、という
仮説が成り立たないか?と思いました。
これはあくまで仮説です。





しかしながら世間の目は、公の目に触れるブログで誹謗中傷をした人に
悪い印象を持つものです。そこで『善』と『悪』のすり込みが出来てしまい、
以降どんな言い訳も、いったんついた悪いイメージは払拭できないのだと
思います。96期の生徒の中で、証言台に立ったほとんどの人が、恐らく
逆にこっちが被害者だわ、と思っているのではないかと私は思います。
もちろん音楽学校側も、裁定に従わず、当該生徒の登校を拒否したことは
問題が大アリです。しかし、そこには我々第三者がわからない事情が絶対にあるはず。
そうでなければ、素直に従うはずでしょう。
「音楽学校、メチャメチャやん・・」で終わればそこで思考停止でしょう。
そこで終わってる人が意外に多いと私は感じます。





裁判において、音楽学校が事実上メリットとデメリットを考えて『折れた』に
過ぎないと考えます。もしも私が関係者でも、そうします。
しかし、そういう部分は濁さなければならない。全面的に謝罪したことが
公になれば、100パーセント宝塚歌劇団が悪かったということになりうるからです。
「入団しない、慰謝料の有無、謝罪の有無を明らかにしない」というのは
音楽学校、宝塚歌劇団にとって最良の方法であり、被害者側にとっては
悪くもなければよくもない結果なのです。だが、法の上では原告生徒の
勝訴なので、社会的には信用を回復できます。
だが、私は個人的に、この裁判は宝塚歌劇団の勝訴に近いと考えます。





「いじめた96期の生徒がのうのうと舞台に立っている」

これはよく見る意見ですが、これこそインターネット上におけるイジメです。
全く問題のない生徒も一括りにしたこの意見は非常に危険な考えでしょう。
絶対に我々にはわからないグレーゾーンで物事が進んで、締結した事柄に
関しては私も含めて単なる外野の野次に過ぎません。
(ここは締結ではなく【終結】です。2013年6月訂正)

部外者もいいところの者があれこれ批判できる筋合いもないと思います。
インターネットで言いたい放題言ってる人は、一般人なだけでやってることは
事の発端のブログを書いてしまった生徒さんと同じことをしているのです。
なぜそれに気付かないのか。




「裁判の渦中でありながら新人公演の娘役に抜擢された」

これも余計なお世話でしょう。
犯罪者でもあるまいし、誰がどういう抜擢をされてもそれは歌劇団の意向。
たとえ裁判の証言台に立ったとしても、被疑者ではない。
ましてや犯罪者でもない。
これについて歌劇団に文句に近い意見を送る人の神経を疑う。
私から言わせればサッカーW杯のメンバー選考に腹を立てて
岡田監督やサッカー連盟に文句書いとるのと、そんなに変わりません。
(このときはザッケローニ監督ではなかった。2013年6月)




「ファンの心理も考えたらそんなことはできないはず」

ファンの心理を考え、それを控えることで非を認めたことになります。
逆に言えば、敢えて抜擢することで無言の無実の証明をしているのでは
ないかと私は思いました。(恐らくそこらへんを突っ込んでも歌劇団側は
全くそのようなことは関係ないと言うはずですが)
歌劇団と原告の立場を考えると、あれ以上はない対応に終始したと私は評価します。



「夢を壊された。」

私から言わせれば、夢見すぎでしょう。
音楽学校の生徒といえども未成年のそこらへんの子供。
イジメも普通にあるだろうし、理不尽なこともゴマンとある。
そこらへんの普通の学校(規則はちょい厳しいけど)と、変わりません。
ヘタ打つこともあれば、さすがと思わせる部分もあって然り。
これを見たときに私は「おまえらどこまで厳しいねん」と思いました。


「もうファンをやめる。」

こういうのは宣言しないで速やかにファンをやめるべきです。
それでもなお、宝塚を応援していこうとする人もいる中で、こういうことを
言うのは、すし屋でカウンターに土足で上って「私、イカ嫌いなの!」と
声高に宣言しとるのと同じです。
あんたが嫌いなんはワシらどうでもいいから、と思います。


「96期に拍手はできない。」

こうなってくると、もう、浅すぎて話にならんと思います。
そしたら黙って拍手せんかったらいいやないですか。
なんでわざわざオノレの「嫌い宣言」聞かせるの、って話です。
靖国神社参拝で中国政府が公に遺憾を表明したときに「中国人、みんな嫌い」
言うとるのと同じということになんで気付かんのでしょうか?
ものすごく不思議です。





一時、退学処分になったあの生徒さんは無実なのかもしれない。
音楽学校が全面的に悪く、96期の全員が理由もなくイジメていたのかも
しれない。だが、原告の生徒さんが大ウソをついているのかもしれない。
それは、当時あの現場にいた者しか真実はわからない。
その利害関係を全て考えた上で最善の対応を歌劇団はしたと思える。
裁判沙汰になったことを残念に思うというようなことを表明していたが、
心中察するに余りある。あの表現は非常に深い。
「謝罪していない」だとか、言っている人も大勢みかけるが、そんなの
当たり前やないですか。何も考えてないのだろうか?
もしも公にそれをしてしまえば、恐らく事態は悪化します。
今、叩かれてもそのことに関しては沈黙を守ることが最善策でしょう。
恐らく、歌劇団に対して質問をしても定形文のお決まりのコピーが
回答として返ってくるだけでしょう。それはそれしか言い様がないし、
それ以外の回答をしてしまえば問題が大きくなることを懸念するからでしょう。
それがわかっている人は最初からそんな質問や意見はしない。
そこを理解せずして「なぜ裁判で負けたのにファンに謝罪がないのか」と
言うのは、全く考えてないか考えられないかのどちらかしかないと私は思います。
仮に謝罪があるとしても、、それは「お騒がせした」ということに対してしか
ないと思いますし、また、そうすべきだと思います。





間違ってもらっては困るのですが、私は原告生徒さん、宝塚歌劇団、
どちらの味方でも、贔屓しているものでもありません。
ただ、内情に詳しくない我々があれやこれやと言えるものではないと
言いたいだけです。どう見てもグレーゾーンの本件において、完全に
冤罪だったとは確証がない。裁判所は証拠が全てなので、口頭での
証言だけでは立件することは不可能。グレーであっても証拠がなければ無罪。
イコール、退学は不当、とこうなるのであって、事実はわからないのです。
判決結果が出たからそれが正しい、となるのは法規上のことであって、
決して真実ではない。ない、というかわからないのです。
新聞やテレビの報道を「だってテレビで言ってたもん」というのと同じです。





つまり、わからんもんを、さも加害者のような扱いをしてほしくないということです。
まあ、これも単なる外野の野次ですが。
言葉が悪すぎますが、「いじめた96期の生徒にも処分を!」とか言うてる
人をツイッターで見かけましたが、脳ないんか!と思いました。






真実はひとつ。





96期の生徒さんも、残念ながら舞台に立てなかった原告の
女性もその自分の胸にだけ真実があり、これから先もそれは彼女たちの
心の中にしまわれていくのですから、我々側からすれば、偏見や先入観で
見るべきではなく、「これからどうあるべきか」を考えねば、なんにも
変わることはないように思います。
私はここまでこうやって書いてきましたが、96期がどうのこうのは
ほとんど、というか全く関係ありませんから、惜しみない拍手を送ります。
舞台に立てば舞台が全て。私生活やその他の部分で拍手するか否かを
決めるほど若くもない。




結局何が言いたいかというと、ここでこういうことを取り上げておいて
それは矛盾するやんけ!といわれても仕方ありませんが、冤罪じゃの
謝罪じゃのヘチマじゃの、言うてる人はとっとと宝塚のファンをやめて
あとは黙っといてほしいのです。
いや、別に思っててもええけども、それ発表して何になんの?ということです。
『宝塚ファンをみんなでやめようぜ会』でも作って見えんところでやってほしい。




そう思います。