先日、世界屈指の強豪でもあるベルギー代表をあと一歩まで追い詰めたサッカー日本代表。

見ていてもはらはら、どきどきする内容に日本中が注目した一戦。

日本サッカー史上最高のワールドカップベスト8まであと数分の悪夢だった

 

世界を驚かせた快進撃!!サッカー日本代表どうどうのベスト16!

今大会、世界5大陸から32カ国のチームが参戦した。日本はその中で一体どれ位の位置にいたのかご存知だろうか。
その指標のひとつにFIFAランキングがある。これは毎月更新されていて試合の勝敗で上下するわけだが日本は60位。これは出場国中下から三番目である。それより下の二カ国はサウジアラビアと、ロシアの二カ国でロシアは開催国である。
 
日本は今大会、グループリーグではポーランド:8位、コロンビア:16位、セネガル:27位と同じ組に入った。
1位のドイツや、2位のブラジルといった強豪中の強豪とは一緒にならなかったものの、どこも明らかな格上であった。
日本の戦前予想3連敗は当然の予想ともとれる。いかに今回の快進撃が凄かったかを象徴しているだろう。
 

コロンビア戦

初戦は中南米の強豪コロンビア。日本国民なら忘れることが出来ないであろうブラジルワールドカップではこてんパンにされた相手である。同国のエース、ハメス・ロドリゲス選手はこの大会を期に、ヨーロッパからのオファーを受け、世界屈指の名プレイヤーに成長した。
 

日本は運が良かったのか?

日本はこの試合で、序盤から構成をかけ相手のハンドを誘った。ペナルティエリアでのプレーなのでPKを獲得し、それを香川慎二選手が落ち着いて沈め、この試合の主導権を握ることとなる。

 

天敵ハメス・ロドリゲスの欠場と10人での試合

結果コロンビアは10人での試合を強いられた。そもそもコンディションの問題からハメス・ロドリゲス選手を欠いての試合は明らかに日本にとっては好都合だった上の出来事で、コロンビアのプランは大きく揺らいだはずだ。この2つの用件が今回の日本の足がかりになったのは言うまでもない。

 

では、日本は今大会の快進撃を運で手にしたのだろうか?

それは明らかに違うと考えてよい。あのハンドは、明らかに日本選手のポジショニング、決して世界のトップと比べて早いとはいえないが制度の高いパスワーク、それに相手のディフェンス陣が後手後手に回った結果である。また、あれは開始間もない時間帯での特典であることもポイントである。今回侍ジャパンはタイムスケジュールの際際でのプレーが目立った。まさに、あの時間帯こそ、日本代表のストロングのひとつといえる。

 

セネガル戦

実は日本のベスト16はここから決まっていた。

日本は今大会、快進撃を続けてベスト8まであと少しのところであった。そんな意見がネットに蔓延っている。私はその意見に段として異議を唱えたい。そのひとつにセネガル戦での2-2というスコアに注目したいと思う。

 

支配することに終始した日本代表

あの試合、ボール支配をしていたのは日本だった。的確なパス回しと緻密なディフェンスの連携は相手の予想をはるかに上回り、セネガルのプレーは焦点を合わせることが出来なかった。完璧な試合運びとは裏腹に、ペナルティエリアでのプレーは相手が上回る。ここに日本のウィークポイントを見出すことができる。

ペナルティエリアに切り込める勇気

大会後、日本に何が足りないのか?悩む西野監督のインタビューが日本中の心を振るわせた。
しかし、その答えのひとつは明確である。相手の隙をみたパワープレーに著しく弱い点である。セネガル戦での2得点目は明らかに一瞬の隙をつかれたプレーだった。乾選手の得点がなければ2-0の万事休すといった場面。あの乾選手の1得点目も、本田選手の2点目も神がかり的なゴールであった故に本来なら引き分けられたかも疑問に残る。チャンスは作ったが次戦って勝てる相手では、恐らくない。試合は支配できる、だが得点が難しい。これが日本が勝てない大きな要点で、乾選手、本田選手の神がかり的なプレーで、それを霞ませてしまった。
 

ポーランド戦

正真正銘負け試合。しかし日本は何に負けたのだろうか?

今大会、日本の快進撃を語る上で、もっとも大きなターニングポイントで議題であるのがこの試合だろう。

まず、前提を整理すると

  1. 日本は引き分け以上なら無条件のグループリーグ突破だった。
  2. 相手はFIFAランキング8位の強豪
  3. 相手はすでに敗退が決まっていた
  4. 日本はセネガルの結果次第で負けてもグループリーグを突破出来た。
おおまかにいうとこの条件である。戦前、他会場のコロンビアーセネガルは接戦が予想され日本は是が非でも引き分け以上の結果が求められていた。
 

1から10まで相手任せの他力本願な博打試合

あの日、多くの人が驚いたのは日本代表はスタメンを6人変える、という大博打にでた。
そもそも、今大会のスタメンは日本には大前提といっても良い面子だった。
 
最終の調整でパラグアイを相手にようやく勝利を手にし本大会に挑んだ日本代表だったはずだが、そのことを忘れたのか本戦でそのメンバーをまるまる変えてしまうというのはいったいどういうことだったのだろうか。まず考えられるのは、決勝トーナメントを見据えたターンオーバーだ。格上相手に短いスパンで連戦した主力メンバーの回復を図った。この時西野監督の頭には、敗退の決まったポーランドがそこまで攻めてこないという過信があったに違いない。それならば控えのメンバーでもある程度やれると考えた上でのスタメン入れ替えだろう。これが先ず一つ目の他力である。
 
ふたつめはセネガルが劣勢に立ったときのボール回しの是非である。もともと、引き分け以上でなければならなかった日本は、ポーランドに得点を決められ、戦況は一転、点を入れねばグループリーグ敗退という立場に立たされた。この時、日本は得点を狙いにいくも、大会有終の美を狙うポーランドの牙城を崩せない。乾選手など本来の主力を投入するも全く機能しない。
 
そこでコロンビアが得点する。
日本は再びこの時点でセネガルと並び、フェアプレーの差という極めて危うい差で上に立つ。ファールも許されない、失点などもっての他。その時西野監督はスポーツとしてありえない判断を下す。
 

現状を維持し、このまま乗り切ろう

日本は長谷部選手を投入し、その意図を共有する。選手たちは只管ボールを回し、勝っているポーランドの選手はリスクを犯してまで攻めてこない状況が続いた。鳴り止まないブーイング。

長谷部選手は「これも戦術」とインタビューに答えた。各界の著名人も口をそろえて「ルールを活かした戦術」と褒め称えた。

 

ある意味ではそうだろう。日本はルールを守っている。ファールを与えたわけでもない。胸を張ってよい。

しかし本当にそうだろうか?

以下に問題点を挙げる。

  1. ルールにのっとっていることは前提であるが、本質ではない
  2. セネガルが得点していれば敗退もありえた
  3. 勝つという本質を理解できていなければ、トーナメントは勝ちあがれない
  4. 何よりスポーツマンシップを逸脱している
1まず、何よりもスポーツの前提はルールを守ることである。競技である以上、そのルールにのっとって競い合い、ルールを破ればペナルティを与えられる。今回のセネガルはその対価をあまりにも大きな形で支払う形となった。しかし、これは前提の話なのである。ルールの穴を見つけ、そこを抜けて勝ちを得ることはスポーツの目的ではなく、本質を捉え違えている。日本代表はその対価をトーナメントで支払うことになる。
 
2それにあの時は一点が大きく戦況を変えるような場面であった。セネガルが突然コロンビアに追いつく可能性も十分にあった。
それを分かって尚、ボール回しをしている余裕が日本にはあっただろうか?そもそも得点を取りたいときに取れない、と認めてしまうその精神、それでいて相手のミスに付け入る精神は、日本代表の掲げる侍の精神からは遠くかけ離れている。打算的な商人の考え方だ。
 
3いくらそうとは言っても、ルール上問題なく戦いきった日本代表は褒められるべきであるし、讃えられるべきかもしれない。しかしそれはあくまでルールを守った、という意味においてだけだ。スポーツの本質は何度も言うことだが勝つことにある。勝たねば意味がなく、次の道ももらえない。
今回、日本代表はその意味をトーナメントで存分に味わうこととなった。
まさにベルギーと戦い2-0で勝負も決しただろうと思った矢先であった。日本は残る時間、「得意のボール回しをして守りきればよかった」のである。しかし、負ければあとがないトーナメントでは、ポーランドのように緩やかにボール回しをみてくれるようなチームはいない。
あっという間に3点を返された日本は勝つことが出来ず、今年もベスト16に沈んだ。
日本はここに学ぶべきではないだろうか。
ボール回しなどに頼っている。他力に頼っているうちはどうしたって上には上がれないのだ。
何故なら、決勝トーナメントは避けては通れぬ茨の道で、選手はそれを「自らの力で」切り開いていかねばならぬのだから。
 
4そしてなによりスポーツマンシップを忘れてしまってはならないだろう。
なんの為に戦っているのだ?「夢を力に」歩んだ結果がそれか?子供たちにそんな姿を見せるのか?甚だ疑問である。今大会はあらかじめ勝てないことが決まっていたと、今になれば思える大会だったのではないだろうか。
 
 
 
次回、日本代表vsベルギーを見ていくこととする。

 

今日はジブリアニメ「となりのトトロ」について皆さんと見ていきたいと思います。

夏、田舎。そういったイメージに素直に結びつくトトロ。

今日はジブリ好きの皆様とも楽しんでいきたいとおもいます。

 

となりのトトロ!しかしトトロとはなにか?

トトロとは・・・

森の主であり、この国に太古より生き、巨大なクスノキに住んでいる生き物。毛色は灰色で、たいてい塚森にあるオオクスの虚で眠っている。子供にしか見ることができない(普通は人間には見えない)。~「トトロ」という呼び名は伝承などに由来するものではなく、~メイが「トトロって言うのね」と思い込んだことによる。初期の設定での名前は「ミミンズク」。年齢は1302歳。身長は2m。とある。(引用元wikipedia)

 

ストーリーから見てもこの森の主=自然のモチーフ、と捉えてもよいだろう。

ここで一番のポイントは作品の重要なエッセンスでもある「大人にはみえない」という部分である。

大人には見えないトトロ。それが何を意味するか。あとで触れていきたいとおもいますので、まずはトトロの魅力にも迫っていきましょう。

 

解りやすいストーリーと、親近感のわくキャラクター!

トトロ

この作品の魅力にはまずキャラクターの良さがある。特にこのトトロという動物?精霊?なにか不思議な生き物は

不思議でいて、愛くるしく、動物としてのリアリティを持っている。

リアリティの部分では猫やネズミ、熊といった哺乳類の特徴を充分に活かしている点があります。

それでいて丸っこさや、大中小と大きさがあり、まるで家族のような見た目が視聴者の親近感を刺激します。

注目すべき点はなんと言ってもそのリアリティ、親近感を持ちながら、非現実で想像上の生き物であるという

両側面を併せ持つところです。

 

こんな生き物、いない。でももしかしたら会えるかも?

「子供のときにだけ訪れる、不思議な出会い」

このワードが活きてくるんですね。

 

草壁一家

お父さん

大学講師で、翻訳家であるお父さん。いつでも子供の味方でやさしい。どこにでもいるようで、なかなかいない理想な父親像である。

これもある意味「子供のときにだけ~」というワードに当てはまるのではないだろうか?

サツキちゃん

頭がよく、器量のよい少女で、理想的お姉さん。もしかすると、日本におけるお姉さんのイメージの一端を担っている可能性すらある。これを書いている私にとってお姉さんキャラクターといえばこの人。芯が強いので、担いすぎて、作中折れてしまう。多くの人がその経験に自らを重ねられるのではないだろうか。
メイちゃん
トラブルメーカーである。しかし、これもサツキちゃんがお姉さんの代表格であるなら、幼少の女の子のイメージそのままである。
宮崎駿監督の描写能力は特定ではなく多くの人に共感を与えるという最も難しい作用をいとも簡単に実現している。
メイちゃんは子供としてこの作品に重要な作用をもたらす。
 

ストーリー・あらすじ・考察

以上、ストーリーに必要な必要最低限のキャラクターを一度載せて見ました。

ストーリーは多くの方がご存知のとおりだが一応載せると

 

「草壁一家は、母の療養のために初夏の頃の農村へ引っ越してくる。引越し先の空き家には小さな黒いオバケが沢山住んでいた。メイとさつきはお化け屋敷だ、と喜ぶが近隣のおばあちゃんからは人が住み着くといなくなるのだと教えられる。

 

そんなある日。

1人で遊んでいたメイは庭で不思議な生き物を見つける。このとき初めてトトロに出会うが、さつきやお父さんには見えない。

私も会いたい、といっていたサツキであるがそれからしばらくしたある夜、サツキとメイが森にあるバス停で雨の中父の帰りを待っていると、そこへ頭に葉っぱを乗せたトトロがやって来る。このときトトロに黒い傘を貸してやると、お礼に木の実を貰う。木の実は二人が夢の中で発芽させ、夢と現実が融和していく。

 

数ヵ月後、夏休みとなったある日、二人が隣のおばあちゃんとトウモロコシを収穫していると、母の入院先から、母が体調を崩してしまい一時退院が延びるという病院からの電報が届く。

 

二人は不安の最中、喧嘩し、メイは母親に会いに行く決断をする。メイは道に迷い、気付いた村中は捜索を始めるが一向に見つからない。

途方にくれたサツキはトトロに助けを求め、トトロはそれに応え猫バスに乗ってメイを探し出す。

メイとさつきは、そのまま猫バスで母の病院に行きとうもろこしを届ける。

そこには元気そうに父と話す母の姿があり、それを見た二人は安心する。

母が二人の気配に気づき窓辺を見上げると、そこには『おかあさんへ』と彫られたメイが持ってきたトウモロコシが置かれていた。

二人はそのまま無事、村に帰っていった。」

 

簡単に言えば起承転結がしっかりしている。

  • 起・引っ越してきた。そこはお化け屋であり、周辺には豊かな自然がある。
  • 承・お父さんは仕事、お母さんは療養継続、さつきちゃんは学校生活、メイちゃんは自由気ままに新しい生活が始まる。そんな中、メイちゃんとサツキちゃんはトトロとの出会いを果たす。
  • 転・お母さんの病状悪化。メイちゃんが迷子になる。
  • 結・無事メイちゃんは見つかり、お母さんは大事に至らず、平和な生活に戻っていく。

お化け屋敷、田舎、自然という夏休みのイメージをベースにここまでシンプルにストーリーを練られており

誰もが共感できるのではないでしょうか?

 

トトロは資本主義社会、近代社会への警告!?

トトロは自然そのもの

トトロとはいったいなにか。簡単に言えばトトロは自然のモチーフである。化身である。

ポイントになるのはトトロは「子供のときにだけ訪れる不思議な出会い」とも歌われていることである。

ポイントは既述のように誰が出会えていて、それがどのポイントだったか?である。

  • メイちゃんは早い段階で自然と触れ合い、出会えている。
  • サツキちゃんは、雨の中、お父さんを迎えにいくシーンで出会う。
  • お父さんは結局出会えていない。

この3つの事実ですでに解るように、出会えるポイントの

「子供のとき」は決して「ある特定の年齢」をさす訳ではないということだ。

 

では、「子供のとき」とは具体的にいつで、何を表しているのだろうか。

主人公はさつきちゃん。

この作品の主人公はさつきちゃんであると考えられる。その理由は以下の点である。
  1. 登場人物たちの中心的存在
  2. 観客の感情とリンクしている。
  3. 環境の変化に伴い、視聴者とともにトトロの世界に徐々に入っていく。

まず、1のようにこの娘は父親、妹、学校、母親、g近所さんという作中の人間相関図の中心に位置している。だから、トラブルメーカーのメイちゃんに困らされるときも、家族団らんで和むときも、少し下がった立場になる。結果的に2のように、感情は視聴者とリンクしていく。初めて引っ越したときのわくわく。学校に行くときの期待度。早くトトロに会いたい衝動。であったときのスリル。困難に陥ったときの悲しみ。全てが視聴者目線である。

彼女の最大の役割は私たちの代わりにあの世界を体験して、それを表現することである。

 

そしてその最たる根拠が彼女が始めてトトロに出くわしたあのシーンである。

 

雨のバス停は自然界への入り口!?

さつきちゃんは作中で引っ越してきて、お友達と親密になり新しい人間社会に溶け込んでいく。

これはメイちゃんには薄い要素だ。(メイちゃんは一人で自然と触れ合っていた)

 

その中で、さつきちゃんはお父さんを迎えに行ったときにバス停で、雨の中、来ないバスに足止めを食らう。

それは人間社会から隔離され、人間社会の時間から切り離された瞬間だ。

このとき初めて自然の本当の姿に出くわす。

忍び寄るトトロ。手渡す土産。

それは木の実で、夢の中で彼女はそれを発芽させる。夢と現実、自然と人間社会の境が曖昧になっていく。

 

トトロは今でもこの世界に確かに存在しているのだ。

そして自然そのもののモチーフであり、それを見えなくしているのは

資本主義社会、近代化し加速する社会であり

すこし足を止め、自然に目を向けてみれば、案外見えなかったありのままの世界があることに気付く。

それは自然の驚異か、人間本来の幸福か。

 

僕らにもトトロに出会えるチャンスがあることを教えてくれいるのではないだろうか。

 

トトロに見る懐かしさとは

ネットなどで懐かしさ、をあの作品のよさに上げる意見もよく目にする。私もおおむねその意見には賛成だが、懐疑的な視点もある。

その理由は何より、トトロの人気自体、年代、国を問わず高い傾向にあるにも関わらず、あの家の様子や、家具などの様子を果たして現代の子供、他国の人々は懐かしい、と認識するだろうかということである?

 

結論からいうと、するのである。

しかし、それは懐かしい、というより古いもの、過ぎ去ったもの、この世界の根底を流れるものへのロマンに近いのではないだろうか。

考えても見てほしい。私たちは恐竜を見た事がない。しかし、どんな年代の子供も、国の人々もその時代のロマンにはかなわないのだ。トトロが持つ、自然の力は各国、年代問わず引き込む共通のパワーを秘めているのだ。そして、なにより。その魅力に一番引き込まれているのが宮崎駿、本人なのだろう。

 

音楽・久石譲

トトロの魅力を単に説明すると以上になるが、決して忘れてはならないのは音楽である。

これはいわずもがな、日本の誇る巨匠とも言うべきか久石穣さんの音楽のことである。風のとおりみちのメロディーを聴いて森の神聖な静けさ、秘めた巨大な力、太古から続くロマンを即座にイメージしない者は少数派ではないだろうか。私個人の嗜好としてはエンディングのテーマが、コミカルさの中にポップな雰囲気と、遠ざかるアニメの世界、せつなさが織り交じっており、今でも耳にすれば郷愁に似たカルタシスに陥り、ここちよい気分になる。ともかく、彼の音楽は語るよりも聞いた方がよいだろう。ぜひとも一度聞いて見てほしい。

 

トトロは語るより見るべき映画。そしてまた語る映画。

ここまでトトロについて語ってきた。
トトロは自然の魅力。人間が見ている世界はほんの一部に過ぎないこと。そして人間どおしの温かさを実に巧妙に表現した映画である。しかし、そんなもの私に言われなくても皆さんご存知のはずである。
であるからして、ぜひともこれからも人々の心にあり続け語り継がれる映画であってほしいものである。

 

 

 

eスポーツの大会が開催されたそうです。

 

いずれは国体とか障碍者の大会とか規模を広げていくそうです。

 

もっと大きな商業圏でいうとJリーグがeスポーツ部門を設けるそうです。

 

これはスポーツファンとしてはかなり衝撃です。

 

餓鬼のころスポーツとゲームって対象にありました。

 

でしょう?

 

小学校のころ、ゲーム好きな子と、スポーツ上手い子って対象にいたでしょう。

 

たまに両方得意な子もいましたが、たいていは間逆の性質だったと思います。

 

はっきり言って日本人としては違和感しかないですよね。

 

しかし、すでに有名な事実として

 

スポーツの定義として

 

競技性のあるもの、なんですよね。

 

だから競えるもの、つまりプレイできちゃうのはスポーツなんですよね。ざっくりいうと。

 

これはたまらんでしょ。

 

ゲーマーがスポーツ選手っていわれてもさ。

 

どこどこ社の作ったゲーム、世界観でカチカチやっているメガネかけた奴が

 

インタビュアーに「今日はいい試合でしたね」

 

とか言われて

 

「そうですね」

 

とかいうのか?

 

敗因を聞かれて

 

「自分たちのプレイが出来なかったから」

 

とか言うの?

 

そして問題として

 

ゲームは共通の基準で競えるのか。それだけの規模になりうるのか、というのがあります。

 

ゲームでも、バージョンや機器によって仕様が違ったり

 

企業側のアップデートですぐに変わりますからね。

 

そんなものに一流も糞もあるのか。

 

まだ大食いの方がスポーツだと思います。

 

しかしこれも時代の流れ。

 

VRが進化して、選手も客も非現実空間を見れるようになったら

 

はたして実際の体で出来ることが

 

どれほどの意味があるのか?

 

だからこそ実際の日本で言うスポーツには頑張ってほしいですね。

 

eスポーツは、趣味、ホビーの技量選手権ってとこでしょう。

 

人は何故スポーツに感動するのか。

 

ここに大きな人生的な面白さがあるようにおもえないでしょうか。

Yahoo!ニュースかなんかで家事の簡素化は悪くないって記事を読んだ。

まぁ、記事の内容は悪くない。時代も時代。あらゆる事が機械に代替され、企業によりサービス過多の今は家事も進化を遂げるべきだ。

しかし胸くそ悪いのは主婦の苦労自慢だ。
家事なんて大変だ。
でもそんなの解ってて結婚してガキを産んだのではないか。
それを、いちいち
「家事は女だけの仕事ではない」とか
「欧米ではー」とか始まる。

介護や教育問題もそうだが
女はどうしてすぐに他国の型を引っ張り出してそのまま日本に当てはめようとするのか。

基本的に女はそういった型に嫌々はめられていて
辛いのはそのせいだ、とする。

そしてそれを、主権を握る政治家や旦那のせいにする。

悔しかったら子育てもして、働いて自分で自分の人生を切り開けばよいのにいつまでも囚われの身を装い、被害者でいる。

いまや、欧米と同じくらい男女平等である。
いつまでエルサやアリエルで居続けるつもりか。

貴女方は努力でアナになれるのだ。

こんにちわ。

 

テレビで連日小池都知事の雄志が放映されています。

 

よっぽど数字が取れるのでしょう。

 

他の重大なニュースは山程あるのに

 

豊洲の移転問題、オリンピック開催地の話しは連日放映されます。あり得ません。

 

オリンピックの話しも下らないですが

 

今日は盛り土、その責任者追求と言った下らない話しをしましょう。

 

そもそも、豊洲の盛り土は必要ありません。これは明確です。

 

汚染が確認されたのは全体の二十パーセントに満たない場所で

 

そこは中温加熱処理、堀削微生物処理などで“無害化”が可能だそうです。

 

また国の基準で

 

法令で求められる土壌汚染対策の水準(10cm以上のコンクリートで覆う)

 

というのがあり、その要件は満たしているわけですから

 

あのまま移転をする事は可能だった訳です。

 

それをあの老害女が

 

昔の政治から死んだ老害の話しを引っ張り出し

 

敢えて問題として煽り

 

「私はこんなに一生懸命やってるの。都民の皆さん、私は凄いでしょ」

 

というアピールにすぎません。

 

しかし、連日テレビで放映されているのは、それを一生懸命見る人達がいるからでしょう。

 

日本国民は馬鹿です。

 

馬鹿な僕でも解るくらいですから、かなりです。

 

それに、地下空洞はとても利便性に優れています。

 

空洞がある事で、汚染水が上がってきた場合

 

汲み取ることが出来ます。

 

更に、地下施設を設けることで点検がかなりスムーズに出来ます。

 

しかし盛り土をすれば

 

汚染水は上がってこないのでしょうか?

 

全くもって疑問ですよね。

 

政治に僕らが興味を持たないせいで

 

①日本では珍しい女議員

②煩い共産党関連の団体

 

の声に欺されているのです。僕らは。

 

そして下らない責任追及に使われる“税金”。

 

市場の人達が飛ばした怒号。

「責任追及はあんたらの問題だろう!まずは俺等の保証をどうにかしろ」

 

もっともです。

 

私は頑張っているアピールはもういいので、話しを先に進めてください。

 

本当に、税金の無駄遣いばかりがお上手です。