【今日の1枚】Mike Oldfield/Ommadawn(オマドーン) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Mike Oldfield/Ommadawn
マイク・オールドフィールド/オマドーン
1975年リリース

自然、人間、愛の素晴らしさを音に乗せた
ミニマルミュージックの最高傑作

 大ヒットしたデビューアルバム『チューブラー・ベルズ』やセカンドアルバム『ハージェスト・リッジ』を経て1年あまりで完成させた、マイク・オールドフィールドのサードアルバム。レコードのA面とB面に配置された2曲の大曲になっており、エモーショナルなギター、アフリカンなドラム、讃美歌的なコーラス、美しすぎるストリングスを配したトラディショナル性の強い優しさに満ちあふれたサウンドになっている。緻密な多重録音構成による自然、人間、愛の素晴らしさを音に乗せたその幻想的な世界観は、多くの人々に感動を与え、マイク・オールドフィールドの作品の中でもトップクラスに位置する歴史的な名盤である。

 マイク・オールドフィールドが持つ音楽性はすでに少年時代から育まれたものと言っても良いだろう。彼は幼少時からピアノを弾き、10歳からギターを習い始めている。13歳の頃には地元のレディングのフォーククラブで演奏し、伝説的なギタリストであるジョン・レイボーンにインスパイアされたプレイですでに評判となっていたという。1967年には姉のサリー・オールドフィールドと共にサリアンジーというフォークデュオを結成し、1968年に『チルドレン・オブ・ザ・サン』というアルバムでプロデビューしている。後にデュオは解散してしまうが、マイクはロンドンでのセッション活動を通じて、元ソフト・マシーンからソロ活動に転じたケヴィン・エアーズや作曲家兼ミュージシャンであるデヴィッド・ベッドフォードと出会うことになる。彼はケヴィン・エアーズのバックバンドであるザ・ホール・ワールドの一員となってベースを担当。1970年の『月に撃つ』や1971年の『彼女のすべてを歌に』のアルバムに参加している。この頃から彼もバックバンドから自身のアイデアを具現化するためのソロ活動を強く求めるようになる。ケヴィン・エアーズがデヴィッド・アレンが結成したグループ、ゴングに加入したため、ザ・ホール・ワールドは解散。今度はデヴィッド・ベッドフォードに近づき、作曲や音楽理論を学んでいる。マイク・オールドフィールドの音楽的な基盤は、幼き頃に習ったピアノやギターによる演奏技術とケヴィン・エアーズと活動したライヴイベントやレコーディングの経験、そしてデヴィッド・ベッドフォードから学んだ音楽的知識によるものが大きい。彼はキース・ティペット率いるセンティビートというグループやミニマルミュージックの重要ミュージシャン、テリー・ライリーによるアルバム『レインボー・イン・カーヴド・エア』を聴いて刺激を受け、早速自身のソロ制作に取り掛かることになる。マイクがソロ制作を始めることを知ったケヴィン・エアーズは、彼にトッテナムで使用していた1/4インチのテープレコーダーを置き土産として手渡している。しかし、そのレコーダーは2トラック同時録音のみ可能なタイプであり、困り果てたマイクは何とベーシックながらも多重録音が可能なタイプに改造してしまっている。かくして彼はロンドン北部郊外のテラスハウスを見下ろすトッテナムの家で、あの驚異の楽曲を仕上げていくことになる。

 1973年に大ヒットしたデビューアルバム『チューブラー・ベルズ』は、その長大な組曲として提示された内容であったにも関わらず、最も幅広い層に受け入れられたロックアルバムと言っても良いだろう。ロックでありながらロックビートを持たず、歌もなく、全てのパートを1人のミュージシャンが多重録音で演奏したその美しいアルバムは、当時20歳にも満たないマイク・オールドフィールドという少年の信じがたいほどの純真さと音楽へのひた向きさによって生み出された傑作とされている。『チューブラー・ベルズ』の予想外の大ヒットにより、世界的な名声を得たマイク・オールドフィールドだったが、翌年にリリースしたセカンドアルバム『ハージェスト・リッジ』は、前作と打って変わって批判的な反応だったことに大きく失望したという。『ハージェスト・リッジ』も前作と同じ曲構成で異なるムードと音楽スタイルを提示した作品であり、3週連続で全英アルバムチャートで1位を獲得した偉大な作品であったのにも関わらずである。その理由の1つとしては、これだけ世界的な売り上げを達成したにも関わらず、マイクはBBCのテレビ番組「2nd House」のために『チューブラー・ベルズ パート1』のライヴレコーディングを最後にライヴを一切行わず、USツアーをはじめとするオファーも頑なに断り続けていたからである。音を大事にしてきた彼にとっては、ライヴパフォーマンスがかなり苦痛だったと言われており、ほとんど表に出ない彼に対して音楽業界やマスコミがやっかみに近い形で批判したのである。しかし、そんなプレッシャーの中で彼は続編を制作することを誓い、自身のレーベルであるヴァージンレコードを説得して、プロのスタジオではなくヘレフォードシャー州キングトンのビーコンの自宅に24トラックのスタジオを設置している。1975年1月からレコーディングを開始したが、間もなく彼にとって大きな悲しみが襲う。それは母親の死去である。母の死は若いマイクにとって落ち込ませたが、新たな音楽に取り組むことが自身の唯一の慰めになったと後に回顧している。また、A面の録音がほぼ終了した数カ月後、なんと記録テープの酸化層が剥がれ始め、修復不可能な損傷となってしまう。理由はトラックに何度もオーバーダブを加えたためである。彼は最初やり直すことを決めたが、後にこれが最終テイクの良い練習になったと振り返っており、さらに素晴らしいサウンドに近づいたと語っている。録音時にマイクは他のミュージシャンに参加してほしいとヴァージンレコードのサイモン・ドレイパーに連絡したところ、ヴォーカリストにアイルランド出身の女性シンガー、クローダー・シモンズの協力を得ることに成功し、さらにザ・ホール・ワールド時代に共に演奏したドラムスのウィリアム・マレイも参加。こうして1975年9月に8ヵ月かけてレコーディングされた『オマドーン』が、同年の10月にリリースされることになる。そのアルバムはレコードでいうA面とB面それぞれにパート1、パート2と配置した2部構成の長大な楽曲となったトラディショナル性の強いサウンドになっており、そこには荘厳さと素朴さが入り混じった音を紡ぎつつ、マイク・オールドフィールドが持つ自然、人間、愛の素晴らしさを描いた秀逸な作品となっている。

★曲目★ 
01.Ommadawn Part 1(オマドーン パート1)
02.Ommadawn Part 2(オマドーン パート2)

 アルバムのA面に配置された『オマドーン パート1』は、最初に2つの印象的なテーマが提示されている。テーマに対する変奏部が数種類が用意されており、その紡いだような音は幻想的とも言える『オマドーン』の世界観といえる。アコースティックな楽器が主体ながらも背景にシンセストリングスを配した美しいメロディが演奏されており、トラディショナル風のパートも挟みながらの展開しながら中盤からはバーカッションをバックにした流れになっている。オールドフィールドのエモーショナルなエレクトリックギターのフレーズと共に、すべての音が怒涛のように押し寄せ、最後には感動的ともいえるクライマックスで迎えている。中でも荘厳なストリングスとケルティックなクローダー・シモンズのヴォーカル、一方で素朴で牧歌的な楽器の組み合わせは、繊細な音の紡ぎを標榜するオールドフィールドならではの芸当である。B面に配置された『オマドーン パート2』は、前曲の余韻を残したスペイシーなサウンドから、やがて静かなアコースティックギターとバグパイプによるメロディが紡がれる。このあたりからケルティック、もしくはトラディショナル性の強いサウンドになっていき、終盤ではバウロンという打楽器によるリズム感のある演奏になっていく。ここでもマイク・オールドフィールドの鮮やかなエレクトリックギターの響きが印象的である。最後には『On Horseback(オン・ホース・ソング)』の歌で締めくくっており、オールドフィールドのアコースティックギターの弾き語りとなっている。徐々に様々な楽器が加えられ、子供たちによるコーラスが重なり、まさに夢心地な曲になっており、本アルバムの大きなポイントになっている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、印象的なテーマを基にそこに多彩な楽器によって音を紡ぐように形成し、最後はトラディショナルな音楽に導いていくという、36分という長尺の曲が1つのストーリーとなっているようである。多くのテイクを駆使したというオールドフィールドの作るフレーズに無駄な音はほとんどなく、人間が古来から感じてきた美しい音とメロディを終始奏でている。本アルバムが後年、人々から愛され続けるのは、人の手で作り出される人間味のある優しいサウンドが魅力となっているからだろう。

 本アルバムの『オマドーン』は全英4位、カナダでは74位、米国のビルボード200では146位という輝かしい記録を打ち立てることになる。しかし、アルバムを制作してもファーストアルバムを越えることはなく、また、成功によって生じた精神的重圧によって苦しむことになり、レコーディング作業から離れて長期間の療養生活に入ることになる。この頃、マイクは療養しつつもヨーロッパ中を旅しており、様々なアーティストと交流を含めてレコーディングに参加したりしている。その中にはフィンランドのプログレッシヴロックグループ、ウィグワムのベーシストであるペッカ・ポヨーラのソロアルバムに参加している。その後、何かに目覚めたのか、再度イギリスのレコーディングスタジオに戻り、3年ぶりとなるアルバム『呪文』を1978年に発表してカムバックを果たすことになる。『呪文』をリリース後にはこれまで拒み続けてきたツアーを積極的に行うようになり、これまでとは違うマイク・オールドフィールドを人々に魅せることになる。1979年にリリースされた5枚目のアルバム『プラチナム』は、彼の長尺の作品からメインストリームおよびポップミュージックへの移行の始まりとなり、1982年のマギー・ライリーがヴォーカルを務めた最初のシングル『ムーンライト・シャドウ』は彼にとって最も成功したシングルとなる。マイク・オールドフィールドは1980年代以降も新たな音楽スタイルに果敢に挑戦し、数多くの自身のアルバムやコラボレーションアルバムを残し、ニューエイジミュージックの世界的なミュージシャンとなっている。彼は35年間続いたヴァージンレコードから離れ、2015年後半には『オマドーン』の続編に着手したことを明らかにし、2016年に『リターン・トゥ・オマドーン』と名付けられ、2017年1月にリリースされたことは記憶に新しい。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は多くのプレッシャーの中で、1人の若き人間が信じがたいほどの純真さと音楽へのひた向きさによって生み出されたサードアルバム『オマドーン』を紹介しました。マイク・オールドフィールドの作品は大ヒットしたデビュー作『チューブラー・ベルズ』を先に紹介していますが、個人的に本アルバムのほうが思い入れが大きいです。『チューブラー・ベルズ』は、確かに1人のミュージシャンが多重録音によって生み出された驚異のアルバムとして素晴らしいものがありますが、ロックでありながらロックビートを持たないインスト曲だったので、結構、聴くのに集中力が必要だったかな~と思い出されます。名盤でありながら自身にとって取っつきにくい作品は多くありますが、『チューブラー・ベルズ』もその1枚ともいえます。『オマドーン』はその後、彼の大ヒット曲となったマギー・ライリーがヴォーカルを務めた『ムーンライト・シャドウ』に聴き惚れた後、しばらくしてから購入しました。私がマイク・オールドフィールドを本格的に好きになったのはこの『オマドーン』のアルバムからです。

 本アルバムのタイトルにある『Ommadawn』は、辞書には無いスペルですが、レコーディングに呼ばれたアイルランド出身の女性シンガー、クローダー・シモンズが、録音中に即興的に書いたナンセンスな詩が由来だと言われています。その詩をクローダーの母親に電話してゲール語に訳させたものだそうです。字面から夜明けを連想させるような感じを受けるその言葉は、曲の中のコーラスでも使用されています。またジャケットのオールドフィールドのまっすぐ前を見据える目と表情に強い決意が感じられ、その前の水のようなカーテンが何かを洗い流しているようです。そんな『チューブラー・ベルズ』や『ハージェスト・リッジ』とはまた違った印象を与えたいるのも、本アルバムの魅力の1つだと思っています。

 さて、サウンドですが、一体どんな経験をしたらこんなサウンドが生み出されるのかと思うくらい、美しいフレーズが紡がれた究極の作品となっています。『チューブラー・ベルズ』以来、同じ2部構成の長尺の楽曲となっていますが、印象的なテーマを基にそこに多彩な楽器によって音を紡いでいく1本のストーリー仕立ての組曲形式になっています。これまでのアルバムと比較すると、『オマドーン』で大きくフィーチャーされているのはパーカッションです。ウィリアム・マレイが参加したドラムやアフリカンな打楽器を導入したことで、より強い躍動感が生まれています。また、シンセストリングスをバックに女性コーラスを加えたことで荘厳さを演出する一方、アコースティックギターやトラディショナルな楽器による素朴さや牧歌性といった音を紡ぐことによって、これまでとは違った優しさに満ち溢れたサウンドに昇華していることが大きな魅力となっています。人間が普遍的に持つメロディや音がそことなく奏でられていて、自然と聴くたびに感動を覚えます。

 本アルバムは2曲で36分という長尺のアルバムですが、マイク・オールドフィールドという若い青年による純真で美しい音楽の結晶です。最後までじっくり聴いてほしい1枚です。

それではまたっ!