【今日の1枚】U.K./Danger Money(U.K./デンジャー・マネー) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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U.K./Danger Money
U.K./デンジャー・マネー
1979年リリース

トリオ編成となってより高みへと臨んだ
70年代英国プログレッシヴロックの最後の威光

 ギタリストのアラン・ホールズワースとドラマーのビル・ブルーフォードが脱退し、代わりにドラマーのテリー・ポジオが加入してトリオ編成となったU.K.のセカンドアルバム。そのアルバムはエディ・ジョブソンの重厚なキーボードとヴァイオリン、それに絡みつくような勇ましいジョン・ウェットンのベースとヴォーカル、そして何よりもポリリズムさとパワフルさのあるテリー・ポジオのドラミングによって、変拍子と転調を繰り返しながら緊張感を漂わせたサウンドになっている。1970年代の最後のスーパーグループとして君臨し、1980年代へとつないでいく英国プログレッシヴロックの威厳すら感じさせる最重要なアルバムである。

 U.K.は1977年に元キング・クリムゾンのジョン・ウェットン(ベース、ヴォーカル)、ビル・ブルーフォード(ドラムス)、元カーヴド・エア&ロキシー・ミュージックのエディ・ジョブソン(キーボード、ヴァイオリン)、元ソフト・マシーン&テンペストのアラン・ホールズワース(ギター)の英国のプログレッシヴロックグループを渡り歩いた4人によって結成されたグループである。1970年代末期の英国はパンク/ニューウェーヴが台頭しており、彼らのような凄腕のロックミュージシャンによる新たなグループの登場は、多くのファンに迎え入れられたことだろう。1978年のデビューアルバム『憂国の四士』は、ジャズロック出身のアラン・ホールズワースとビル・ブルーフォードの影響もあって、即興性のあるスキルフルでテクニカルなアンサンブルが特徴であり、衰退期にあったプログレッシヴロックシーンにとって、まさにスーパーグループにふさわしいアルバムとなっている。しかし、スーパーグループの宿命ともいうべきか、デビューアルバム1枚でメンバーが分裂。ジャズ指向の強いアラン・ホールズワースとビル・ブルーフォードの2人が脱退してしまい、元ハットフィールド&ザ・ノースのディヴ・スチュワート(キーボード)と元ホワイトスネイクのニール・マーレイ(ベース)を加えたブルーフォードを結成してしまう。発端はデビューアルバムのサポートツアーで2回のアメリカツアーから戻った後、音楽的な方向性の違いでジョンとエディがアランを解雇しようとしたのをビルが止めた流れがあったという。ビルはアランの即興的なアプローチのあるギターを支持していたこともあり、結局2人は揃ってグループから離れることになったのである。残った2人は以前にエディがフランク・ザッパで共にプレイしたことのあるテリー・ポジオをビルの代わりに迎え入れる。テリーはフランク・ザッパとの確執から解雇され、その後シン・リジィのオーディションで不合格となって路頭に迷っていたところ、エディから声をかけられたという。また、ジョンとエディは当初、アラン・ホールズワースの代わりにギタリストも探そうとしたが難航して失敗。最終的にエディ・ジョブソンが提案するトリオ編成で次のアルバムのレコーディングを行うことになる。曲はジョン・ウェットンとエディ・ジョブソンの2人で作り上げ、1978年11月から1979年1月にかけて、ロンドンにあるAIRスタジオでレコーディングを開始。ジョンとエディの2人がプロデュースを務め、1979年3月にセカンドアルバム『デンジャー・マネー』がリリースされることになる。本アルバムは時代的なオルガンの音色と最新鋭のシンセサイザーワークをバックに、キャッチーなメロディやヴォーカルを湛えた楽曲になっている。また、ジョンとエディによるグループの音楽的な方向性が明確化になっただけではなく、後のエイジアにも通じる親和性のあるプログレッシヴなサウンドになった注目すべきアルバムである。
 
★曲目★ 
01.Danger Money(デンジャー・マネー)
02.Rendezvous 6.02(ランデヴー 6.02)
03.The Only Thing She Needs(ジ・オンリー・シング・シー・ニーズ)
04.Caesar's Palace Blues(シーザース・パレス・ブルース)
05.Nothing To Lose(ナッシング・トゥ・ルーズ)
06.Carrying No Cross(キャリング・ノー・クロス)

 アルバムの1曲目の『デンジャー・マネー』は、重厚なオルガンとドラミングにシンセサイザーの旋律が渦巻く緊張感あふれるイントロから、ジョン・ウェットンの勇ましいヴォーカルが始まる。そのヴォーカルに絡みつくようなオルガンとタイトなリズムが、非常にポップさを伴う楽曲になっている。中間のパートではベースがメロディを担い、後にオルガンがリフに切り替わった途端、ベースとオルガンによるユニゾンがメロディを担うという技巧的なアンサンブルを披露している。2曲目の『ランデヴー 6.02』は、華麗なエレクトリックピアノの響きから始まり、ジョン・ウェットンのどこか切なく儚げなヴォーカルが印象的な楽曲。YamahaのCS80によるソロは、楽器の16個のオシレーターすべてをモノフォニック・ユニゾンで使用して演奏されたものであり、終始、抒情的でミステリアスな雰囲気が漂う悲しいゴーストストーリーである。3曲目の『ジ・オンリー・シング・シー・ニーズ』は、テリー・ポジオのパワフルなドラミングで幕を開け、スリリングなシンセサイザー、エレクトリックヴァイオリンを加えた変拍子のある楽曲。無機質さとリズミカルさのあるドラミングが印象的であり、後半のエレクトリックピアノやベースを交えた力強いアンサンブルはドラマティックである。最後はエディ・ジョブソンの超絶的なエレクトリックヴァイオリンとキーボードのソロが待ち構えている。4曲目の『シーザース・パレス・ブルース』は、唸るようなベースと手数の多いドラミング、そしてやや不気味さのあるエレクトリックヴァイオリンの響きによるオープニングから、タイトなリズムと煌びやかなヴァイオリンによるポップなメロディに変化する楽曲。中間の縦横無尽に弾きまくるエディのヴァイオリンソロは圧巻の一言である。5曲目の『ナッシング・トゥ・ルース』は、複数のシンセサイザーを使用した重厚さと華やかさのあるメロディアスなヴォーカル曲。ジョン・ウェットンが作曲したものだが、エディ・ジョブソンが2つのヴァースを並べ替えたものに歌詞を書き加えたものだという。ジョン・ウェットンらしい力強く伸びやかなヴォーカルが素晴らしい楽曲である。6曲目の『キャリング・ノー・クロス』は、12分を越える大曲。幻想的なシンセサイザーの響きから幕を開け、ジョン・ウェットンの歌声で「静」のパートに進み、やがてドラムが加わって力強いベースとスリリングなキーボードによるテクニカルな「動」のパートへと変化していく。そして中間部のシンセサイザーを中心としたアンサンブルは次第にスピードが増し、突然、鳴り響くピアノによるソロを皮切りに変拍子やリズムチェンジを交えた展開となる。その緊迫感あふれるドラマティックな展開は、プログレッシヴロックのひとつの完成形とさえ言える。最後の光を求めようとする歌詞に、次の時代を見据えたジョン・ウェットンの前向きな姿勢が読み取れる。こうしてアルバムを通して聴いてみると、極めて技巧的で即興性の高かった前作と比べて、ギターレストリオになってジャズ要素が無くなったためか、明らかにメロディ主体のポップな印象の楽曲が多くなっている。ジョン・ウェットンが実現したかった本来のプログレッシヴロックの形に近づいたアルバムだったが、彼の夢と理想はエイジアへと引き継がれていくことになる。

 アルバムリリース後、ジェスロ・タルのオープニングアクトとして北米ツアーを慣行。『ランデヴー 6.02』と『ナッシング・トゥ・ルーズ』の2枚がシングルカットされ、『ナッシング・トゥ・ルーズ』は全英シングルチャートで67位に達するヒットとなったという。1979年5月下旬と6月上旬には来日が実現し、東京の中野サンプラザホールと日本青年館で行った初のライヴ録音が、3枚目のライヴアルバム『ナイト・アフター・ナイト』として同年9月にリリースされる。彼らは1979年12月に最後のヨーロッパツアーを行った後、1980年3月に米国で新しいスタジオアルバムを録音する計画があったにも関わらず、エディ・ジョブソンとジョン・ウェットンの音楽的な方向性の違いが表面化したことで、1970年代の終焉と共にグループは解散することになる。エディはより長大なインストゥメンタル曲を演奏したいと望んだ一方、ジョンはより短く商業的な曲を演奏するのが時代の流れであるという考えを持っていたという。エディ・ジョブソンは解散後、イアン・アンダーソンから協力を依頼され、ジェスロ・タルの1980年のアルバム『A』に特別ゲストとして参加。一度グループから離れて1983年にキーボーディストのトニー・ケイの代わりに短期間だけイエスに加入している。彼は1985年にベルリンの国際会議センターで行われたJ.S.バッハの生誕300年を祝うために、当時ジェスロ・タルのキーボード奏者だったピーター・ジョン・ヴェッテーゼの代わりにキーボードとヴァイオリンを演奏。その後はソロ活動を続けることになる。テリー・ポジオは元フランク・ザッパのギタリストのウォーレン・ククルロ、そして当時の妻でヴォーカリストのデイル・ボジオとともにミッシング・パーソンズというニューウェーヴグループを結成。1982年にリリースしたアルバム『Spring Session M』は、ゴールドディスクに輝く快挙を成し遂げている。その後はセッションミュージシャンとして多くのアーティストと演奏する一方、オスティナートをベースにしたドラムソロを開発している。1990年代はソロドラムアーティストとして、1997年には月刊誌『モダン・ドラマー』の殿堂入りを果たし、2001年に『ドラムマガジン』の年間最優秀ドラマー賞を受賞している。ジョン・ウェットンは解散後に初のソロアルバム『Caught in the Crossfire』をリリース。その後はウィッシュボーン・アッシュに短期間在籍し、1981年後半に新レーベル、ゲフィンレコードの初代A&R幹部に就任したばかりのジョン・カロドナーと出会うことになる。このカロドナーの強い勧めで、解散したイエスのギタリストであるスティーヴ・ハウとの顔合わせが実現。意気投合して2人で曲作りをはじめ、ドラマーのカール・パーマーとキーボード奏者のジェフ・ダウンズと組んでエイジアを結成することは周知のとおりである。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は1970年代最後のスーパーグループと言っても過言ではない、U.K.のセカンドアルバム『デンジャー・マネー』を紹介しました。過去に本レビューで挙げたデビューアルバム『憂国の四士』に続いて2枚目となります。デビューアルバムはパンク/ニューウェーヴに真っ向から対立するかのように、歴戦のプログレッシヴロックのミュージシャンが集まり、超絶技巧を凝らしたアルバムとして紹介しました。その極めて技巧的で即興性の高かった楽曲は、これはこれでプログレッシヴロックとしての偉業は成し遂げましたが、残念ながら売上に結びつかなかったことがジョン・ウェットンに暗い陰をもたらします。それでもなお、我が道を行くアラン・ホールズワースとビル・ブルーフォードと袂を分かち、トリオ編成で臨んだのが本アルバムとなります。私は『デンジャー・マネー』というアルバムは、激動の時代と言われたロックシーンにおいて、ジョン・ウェットンが求め続けたサウンドに近づいた作品だったのだろうと思っています。それは聴き手を選ぶような難解さのない親和性のあるプログレッシヴロックのことです。そのメロディを主体としたポップ路線は、本アルバムでグループの方向性は明確化になりましたが、インスト面を強調するエディ・ジョブソンとの曲作りの相違が浮き出た作品でもあります。それでも時代的なオルガンやピアノの音色と最新鋭のシンセサイザーワークをバックに、キャッチーなメロディやヴォーカルは、まさに1970年代のプログレッシヴロックを継承しつつ、1980年代に一世風靡するポップ路線のエイジアを予感させる楽曲になっていると思います。本アルバムを重要なアルバムと位置付けているのは、そんな時代の変遷がひとつの作品に集約されているからでしょう。最後の曲の『キャリング・ノー・クロス』が12分を越えていますが、この長大な曲がまるで1970年代のプログレッシヴロックとの別れを告げているように思えてなりません。

 さて、アルバムのタイトルとにもなった『デンジャー・マネー』ですが、金のために危険を冒す殺し屋、もしくは傭兵を歌ったものです。歌詞に「俺は金儲けが目的の傭兵、俺は生きていれば儲けもの。過去を振り返れば、そうさきっとまた同じことをするだろう」とありますが、まさにセッションミュージシャンだった自分たちを喩えているような感じがします。ジャケットもヒプノシスの手でその曲と歌詞に基づいた画像になっていて、男が血で汚れた手を洗っています。もしかしたら彼らは集合離散を繰り返してきた過去を洗い流して、どこか安定を求めていたのかもしれません。1970年代といえば演奏技術が無いと生きていけなかった時代でしたからね。

 本アルバムは過去のプログレッシヴな感覚を取り入れたメロディを主体とした心地よいサウンドとなった作品です。1970年代と1980年代の間におけるプログレッシヴロックの変遷が感じられるファン必聴のアルバムです。ぜひ、オススメしたい1枚です。

それではまたっ!