【今日の1枚】P.F.M./The World Became The World(甦る世界) | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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Premiata Forneria Marconi/The World Became The World
プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ/甦る世界
1974年リリース

優雅さと技巧さを兼ね揃えた
圧倒的なアレンジ力を誇る名盤

 イタリアンロック及びイタリアのプログレッシヴロックを世界に知らしめた偉大なるグループ、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(以下P.F.M.)の3枚目のスタジオアルバム『L'isola di niente』の英語盤。本アルバムはマンティコアレーベルから世界デビューを果たした『幻の映像』の次なる作品であり、その優雅さと技巧さからなる鮮やかな構築美とアレンジ力は圧巻であり、ファンの間では前作を凌ぐ傑作と言われている。英語歌詞は前作同様にピート・シンフィールドが務め、新たなベーシストに元アレアのパトリック・ジヴァスを迎えている。

 P.F.M.の前身は学生時代に組んでいたグループ、ブラック・デビルズが母体である。当時のメンバーはフランツ・ディ・チョッチョ(ドラム)、ピーノ・ファヴァローロ(リズムギター、ヴォーカル)、トニー・ジェスアルディ(ベース)、アウグスト・ロ・バッソ(サックス)であり、1964年にイタリアの歌手であるジャン・ピエレッティからバックバンドの依頼を受けるところからプロの活動を始めている。その時、グループ名をジャン・ピエレッティ&ザ・グリフォーニと変えており、リードギターにフランコ・ムッシーダがメンバーに加わっている。歌手であるジャン・ピエレッティは、当時流行していたビートスタイルのポップシンガーで数多くのヒット曲を出しており、バックバンドであったザ・グリフォーニの知名度も次第にアップしていくことになる。オリジナル志向を強めていた彼らは、やがてグループ名をイ・クエッリと改名して、サックスのアウグスト・ロ・バッソを抜いた4人でジャン・ピエレッティから独立をすることになる。イ・クエッリは1966年に『Via Con Il Vento(風と共に去りぬ)』でデビューし、シングルを出すかたわら、多くのイタリアのアーティストと演奏をしている。しかし、その間にベーシストのトニー・ジェスアルディとギタリストのフランコ・ムッシーダが兵役のためにグループから離脱し、1969年にはオリジナルギタリストだったピーノ・ファヴァローロが脱退するなど、イ・クエッリにとって最大の試練を迎える。この頃に弱冠17歳のキーボーディストであるフラウディオ・プレーモリと、ベーシストのジョルジョ・ピアッツァを加入させている。メンバーとなったフラウディオ・プレーモリはワールド・アコーディオン・コンテストで優勝したこともあり、北イタリアで最も早い指と評されたミュージシャンである。兵役からフランコ・ムッシーダが戻ると改めてオリジナル曲を作るようになり、1969年7月にイ・クエッリとして最初のアルバム『Quelli』をリリースする。この時のメンバーはフランツ・ディ・チョッチョ(ドラム)、フラウディオ・プレーモリ(キーボード)、フランコ・ムッシーダ(ギター)、ジョルジョ・ピアッツァ(ベース)の4人だったが、アルバムを発表したその夏にもう1人のミュージシャンと出会うことになる。マウロ・パガーニである。彼はフルートとヴァイオリンによる独特の演奏で聴かせたミュージシャンであり、後のP.F.M.の中心的な役割を果たすことになる。マウロ・パガーニの加入は、グループのサウンドに新しい風を吹き込むことになる。

 1970年にシンガーでありプロデューサーでもあるルチオ・バッティスティのレコーディングに参加した時、彼の勧めでグループ名をプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(以下、P.F.M.)に改名している。彼らは1971年に『九月の情景』と『ハンスの馬車』のカップリングシングルでデビューし、これまでイタリア音楽には無かったモーグシンセサイザーやメロトロンを導入している。1972年にファーストアルバム『幻想物語』をイタリア国内でリリースし、アルバムチャート3位を記録。それでもP.F.M.はイタリアのクラブサーキットで演奏しているだけのグループだったが、マネージャーのフランコ・マモーネがプロモーターとして世界ツアー中だったエマーソン・レイク&パーマーをイタリアに招聘。P.F.M.はエマーソン・レイク&パーマーの前座を務め、そのサウンドを聴いたグレッグ・レイクはいたく気に入ったという。1972年12月にセカンドアルバム『友よ』をリリース後、グレッグ・レイクの勧めでマンティコア・レーベルと契約し、P.F.M.は世界進出を図ることになる。『幻想物語』と『友よ』のアルバムのカップリングとなった世界デビューアルバム『幻の映像』は1973年にイギリス国内で発売され、その後に日本をはじめ世界中にリリースされる。特にイギリスでは名立たるプログレッシヴロックのグループが乱立する中で、オランダのフォーカスと並んで注目される外国勢のアーティストとなっている。イタリア国内のアルバムチャートでは21位を記録し、アメリカではビルボードで180位につけるなど、イタリアのロックグループとして初のチャート入りを果たしている。後にレディング・フェスティヴァルをはじめとするライヴパフォーマンスが評判になると、グループはさらなる演奏向上に向けてある決心をすることになる。それはメンバー全員が歌を歌い、コーラスを行うというものである。このためヴォーカルが出来なかったベーシストのジョルジョ・ピアッツァが解雇されてしまう。ピート・シンフィールドは解雇されたジョルジョの代わりにジョン・ウェットンの加入を勧めたが、元アレアのベーシスト兼ヴォーカリストであったパトリック・ジヴァスと劇的な出会いを経てメンバーに迎えている。こうして1973年の11月からロンドンのアドヴィジョンスタジオで次のアルバムの1曲目から5曲目までのレコーディングを開始。1974年1月にはイタリアのミラノにあるフォノローマスタジオでオーバーダビングを行い、6曲目の録音がされている。再度アドヴィジョンスタジオに戻ってメンバーで全曲のミックス作業を行い、イタリア語盤『L'isola di niente』と英語盤『甦る世界』が作成される。1974年に発表された『甦る世界』は、前作『幻の映像』と同様にピートシンフィールドが英語歌詞を書き、プロデュースはP.F.M.とクラウディオ・ファビが務めている。
 
★曲目★【英語盤】
01.The Mountain(マウンテン)
02.Just Look Away(通り過ぎる人々)
03.The World Became The World(甦る世界)
04.Four Holes In The Ground(原始への回帰)
05.Is My Face On Straight(困惑)
06.Have Your Cake And Beat It(望むものすべては得られない)

 アルバムの1曲目の『マウンテン』は、オープニングからミラノの合唱隊アカデミア・パオリーナによる壮大なコラールから始まる。合唱隊の後には重厚なリズムとヘヴィなギターをバックにしたヴォーカルパートとなり、ギターソロを含めながら曲調をくるくると変えた険しくも美しい山を描いている。英語歌詞の中には日本の古代の神「大山祇(おやまつみ)」という言葉があり、日本のファンの間でも話題になったという。2曲目の『通り過ぎる人々』は、フランコのアコースティックギターとフラビオのキーボードを中心とした哀愁たっぷりのバラード曲。ヴォーカルはフランコとフランツが担当しており、後半のマウロのリコーダーがとても心地がよい。3曲目の『甦る世界』は、デビュー曲である『九月の情景』をリメイクした英語バージョン。オリジナルとは違って静寂なキーボードとギターをバックにしたフォーク調のヴォーカルから、リズムとメロトロンを加えたダイナミックな展開となった楽曲になっている。後半はメロトロンの響きと共に壮大に高揚していき、まさに世界に向かって果てない広がりをみせているようである。4曲目の『原始への回帰』は、祝祭的なイメージのあるノリの良いポップな楽曲。P.F.M.のあらゆる楽曲の中でもスリリングな1曲となっており、ギターやキーボード、リコーダーといったユニゾンなどといった多彩な楽器が入り混じるカラフルなナンバーになっている。途中のヴォーカルはブリティッシュポップを彷彿とさせる親しみやすさがある。5曲目の『困惑』は、夢の中を漂うような響きのあるギターとヴォーカルから始まり、次第に軽快なポップとなっていく楽曲。中盤にはフルートやギター、キーボードによるユニゾンがあり、場面転換しながら後半にはフラウディオの高速アコーディオンが堪能できる。6曲目の『望むものすべては得られない』は、新メンバーであるパトリック・ジヴァスのベースを中心としたインストゥメンタル曲。次第にギターやキーボードが加わり、ドラムがフィルインすると一気にアグレッシヴなジャズロックとなる。途中からエレクトリックピアノとギターによるユニゾンとなり、リコーダーソロを経て最後は荘厳なメロトロンによる雄大な世界を描いて幕を下ろしている。こうしてアルバムを通して聴いてみると、前作の『幻の映像』よりも無駄な音は極力排除して、ストレートに自分たちの奏でる楽器を最大限に活かしたアルバムになっていると思える。また、シンフォニックで凝ったアレンジは抑えて、親しみやすいポップの要素と技巧的なジャズロックの要素が加味され、彼らが世界に向けてまた一歩高みに立った素晴らしい作品である。

 青いジャケットとなった英語盤は1974年5月に英国でリリースされ、日本では6月に発売されている。緑ジャケットとなったイタリア盤は『L'isola di niente』というタイトルで早々に3月にリリースされており、最高4位にランクインしている。本アルバムは商業的に前作を越えていないものの、評論家からは彼らの最高傑作と言われており、その評価は現在でも続いている。彼らは1974年の米国ツアーで、リトル・フィートやビーチ・ボーイズ、オールマン・ブラザーズ・バンド、エアロスミス、ZZトップ、ピーター・フランプトン、デイブ・メイソンらとコンサートを行っている。7月25日にシアトルのパラマウント・シアターで行われたサンタナとのコンサートの直前に盗難に遭う被害があったが、8月22日のカナダのトロントにあるコンベンションホールと8月31日の米国のニューヨークにあるセントラルパーク開催されたシェーファー音楽祭のショーが録音され、後にライヴアルバム『クック』としてリリースされる。米国から帰国した彼らは、グループに強力なリードヴォーカルがいないことに悩み、アクア・フラジーレというグループにいたベルナルド・ランゼッティを迎えることになる。彼は大学生の頃に米国のテキサス州に住んだことがあり、流暢な英語が話せたという。6人となったメンバーで次のアルバムの録音を開始し、1975年に『チョコレート・キングス』をリリースする。後に英国のBBCラジオ1やテレビ番組のオールドグレイ・ホイッスルテストに出演してアルバム曲を演奏。アルバムは英国で20位にまで達したが、メンバーであったマウロ・パガーニはソロミュージシャンとなるために脱退することになる。新たなヴァイオリニストにイッツ・ア・ビューティフル・デイというグループにいたグレゴリー・ブロックを迎えて、1977年にジャズフュージョンの影響を強く受けたアルバム『ジェット・ラグ』をリリース。しかし、アルバムリリース後にグレゴリー・ブロックは脱退し、再度グループは新たなスタイルを模索することになる。彼らはマンティコアレーベルから離れ、自国であるイタリアを拠点とした活動をし始める。1978年に新たに2人のパーカッションプレイヤーを加入させたアルバム『パスパルトゥ』をリリースし、ジャズとワールドミュージックを融合したポップ指向の強い作品になっている。このアルバムでヴォーカリストのベルナルド・ランゼッティがグループから離れてしまい、方向性を見失ったP.F.M.はシンガーソングライターであるファブリツィオ・デ・アンドレのバックバンドから再スタートさせている。1980年に入るとキーボーディストであるフラウディオ・プレーモリが脱退し、代わりにヴァイオリン兼キーボードを演奏するルシオ・ファブリが加入。後に5枚のアルバムをリリースするなど精力的に活動をしたが、1987年にグループは活動停止してしまう。再度フラウディオ・プレーモリがメンバーに声をかけてグループが復活するのは、10年後の1997年である。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は彼らが登場しなければ、世界にイタリアンロックの人気は無かっただろうと言われたプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(以下、P.F.M.)の『甦る世界』を紹介しました。イタリアでリリースされた3枚目のスタジオアルバム『L'isola di niente』の英語盤でもあります。前作の『幻の映像』はカップリングのアルバムとはいえ、エマーソン・レイク&パーマーのグレッグ・レイクが設立したマンティコア・レーベルからリリースされたことで非常に注目されたアルバムでしたね。本作も前作に続いてピート・シンフィールドの英語歌詞を基にしたアルバムになっていますが、ピートが関わった最後のアルバムでもあります。個人的に『幻の映像』よりも本アルバムのほうが好きで、とにかくテクニカルでありながら音色がとても艶やかで美しく、ロマンティックさえ感じられる素敵なポップ&ロックになっています。彼らの演奏の向上とアレンジ力は凄まじく、聴いていて思わず楽しくなってしまうほど良くできたアルバムだと思っています。ヴァイオリンやリコーダーを奏でるマウロ・パガーニと新たなベーシストのパトリック・ジヴァスの存在感が大きいです。イタリアバージョンのアルバムも聴いてみましたが、やはり英語バージョンのほうが私的には自然で聴きやすいですね。

 さて、先に説明したように青いジャケットは英語盤で緑のジャケットはイタリア語盤としてリリースしています。英語盤のジャケットは中央部に島の切り抜きがあって、その島を切り取ると内袋に印刷された島が見える仕組みになっていて、さらにその内袋を抜くと切り込み口の奥に廃墟の写真が登場するそうです。いわゆる繰り抜き型の変形ジャケットになっていて、オリジナル盤では完全な形で残っているのは少ないそうです。ちなみに2009年にビクターエンターテインメントからリリースされた紙ジャケCD盤を見てみると、ちゃんと再現されていました。こういう細かな仕様をきっちり作り込む日本の職人がいることをホントに誇りに思います。

それではまたっ!