【今日の1枚】The Soft Machine/アート・ロックの彗星 | 古今東西プログレレビュー垂れ流し

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The Soft Machine/The Soft Machine
ソフト・マシーン/アート・ロックの彗星
1968年リリース

カンタベリーミュージックの礎を築いた
異色のサイケデリックポップの歴史的名盤

 1960年代後半、ワイルド・フラワーズを始祖とし、キャラバンと共にカンタベリーシーンを築き上げてきた最重要グループ、ソフト・マシーンの記念すべきデビューアルバム。ジャズロックのパイオニア的な存在と言われるソフト・マシーンが、このデビューアルバムだけは、これまでの既成概念にとらわれない異色のサイケデリックな音楽になっており、ピンク・フロイドのデビューアルバムと並ぶサイケデリックポップの歴史的名盤とされている。ロバート・ワイアットの手数の多いドラミング、ケヴィン・エアーズのユニークな歌詞とヴォーカル、マイク・ラトリッジのフリーキーなオルガンといった3人のメンバーが作り出す、革新的で才気にあふれたサウンドが1枚に集約されている。

 カンタベリーミュージックの源流とも言われるソフト・マシーンだが、元々は1963年6月にワイルド・フラワーズというカンタベリーを拠点とするグループの結成から始まっている。ロバート・ワイアット(ドラムス)、ブライアン・ホッパー(ギター、サックス)、弟のヒュー・ホッパー(ベース、ギター)、リチャード・シンクレア(リズムギター)、そして後に合流するケヴィン・エアーズ(ヴォーカル)がメンバーである。しかし、この顔ぶれも長くは続かず、1965年のデモレコーディング中にケヴィン・エアーズ、リチャード・シンクレアが続けて脱退。ロバート・ワイアットがヴォーカルを務めるため、ドラマーにリチャード・コフランが加入している。1966年にギター兼ヴォーカルにパイ・ヘイスティングスが加入したことでワイアットが脱退。彼は音楽活動から一時離れて、エアーズと共に地中海西部のバレアレス海にあるマヨルカ島に訪れている。のんびり過ごしたワイアットは先に帰国し、残ったエアーズはそこでオーストラリア出身のヒッピー、デヴィッド・アレンを連れてしばらく島で過ごしている。1966年6月に帰国したケヴィン・エアーズとデヴィッド・アレンは、ロバート・ワイアットとラリー・ノーラン(ギター)に声をかけて、ミスター・ヘッドというグループを結成する。やがて5人目のメンバーとなるマイク・ラトリッジ(オルガン)が加わり、ウイリアム・バロウズの小説タイトルから許可を得て拝借したソフト・マシーンというグループ名に改めている。一方、ワイアットが抜けたワイルド・フラワーズのリチャード・コフランとパイ・ヘイスティングスは、リチャード・シンクレアとキーボード奏者のディヴ・シンクレアと共にキャラヴァンを結成することになる。このキャラヴァンもまた、ソフト・マシーンと同様にカンタベリーミュージックの礎を築く重要なグループとなる。

 1966年8月にソフト・マシーンのメンバーは、レコード会社との契約を得るためにデモレコーディングを行っている。そのレコーディングした曲を元に、1966年9月にハンブルクのスター・クラブを皮切りに、ロンドンのマーキー・クラブで開催されたSpontaneous Underground Happenings=通称「ハプニング」などでパフォーマンスを披露している。また、オール・セインツ・ホールで行われたピンク・フロイドのサウンドショーにもサポートアクトとして出演している。彼らのサウンドはジャズの影響からなる独自の長い即興演奏を取り入れたものだったが、次第にサイケデリック要素が加味されていくことになる。ロンドンののアンダーグラウンドシーンで支持を得たソフト・マシーンは、トテナム・コート・ロードのブラウニー・ボールルームを借りて開催されたサイケデリック・ミュージックのクラブイベント、UFOに定期的に出演し、ピンク・フロイドと並ぶロンドンで最も注目されたグループとなっている。1966年12月にアメリカ人のプロデューサーのキム・フォーリーを迎えて、ロンドンのCBSスタジオでエアーズの書いた『フィーリン・リーリン・スクイーリン』を録音している。また、1967年2月には元アニマルズのベーシストであるチャズ・チャンドラーをプロデューサーに迎えて、アドヴィジョン・スタジオで『ラヴ・メイクス・スウィート・ミュージック』が録音され、この2曲がソフト・マシーンのデビューシングルとなる。さらに4月にはアルバム用に9曲を録音するが、満足のいく結果には至らず未完成のままで終わっている。ギタリストのラリー・ノーランがグループから離れ、4人編成となったソフト・マシーンは、その後、フランスに渡り、サントロペ周辺で行われたコンサートを中心に数々のイベントに出演し、フランスに1ヵ月近く滞在している。メンバーは8月24日に帰国したが、デヴィッド・アレンはビザの期限が切れていたという理由で再入国が許されず、1人フランスに引き返すハプニングが起こっている。デヴィッド・アレンはフランスのパリに残ることになり、必然的にソフト・マシーンから離脱することになってしまう。後にアレンはフランスでゴングというグループを結成する。帰国した3人はメンバーを補充することなく、トリオ編成のまま活動を維持し、1967年末にロンドンで行われたクリスマス・オン・アース・リビジデッドに参加。そこにはピンク・フロイド、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、ザ・フーといったミュージシャンが出演したという大規模なサイケデリック・イベントである。このイベント後にジミ・ヘンドリックスと交流を持つようになり、彼のマネージャーであるチャズ・チャンドラーとマイク・ジェフリーの2人が、正式にソフト・マシーンのマネージャーも兼ねるようになっている。1968年の2月に彼らはヘンドリックスのアメリカツアーのサポート・アクトに起用され、後にグループにとって重要メンバーとなるロード・マネージャーのヒュー・ホッパーを伴って参加している。このヘンドリックスの長期ツアー中の1968年4月に、ニューヨークのレコード・プラントでデビューアルバムのレコーディングセッションを行っている。マネージャーのマイク・ジェフリーを介してABC/プローブ・レコーズと契約することに成功し、1968年11月にデビューアルバム『ザ・ソフト・マシーン』がフランスとオランダ、アメリカでリリースされる。そのアルバムは楽曲が途切れることのない曲構成の実験的なサイケデリックポップになっており、その編集技法は後のミュージシャンに多大な影響を及ぼした傑作となっている。

★曲目★
01.Hope For Happiness(幸福への願い)
02.Joy Of A Toy(ジョイ・オブ・ア・トイ)
03.Hope For Happiness~Reprise~(幸福への願い~リプライズ~)
04.Why Sm I So Short?(ホワイ・アム・アイ・ソー・ショート?)
05.So Boot If At All(ソー・ブート・イフ・アット・オール)
06.A Certain Kind(ア・サートゥン・カインド)
07.Save Yourself(セイヴ・ユアセルフ)
08.Priscilla(プリシラ)
09.Lullabye Letter(ララバイ・レター)
10.We Did It Again(ウィ・ディド・イット・アゲイン)
11.Plus Belle Qu'une Poubelle(プリュ・ベル・キュヌ・プーベル)
12.Why Are We Sleeping?(ホワイ・アー・ウィ・スリーピング?)
13.Box 25/4 Lid(ボックス・25/4 リッド)
★ボーナストラック★(モノラル)
14.Love Makes Sweet Music(ラヴ・メイクス・スウィート・ミュージック)
15.Feelin’ Reelin’ Squeelin’(フィーリン・リーリン・スクイーリン)

 アルバムの1曲目の『幸福への願い』は、後にソフト・マシーンに加わるヒュー・ホッパーの兄、ブライアン・ホッパーが作曲した初期ソフト・マシーンの代表曲である。スイング感あふれるジャズの中でケヴィン・エアーズの刺激的なヴォーカル、マイク・ラトリッジのファズの効いたオルガンが、まさに英国のサイケデリックサウンドを彩っている。2曲目の『ジョイ・オブ・ア・トイ』は、リード楽器をベースにしたユニークなインストゥメンタル曲になっており、ややトリップ感が漂う楽曲になっており、3曲目の『幸福への願い~リプライズ~』まで続けたメドレー形式になっている。4曲目の『ホワイ・アム・アイ・ソー・ショート?』の短い曲を経てシームレスに5曲目の『ソー・ブート・イフ・アット・オール』に続いており、ロバート・ワイアットの手数の多いドラミングとフリーキーなマイク・ラトリッジのオルガンを中心に、ジャズとロック、サイケデリックが融合したユニークな楽曲になっている。6曲目の『ア・サートゥン・カインド』は、ヒュー・ホッパーが書いた曲であり、本作で唯一のバラード曲になっている。オルガンをバックにエモーショナルに歌うケヴィンのヴォーカルが心に染み入る美しい曲である。7曲目の『セイヴ・ユアセルフ』は、ロバート・ワイアットが作曲したサイケデリック要素の強いポップナンバー。8曲目のオルガンベースのジャズ曲『プリシラ』を経て、9曲目の『ララバイ・レター』では、ロバート・ワイアットの攻撃的なドラミングとマイク・ラトリッジの狂暴的なオルガンの競演は見事である。10曲目の『ウィ・ディド・イット・アゲイン』は、ひたすら同じフレーズが続くという一瞬トリップ感を漂わせる楽曲であり、バックで時折鳴り響くオルガンが狂気を誘うようである。後半はピッチがアップして怒涛の如く押しまくりながら終えている。11曲目の『プリュ・ベル・キュヌ・プーベル』は、重々しいベース音からなるブリッジになっていて、12曲目の『ホワイ・アー・ウィ・スリーピング?』につながっていく。ロックオペラのようなドラマティックな展開が聴きどころのこの曲は、後にソフト・マシーンを脱退するケヴィン・エアーズの代表曲となる。13曲目の『ボックス・25/4 リッド』は、ヒュー・ホッパーとマイク・ラトリッジの2人で録音されたインストゥメンタル曲。ボーナス曲の『ラヴ・メイクス・スウィート・ミュージック』と『フィーリン・リーリン・スクイーリン』は、シングルとしてリリースされた曲である。特に『フィーリン・リーリン・スクイーリン』は、ケヴィン・エアーズのセンスが光った逸品である。こうしてアルバムを通して聴いてみると、刺激的なヴォーカルをはじめ、ジャズのスイング感、ファズの効いた歪んだ音色、無調音ともいえるエレクトロニックな音の響きそのものが新鮮であり、これまでの音楽とは一線を画したものにしている。インプロゼーションな演奏が続く実験的な構成とはいえ、3人が一体となってそれぞれの音楽的な才能と独創性を発揮しており、その進歩的な音世界は英国ロック史上に残る傑作として君臨することになる。

 アルバムは上記で言った通り、フランスとオランダでリリースされ、音楽ファンと批評家の両方から熱狂的な支持を得たものの、アメリカではリリースが遅れ、本国のイギリスではリリースそのものが見送られている。1968年5月にロンドンに戻った3人はアメリカツアーに備えて、ギタリストに後にポリスのメンバーとなるアンディ・サマーズを迎えるも7月で脱退。やがて同じころに始まったジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのツアーもロサンゼルスの公演を最後に終了してしまう。進歩的な感性に包まれたアルバムを生み出した3人だったが、すでにグループ内では不協和音が生じていたという。ロバート・ワイアットとマイク・ラトリッジの2人とケヴィン・エアーズがグループの方向性を巡って衝突するようになる。さらにエアーズはアメリカで2ヵ月にわたって毎晩ステージを務め、レコーディング・セッションをこなすスケジュールに耐えられなくなり、グループを離れる決心をする。彼はソロアーティストとして活動していくことをメンバーに告げて、しばらくの間スペインのイビサ島で生活するようになる。ワイアットはアメリカに残り、ジミ・ヘンドリックスとの仕事を続けたが、ラトリッジはイギリスに帰国してしまい、グループは半ば解散状態であったという。しかし、デビューアルバムが思いのほか売り上げが良かったため、レコード会社からアメリカに残っていたワイアットにセカンドアルバムの依頼を要請。急遽ロードマネージャーだったヒュー・ホッパーをベーシストとしてメンバーに迎え、さらにマイク・ラトリッジを呼び寄せて、新たなトリオでレコーディングを開始している。1969年にリリースされた『Volume Two』は、ホッパーの加入でよりジャズロック指向が強まったアルバムになっており、後のソフト・マシーンとしてのイメージを築き上げていくことになる。一方のケヴィン・エアーズはイビサ島で休養したことで創作意欲が高まり、作曲活動を開始。ハーン・ベイに舞い戻った際に書き上げた曲をベイヤー・コードの4トラックテープレコーダーを使用して録音している。それに興味を持ったピンク・フロイドの初期マネージャーだったピーター・ジェナーとアンドルー・キングは、エアーズと2人が立ち上げたマネジメント会社、ブラックヒル・エンタープライズと契約。後にピーター・ジェナーはエアーズのマネージャーとなり、EMI傘下の新レーベルとして発足したハーヴェストを紹介している。エアーズはレコーディングにセカンドアルバムをリリースして帰国していたロバート・ワイアットやマイク・ラトリッジ、ヒュー・ホッパーの協力を得て、ソロデビュー作となる『Joy Of A Toy(ジョイ・オブ・ア・トイ)』が1969年12月に発表。そのアルバムはソフト・マシーン時代からメロディ・メイカーとしての才能を発揮していたエアーズらしい、極上ともいえるポップサウンドを披露している。

 

 皆さんこんにちはそしてこんばんわです。今回は楽曲が途切れることのない曲構成と、ジャズ風味のあるサイケデリックポップを実現したソフト・マシーンのデビューアルバムを紹介しました。ソフト・マシーンと言えばジャズロックのパイオニア的な存在でもあったので、それを打ち出した傑作『3』から紹介しようと考えていました。でも、このデビューアルバムも負けず劣らずの傑作でして、こちらはサイケデリックポップの名盤として紹介した次第です。また、ケヴィン・エアーズが在籍していたアルバムだったことも大きいですね。後のソフト・マシーンのアルバムから考えると、本アルバムははっきり言って異色の作品です。さすがに粗い部分もありますが、抒情性のあるポップセンスや前衛的なジャズ、ユーモアのある感覚など、後のカンタベリーミュージックを定義づけるような要素が詰まっているように思えます。とにかくロバート・ワイアットやケヴィン・エアーズ、マイク・ラトリッジの3人の強烈な個性が1枚のアルバムに集約されているかのようです。聴く人の感性に訴えるような楽曲ばかりなので、最初は戸惑うかも知れませんが、聴けば聴くほどその魅力に気が付くはずです。また、アルバムのジャケットのオリジナル盤は、歯車の部分が回転するギミックになっています。前からどんな構造になっているのか興味津々でしたが、つい最近になって紙ジャケで入手しまして、その凝ったギミックに感動したものです。このギミックは後にレッド・ツェッペリンの『Ⅲ』でも使われるようになります。

 さて、本アルバムは後のソフト・マシーンからして確かに異色の作品ですが、本アルバムに収録されている『幸福への願い』、『ジョイ・オブ・ア・トイ』、『ウィ・ディド・イット・アゲイン』、『ホワイ・アー・ウィ・スリーピング?』は、ソフト・マシーンのライヴでたびたび披露される代表曲であり、ワイアットやエアーズ、ラトリッジ自身のライヴでも取り上げています。そういう意味では彼らにとってこれ以上のない自由な発想から生まれた独創性のあるアルバムだったんだな~とつくづく思います。

 本アルバムは1960年代後半でほどなく終焉を迎えるヒッピーとフラワームーブメントからなるサイケデリアの時代の最後の傑作に数えられています。また、一連の曲構成から後にプログレッシヴロックという呼称で知られるようになる作品群の先駆けでもあります。そんな革新性と才気にあふれた彼らのサウンドを、ぜひ一度、聴いてみてほしいです。

それではまたっ!