「一流」の人は言葉の選択が違うという話です。



今、学び直している「センターピース」を開発した犬飼ターボさんが最近


許しの言葉


という「ささやき」音声を

YouTubeにあげてくださっています。


フェイスブックの中で


(質問)

もしあなたが

「○○があってもいい」

と言われてホッとするなら

○○の中にはどんな言葉が入りますか?


というターボさんからの問いかけがあり

センターピース受講者が答えるという企画がありました。


50人ほどの人が回答し

その答えをターボさんが読み上げ

録音したというものです。


自分も応募して

「どん深闇があってもいい」

と回答しましたが

実際の音声には

「心の中に深い闇があってもいいよ」

と丁寧な言葉に置き換えられていました。


「あー、ターボさんは意識して汚い言葉を使わないようにしているのかな?」

という問いが生まれた瞬間でした。


(2023年7月 今日の収穫したナス、いちご、トマト)




【まとめ】
このターボさんの音声は

普段「崖ルート」と呼ばれる

痛みを「行動」の原動力としている人に

「○○してもいいよ」

と許可を出して

自分を責めないように促してくれる

優しい「ささやき」となっています。


自分にとっては

「自分が使う言葉に意識的になり

丁寧で伝わりやすい言葉を

選んで発していこうかな」

とこれからの行動が変わりそうな

大きな「学び」となりました。





ーおしまいー











「一瞬の思い」の中に時間を超えた物事の本質があるのかなと思ったという話です。



シータヒーリングの瞑想的な行いをしていると

最近よく

「時間の不思議」

を思うようになりました。


(2023年7月 朝霞市 空を飛び交うチヌーク)




教員になって1年目

部活動を見ている最中に

「教員である以上、日本で原発事故が起きたら、自分が一目散に逃げることはできなくなったんだな」

と、ふと思いました。


もう35年前のことです。

当時起きた

ソ連のチェルノブイリ原発の爆発事故の

詳細が明らかにされ

貪るように関連記事や書籍を読んでいた頃でした。


そのとき見ていたビジョンは

日本で原発が事故を起こし

放射能が飛び交っている中

屋外で生徒たちを避難させている

自分の姿でした。


その予感は、それから20数年後現実になります。

2011年3月15日

自分は福島第一原子力発電所の1、3、4号機が爆発し

放射能が飛び交っているであろう

屋外で

卒業式当日の外回りの担当として

正門付近に立っていたのでした。


口元には、濡れたティッシュを

マスクにはさんでの立哨でした。


生徒を誘導するわけではありませんでしたが

自分の意志に関わらず

否応なく被曝するという

ビジョン通りの現実を味わったのでした。



【まとめ】
このことは、文字通り

「『怖れ』の種を抱き、その実を収穫した」

のかも知れません。


今振り返ると

教員1年目にビジョンを感じていたその瞬間

卒業式の外の立哨は決定されていたのかな

と思います。



シータヒーリングの

「無条件の愛を送る」という行いをしていると

「『一瞬の思い』に全ての時間が内包されている」

といったことを

よく思うようになっています。


そんなとき

思い起こすのが

この「卒業式の立哨」なのでした。






ーおしまいー













小学生の頃、宿題の詩が書けなかったという話です。




日々は過ぎていくなぁ。



(2023年7月 朝霞市 上空を行き交うチヌーク)




小学校2、3年生のときの担任の先生は


自分たちを受け持つ直前まで


高校の国語の先生で


全部の教科が楽しかったのですが


特に国語に力が入っていたのは


子どもながらに


うすうす感じていました。



学級通信は確か


「ういいたあれむ」


という題名で


よく生徒の詩の作品を載せていました。



一週間に一つ作品を出すのが宿題で


四苦八苦した覚えがあります。


自分は作品を作ったかすら


覚えていない程度なので


その通信に自分の詩が掲載されたことは


ありませんでした。



小学生の自分でも


掲載された他の子の作品は


「よくこんな詩が書けるなぁ」


と感心するもので


作ったクラスメイトに憧れすら感じていました。



十分な詩に囲まれ


親しんだ状態から詩作の意欲が生まれ


詩を書いていくという


プロセスのないまま


「さあ、詩をかけ」


「宿題だ、テーマは何でもいいんだ、好きなように書けばいい」


と言われていたように思います。



そう言われても、何も書けず


詩(創作)ではなく


日記や漢字練習(代替品)などを


提出していたと思います。




【まとめ】


「何を書けばいいんだろう」


という戸惑いは


今現在


「何をして働こう」


という迷いと同質のような


氣がします。


とりあえずの代替品(できる仕事)で凌ぐのか


お金が尽きるまで


自分の「内なる声」に耳を傾け


自分の詩(魂の満足する仕事)を


見つけ描くのか


曲がり角に来ているような氣がしています。






ーおしまいー