見え隠れする問題点 | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

ここ最近の様々な政治的運動や主張、例えばLGBTQやポリコレ等によって、先進国と呼ばれる地域ほど、それら政治的運動や主張によってグチャグチャになっているように感じる。
そして、このような主張を叫んでいる人ほど、進歩的と認識される風潮があると感じていますが、そのように私には思えなかったりする。




「法の下の平等」というのが、成文化された法律やルールを持つ国々にとって、最も重要な決め事だと思いますが、昨今の様々な政治的運動や主張を見る限り、どうも「法を超えた平等」という事を求めているように感じる。
「法の下の平等」というルールが在るから、差別という物が明確に規定されるというのに、「法を超えた平等」を主張し始めたら、そこには差別という物の明確な規定が無くなってしまう。
そのような規定が無くなってしまったら、それは成文化された法律やルールを持たない、古代の神権政治と何ら変わらないのであって、誰も知る事が出来ない法律やルールを振りかざして、自分達の都合に合わせて物事を決める事が出来てしまうのだ。
それを指して、今の日本では「被害者ビジネス」と呼んでますが、今のLGBTQやポリコレの動きを見てると、何をもって「差別」としているのか曖昧なまま、自分達は被害者であり、守られるべきであると主張する、現代の神権政治の様相を見せているように感じる。




ほとんどのスポーツは、肉体の優劣を競う競技である以上、肉体の性差を無視して、男女が同じ場で競い合うのは無理である。
ルールを把握してませんが、例えば道具を使う射撃などでは、男女が同じルールで競い合う事も可能かも知れませんが、ほとんどのスポーツは肉体の優劣を競い合う競技である以上、筋肉の付きやすい男性の方が、女性より良い成績を出しやすいのが現実。
今回の場合は、なかなか厄介な障害を持った選手だったそうですが、XY染色体を持っている以上、XX染色体しか持たない女性と比べて、体格や筋肉の付き方に優位性が生じる訳で、それを体重別の階級だけで出場を認めるのは、逆にXX染色体しか持たない女性が不利になるのは明らかである。




LGBTQやポリコレを叫んでいる人達は、主張の為の主張を繰り広げるばかりで、現実に目を向けようとしない。
被害者の側に寄り添っているつもりなんでしょうが、それは「自分達の考える被害者像」や、そのような被害者像と同じ主張をする被害者達に寄り添っているだけ。
結果的には、マイノリティの中のマイノリティにしか目を向けていない。




無理を通して道理が引っ込む事で、マイノリティの大多数が迷惑するのではないか?