なるほどね | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

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アカデミー賞授賞式において、ウィル・スミスのビンタ事件があった事は記憶に新しい。
ウィル・スミスの行為に対して、アメリカでは批判的な評価が多く、日本では好意的な評価が多かったのも記憶に新しいが、あの事件とそれ以降について、ウィル・スミスの奥さんのインタビューが出ていて、なかなか興味深く読んだ。




この事件は、アカデミー賞授賞式の場で、コメディアンのクリス・ロックが、病気の影響でスキンヘッドに近いウィル・スミスの奥さんをネタに、その髪型をジョークにしたのが発端。
これが仮に70年代のアメリカであったなら、批判されるのはクリス・ロックの方だと思いますが、現在のアメリカ社会における価値観からすると、言葉の暴力より肉体的暴力の方が問題らしく、アメリカではウィル・スミスの方が大きな批判を浴びた。
それを踏まえての、ウィル・スミスの奥さんのインタビューとなりますが、今のアメリカ社会について考えさせられるのである。




「70年代のアメリカであったなら」と書きましたが、例えばジョン・ウェイン主演の西部劇であれば、同じように奥さんを侮辱されたと判断したら、迷わずぶん殴る描写になったでしょうし、例えばアメリカドラマの「大草原の小さな家」であれば、ぶん殴った後の心の葛藤について、1つのエピソードが映し出されただろう。
肉体的暴力の善悪という価値観以前に、家族を侮辱されたらどうなるか?といった社会的常識や、そもそも他の家族の人を侮辱する事に対する社会的価値観が、70年代のアメリカ社会には、普通に存在していたと思う。




アメリカは、確かに多様性のある社会かも知れませんが、社会的常識の積み重ねという面においては、あまり重視されてないように感じる。
良く言えば「古い価値観からの脱却」となるのでしょうが、古い価値観のリニューアルを行う事より、古い価値観を棄てる事ばかりに一生懸命な気がする訳で、古い価値観でも良い部分は残すとかいった考え方が、あまり無いのではないか?
変な言い方かも知れないけど、我慢できない人の不平不満を解消する事ばかりに目が行って、我慢できる人を増やす努力を怠って来たように思える。




「暴力はダメ!」と言いながら、言葉の暴力はジョークとして受けとめるのは、なんか変な気がするのは、私が日本に住む日本人だからだろうか?
言葉の暴力が、肉体的な暴力を生み出した事について、アメリカ人は変に思わないのだろうか?




ウィル・スミスの奥さんは、考えが変わったようだから、なんか安心した。