創作ものである「思い出と流転の間」に続きまして、月末恒例の蔵出し企画も、今回をもって終了といたします。

 ただ、今後は「蔵出し」と銘打たずに、ちゃっかり昔の記事を蔵出ししていくと思います。というのも、パソコンのせいなのか、ブラウザのせいなのか、このヤフーブログの記事作成ページで文章をちまちま入力していると、途中でフリーズを起こして、1時間くらいかけて作った文章が全部消えるということが、ここ最近多発していて、新たに記事を作るのが、正直ちょっと面倒になっているのです。
 なにしろ、そのために一度Wordを開いて、そこで文章を作って、保存して、コピペで掲出しているのです。どうしても書きたいと思ったことについてはその手段を使って、この先も出していくと思いますが、特に何も思いつかないときは、蔵出し記事を出していこうと思います。
 そのため、月末恒例の企画ではなく、不定期で、しかも「蔵出し」と表記しない形で出していく予定です。

 というわけで、場末のブログにおいての最後の蔵出し企画における記事は、自転車の話です。


     自転車のマナーの悪さを考える


 今回は、あるニュース記事を読んだうえで、思ったことをつづっていくという流れになると思います。参照記事はこちらです。

・左折時に左寄せは義務なのに…「幅寄せしやがって!」ネット上で自転車vsクルマが対立
   https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170808-00010005-autoconen-bus_all

 ニュース記事では、ネット上で、普段自動車を運転しない、あるいは運転免許を持っていないと思われる自転車乗りが、自動車に幅寄せされたと憤っている様子を紹介していますが、その幅寄せが、交差点で左折するときに道交法で決まっている、左折前には左に寄せて・・・というものだと指摘しています。
 そういえば、私も自動車を運転してだいぶ経ちますが、右折の時はラインを超えない程度に右に寄せますが、左折の時は・・・ちゃんと左に寄せているか、怪しいです。
 でもまあ、道交法でそう決まっているのなら、次からは意識して左に寄せようと思います。

 その時に、自転車乗りがすり抜けしようとして、危うくぶつかりそうになるというシチュエーションに遭遇するかもしれません。
 もっとも、それはバイクでもやる人がいるのですが。なので、幅寄せに対して憤りを示すのは、自転車乗りばかりではなく、一部のバイク乗りも同様なのではないかとは思います。

 しかしながら、まあバイクで道交法を無視するのは無免許で乗っている奴がほとんどだと思いますが、自転車乗りとなると、ルール無用の運転はかなり見受けられます。
 それは、いわゆるロードバイクに乗っている人たちばかりではなく、ママチャリに乗っている主婦とか、通学に自転車を使う学生なんかでも見受けられます。

 例えば信号無視。車道の横切り。左側通行が原則なのですが、右側を走る。
 自転車通行ができる歩道での暴走もありますね。

 私は自転車に乗らなくなって久しく、バイクに乗るようになったころからあまり自転車に乗らなくなりました。ということは、10年くらい、自転車に乗る機会が減り、さらに言うと大学卒業後は仕事の都合もあって、自転車にほとんど乗らなくなりました。今だって、思い立たなければ1年以上乗らないことさえあります。最近は、近所のスーパーに買い物の用事がある時は、ママチャリか歩くかです。
 そんなレベルなので、1週間に1回とかのレベル以下の頻度です。月に1回さえもあるかどうかわからない具合です。
 だからなのか、基本が自動車あるいはバイク運転なので自転車の道交法無視がやたらと目につくのです。その行為の中には事故に発展しかねない事例もあり、正直私は、自転車がやたら多い道路については、運転したくありません。いくら私が道交法を順守していたとしても、自転車から事故を起こしてくるからです。

 なぜ道交法無視の自転車が多いのか?

 ルールを守らない大人が多いから、それを子供がまねして、自転車は信号無視してもいいのだとか、逆走していいのだとか、道路を横切ってもいいのだとか、そういう認識をするのだと思います。周りに車がいなければ横切ってもいいんじゃね?みたいな感じで。
 で、どうしてそういう大人が多いのか?免許制じゃないからでしょうかね。

 私の記憶では、小学3年のころだったと思うのですが、小学校で警察署の人が出前で交通安全教室みたいなのを開いていて、その時に自転車に乗ることについて教えられたかと思うのですが、確かそれを受けた後から、一人で自転車に乗っていいという感じだったのです。それまでは、親が同行するときにだけ、自転車に乗ることが許されていたかと思います。
 これが全国的なものなのか、それとも私が生まれ育った地域に限ってのことなのか、あるいは20年くらい前までの常識なのか、そのあたりはわかりませんが、ただ、自転車に一人で乗っていいということになったときに、道路交通法についてはたぶんほとんど勉強していません。警察官から、「こういう運転は危ないからしてはいけません」という具合に、いくつかの事例でもって教えられたくらいだったかと思います。その講座も、1時間かそこらで終わっていたかと思います。
 で、それ以来、自転車についてはこれと言って何も学ぶことなく、当たり前のように乗り回していました。
 急いでいるときは立ちこぎをしたり、車の接近がなければ道路を横切って反対側に移ったり、信号無視はさすがにしたことありませんが、ほかの人がやっているのを見たことは数多くあります。
 で、中学か高校に上がるころには、イヤホンで音楽を聴きながら運転していたこともあります。当時はまだ道交法でそれを禁止されていなかったころで、1時間くらいの移動で音がないとつまらないということで、音楽聞きながら運転をしていました。今は禁止されているのでやりませんが。そもそも、自転車に乗ることがほとんどないのですが。
 あとは、傘さし運転も本当は禁止です。それを大々的に伝えたのが、音楽聞きながら運転禁止を明文化したころだったかと思います。もともと禁止だったのですが。あまりに浸透していなかったので、だめだということを報道などで伝えたり、取り締まりを強化したりして浸透させたのだと思います。ちょっとそのあたり記憶があやふやですが。

 でも、今だから思うのですが、自動車運転免許を取る以前、自転車のこれらの行為は違反だということ、私はほとんど知りませんでした。
 特に学生時代は、率先してニュース番組を見ていなかったので、そういう報道でだけ伝えていたとしたら、多くの学生については、道交法で、自転車でやってはいけない行為について、ほとんど認識していなかったのではないかと思います。
 で、そのまま大人になって、三十代、四十代で自転車に乗って、これらの行為に及んでも気にしていないというのが、現状なのではないかと。
 三十代四十代も、道交法くらいは、全文を記憶していないまでも、大体の内容は把握しているはずです。少なくとも、教習所に通って免許を取得するまでの間に学科教習を受けていて、その範囲については、歳を重ねるうちに記憶から脱落していることはあるにしても、大半のことはわかっているはずです。でも、乗り物が自転車に変わると、道交法の適用範囲外と勘違い、あるいはわかっていてあえて無視するのかもしれません。

 ならば、自転車についても免許制を導入すればいいと思います。でもって、ロードバイクなどに乗る場合は、別の免許にするのです。
 一般的な自転車、ママチャリやシティーサイクルなどについては、それこそ筆記だけで免許が取れるようにして、ロードバイクなどスピードが出る自転車についてはまた別の免許にして、道交法のさらに深い内容や、自動車などほかの乗り物の特性についてもしっかり把握している人でないと免許が取れないようにするのです。
 それに合わせて、原付一種も数時間程度の実技を要するようにして、筆記だけで合格というわけにはしないようにすべきです。自転車に次いで、原付一種のルール無視も結構見受けられますから。
 特に、郵便や新聞配達で見受けられますが、一方通行の逆走や歩道の走行が、私の住む地域では横行しています。メットも、かぶってるのかどうか怪しい感じの人もいます。

 二輪車メーカーは、原付二種までについて、免許取得までの過程をもっと簡素化すべきだとか抜かしているようですが、逆でしょう。筆記だけで取れる一種については、ルール無視がかなり横行していると私は認識しています。
 それが二種になると、学科は普通自動車免許を持っていると1時間くらいしかありませんが、実技が10時間くらいあって、その中で技術を身に着けていき、安全運転の意識を高められます。
 いや、実際は、それだけ苦労して免許を取ったのだから、自分勝手な運転して、それがばれて免許取り消し食らったらバカみたいだという、そういうインセンティブもあるのかもしれません。だから、普通自動車免許を持っている人で、自動車を運転する際に、道交法を守るということに意識が向けられるのかもしれません。
 でも、現状の原付一種は、筆記さえ通れば簡単に免許が取れてしまいます。つまりは、労なく原付一種を運転できてしまうのです。結果、道交法順守の意識が希薄なのだと思います。

 で、自転車ですが、そういう過程がまったくないので、さらに道交法への意識が希薄で、また人力で動くものであるため、余計に自分勝手な判断で、ルール無視が横行するのだと思います。
 だって、「とまれ」のところで一時停止するのは、すべての車がやらなければならないことで、それは当然自転車も含まれるのですが、「とまれ」のたびに停止していたら、疲れてしょうがないということで、自転車に乗っているその辺の中学生ですら、「とまれ」で一時停止せずに交差点を渡っていますよ。小学生なんか、左右確認をろくすっぽせずに交差点に飛び出してきますから。私は軽トラを運転しているときに、その小学生とぶつかりそうになりましたから。小学生が飛び出してきたほうに「とまれ」があったのですよ。で、その小学生、こちらをちらっと見ただけで、そのまま走り去っていきましたから。ぶっ殺してやろうかと殺意が芽生えましたよ。
 まあ、さすがにそれは言いすぎなので、せいぜいクラクションをけたたましく鳴らした上に怒鳴りつけてやればよかった程度のレベルに抑えましたがね。

 そんな現状です。正直、小学3年になったら一人で自転車に乗っていいというのでさえも、実は早すぎなのではないかと私は思います。
 だって、いくら交通ルールを小学校で教えても、まもりゃしないのですから。
 でも、だからと言って、その小学生が何か事故(それこそ人身事故などです)を起こしたとしても、当人が責任を負うことなど、基本的にできないでしょう?慰謝料や損害賠償を支払う能力なんか、どこぞのブルジョアか、たまたま株式投資か何かで大金を持っていない限り、できやしませんから。基本的に、当人ではなくその保護者が責任を負うでしょう?
 そのくせして、自分勝手な運転をしているのです。

 まあ、私も身に覚えは多少ありますが、今になって思えば、くそバカ野郎なガキでしたよ。万が一の出来事についての想像力がちっとも及んでいない、未熟もいいところのガキでしたよ。
 せめて中学生になってからのほうがいいのではないかと、今の私は思います。その根拠については、私の経験上のことにあるのですが、長くなるので割愛します。
 でも、中学生くらいになると、道路交通法についても理解ができると思いますし、自動車運転免許を取るとき並みのことまでは求めないにしても、自転車運転がいかに危険なのかについては、小学生よりかは理解できるはずです。

 で、中学生になったら、自転車運転免許が取れるようになるのです。ロードバイクは、公道を走らなければ中学生とかからでも乗れるようにしてもいいですが、公道を走る場合は、高校生になってからじゃないと免許が取れないという具合に年齢制限を、普通の自転車よりも上に設定するのです。もちろん、技能教習も課すのです。それで、例えば乗用車の運転席に乗せて、自転車がいかに見えづらいかを体験してもらい、周りから自分があまり見えていないということを理解させることに重点を置くのです。そうすることで、少なくとも今ほど、ロードバイクで危険運転を繰り返すという人は減ると思います。
 で、そういう制度を導入したのなら、例えば自動車との接触事故を起こしたとして、そのロードバイク側が危険運転していたと判明したら、過失割合は100%ロードバイク側が悪いということにできるはずです。もちろん、自動車を運転していた側にも、その時の運転の仕方などによっては過失が問われる可能性がありますが。

 なんにしても、自転車も、道路を使う以上は、道路交通法を順守してもらわないと、自動車やバイクを運転する身としては、安心できないのです。歩行者としてならなおさらです。
 道路に自転車専用の路側帯を整備すれば云々という話もありますが、それができないくらい幅員が狭い道路だってかなりあります。もちろん、やれるところはどんどんやるべきだと思いますが、ただ、コスト面に限らず、交通状況によってはなかなか整備できないというケースもあるのではないかと思います。つまりは、まだまだ時間がかかるということです。
 ならば、それまでのつなぎというと聞こえが悪いですが、道路交通法と免許制度の変更は必要だと思います。

 それに、自転車についてのルールを明文化すれば、自転車の違反者が続出して、警察も懐が潤うのではないですかね?たぶん、地域によっては、自動車のスマホ操作しながら運転の取り締まりよりも、違反金がどんどんせしめることができるかもしれませんよ?サラリーマンだったのならボーナスものですよ?警察だからないかもしれませんが。警察官の経験がないのでそのあたりのことはわかりませんが。



 ということで、自転車の運転に関する愚痴でした。

 というか、読み返してみたのですが、随分と自己中心的というか、書き方が暴力的ですね。何かあったのでしょうか?2年ほど前の私…。
 内容的に、「三十路男子シリーズ」レベルの暴言過多です。掲出時の、執筆時点から2年くらい経過した私より心からお詫び申し上げます。

 でも、自転車のルール無視は、あの頃から全く変化ありません。
 なにしろ、道路を横切るときに、前後左右を確認しない人もいますからね。車が接近しているのに。
 こんな状況下で、電気自動車が普及したら、交通事故は急増するでしょうね。ガソリン車やディーゼルエンジンのトラックの接近でもこうなのですから、より音の小さい電気自動車だと、もっとわからないですよ?

 やっぱり、自転車についても、免許制を導入すべきだと思うのですよ。
 自動車免許を持ってる人はそのまま自転車に乗ってもOKというのではなく、改めて教習を受けなおすのです。で、自転車運転に際して学びなおすのです。これは、私を含めて全員に課すべきことです。
 ルールがこうなったとしたら、私は甘んじて、講習を受けますよ。だって、それくらいのことをしないと、自転車のルール無用な運転は、絶対に減らないですから。
 軽車両に分類されて、一応は「車」の仲間であるのに、免許なしで乗れるというのも、よくよく考えたらおかしな話です。
 まあ、ほかにもいろいろと愚痴りたいのですが、あまり長くなってもどうしようもないので、この辺で切り上げますが。

 というわけで、蔵出し企画の最終回が、こんな荒れた話になってしまい、改めてお詫びしますが、今回でもって、蔵出し企画は終了です。
 今後は、新たな記事を出し続ける間は、時々、ちゃっかり昔の記事を出していきますので、「あれ?この話題、ちょっと古くない?」と思われるかもしれませんが、気が向いたら多少の補足は加えるつもりですので、もう少しお付き合いくださいませ。
 …ちょっと、ピノ様の口調がうつったな。
 九州のとあるぼろアパートでの生活が始まって1週間が経った。
 山の中での生活や2週間にわたるバイク逃亡旅のために曜日の感覚がすっかり消えてしまっているので、疲れがこれでもかってくらいにたまっていたものの、俺はこれまでずっと、日雇いの建設現場での仕事を休まずにしている。とにもかくにも、金が必要だったからだ。
 この建設現場での仕事は、朝8時から夕方5時まで、昼に1時間の休憩をはさむ1日8時間労働で、今の季節は残業が無い。日没で暗くなってしまうからだ。もう少ししたら陽が長くなるので、1時間くらいの残業が毎日続くことになるらしい。
 元々日雇いという契約なので、帰るときに毎日金をもらっている。その金で晩飯を買って、残った金は家賃やら光熱費やらのためと、今後の逃亡生活の軍資金に回す。とにかくぜいたくはできない。

 そんな生活の最中、彼女は日中、部屋の中に引きこもっている。部屋の掃除とか、洗濯とか、家事全般をしている。しかし、外出は禁じている。
 なにも彼女を監禁しているからではない。この土地がどういうところなのかとか、警察などの追手が来ていないとも限らないので、見るからに感じが変わった俺ならともかく、人によっては正体がばれてしまうかもしれない彼女は、なるべく人目につかせたくなかったのだ。
 だが・・・。
「今日、宗教の勧誘が来たんだ」
 仕事から帰って、晩御飯を食べながら、彼女が言った。
「こんなボロアパートにも来るんだ」
「来るんだね」
 スーパーで買った海鮮天丼を一口。
「もちろん、断ったけどね」
「そりゃそうだ」
 再びパクリ。
「何だか、ああいうのって、ちょっと、怖い・・・」
 箸が止まった。

 記憶が無いとはいえ、やはり潜在的なところであの時の洗脳のトラウマが残っているのかもしれない。

 その晩、俺はなかなか眠れなかった。
 横で眠る彼女を見て、頭に血が上る感じがした。
 人間、その文化や社会の発展に、宗教は切っても切り離せないものだ。それは俺もわかる。歴史を見ても、宗教が良くも悪くも、人類の発展に影響を与えている。
 あるときは、己の宗教の正当性を誇示するために、他の宗教や宗派を排するべく侵略を行い、その先で己の宗教に賛同しないものは異端者とみなして、人とも思わずにいとも簡単に殺してしまう。一人や二人じゃない、数多の人をだ。
 それは現代にも残っている。世界的に見て最もその傾向が強いのは、イスラム教だ。その中の過激派はとりわけ、破壊的で殺戮的だ。イスラム国と呼ばれる集団による日本人拉致事件は記憶に新しい。
 宗教は時に、敵でも味方でもない人間をも、殺める働きをする。日本なんか、いろんな宗教がまじりあっていて、それこそイスラム教だって敵視していないし、それどころか、ハロウィンやクリスマスみたいに楽しめるイベントがあれば、歓迎されることだって十分に考えられる。
 しかし、頑なな人たちは、その風潮というか、そういう文化さえも許せないのだろう。もっとも、イスラム国のあの暴挙は、そういった名目があったわけではなく、もっと単純なところに動機があったのかもしれないが。

 とにもかくにも、俺はどんな宗教に対しても、適度に距離を取るべきだと思っている。一応俺の家も仏教のある宗派に入っているはずだが、大いにかかわりを持つのは、身内で誰かが死んだ時と、死んだ人の供養、お盆とかだけだ。それ以外の日常では仏教とはあまり接していない。神道だってそうだ。初もうでとか、願掛けをする時くらいでしか、神社にはいかない。
 だが、仏教にどっぷりつかり過ぎると、寺のお坊さんみたいに心静かな人になるのならいいのだが、逆に、仏教の教えを守らない人に対して過剰に反応して、とんでもないことをしかねない。
 つまりは、宗教が中心になってしまって、その教えに背いている人を自らの手で裁くとか、そういうことをしかねないのだ。
 そして、最近ではそれまでの昔から存在する超有名な宗教だけでなく、新興宗教も出てきている。かつてサリンを使ったテロ行為や、組織にとって邪魔になる人を数人殺したオウム真理教はその最たるものだろう。
 それでもって、あの太陽想会だ。あれなんかも、表向きは平等な平和がどうとか教えているが、裏ではその代表とそれに近い幹部による酒池肉林も甚だしい状況だし、それだけでなく、政治や警察、経済、産業などありとあらゆる分野のトップや権力者、さらにはそれらに属する多くの人間に、思い通りに動くプレゼント、早い話が洗脳を施した若くて美しく、それでいてある意味で完璧な女をあてがって、骨抜きにする、
 そして、その道具たる女は、彼女みたいに街中で拉致して施設に連れ込んで、薬を投与することで洗脳しやすくして、数週間で思い通りに動く道具に仕立てたり、大学や企業のセミナーを介して、やはりその後は同じように施したりして、常に一定数新しい女を確保している。太陽想会はそうやって、女を性奴隷にして、権力を持つ男たちに定期的に送りこみ、言いなりにさせているのだ。

 ・・・冗談じゃない。

 そんなたかが宗教のために、胡散臭い人間のために、大事な人を奪われかけたのだ。
 いや、すでに記憶を奪われている。幼いころからの思い出が、彼女の中には無くなっている。
 今でこそ、明るい表情を浮かべるようにもなったが、でも、ときどき寂しげな顔をする。それを見るたびに、俺は頭に血が上る。

 宗教の教えのためなら、人を殺していいのか?
 宗教を運営するためなら、人を洗脳していいのか?
 宗教の立場を高めるためなら、人を道具のように扱っていいのか?
 宗教における権力者なら、人の尊厳を踏みにじってもいいのか?

 くそっくらえ!


 今、俺が数ヶ月前にアップした太陽想会の裏の顔を記録した音声動画は、既に削除されている。しかし、ネットの特性として、太陽想会に疑いの目を向ける別の誰かが別の形で、同じ動画をどこかでアップしているはずだ。
 だが、メディアで何事もなかったかのように無視を決め込んでいる以上、それが世間に表だって浸透する可能性は低い。そこでも、太陽想会の息が掛かっているから。
 次の一手をどうするか。それが問題だ。

 だが、何があっても、彼女だけは守り通す。それは、あの時、病院を出た時に、俺が胸の内で決意したことで、それに今も変わりはない。



(最後に)
 ここからは物語ではなく、著者謝辞です。
 この場末のブログの母体であるヤフーブログの運営が2019年12月中旬でもって終了ということで、当ブログでも定期的に続けているものを少しずつ切り上げていくことにしました。
 もっとも、ヤフーブログ終了云々以前に、この話、まだ結末を決めかねて、今回の話から数話先まではできているのですが、そこから先が一切手つかずで、その状況が2年くらい続いているので、どちらにせよ、早々にストックが尽きて、無期限の休載となることは確実だったのですが。
 とはいえ。こんな場末のブログの、稚拙で作品と呼ぶにもおこがましい話を、誰もいなかったのかもしれませんが、万が一にでも、一人でも楽しみにしてくださった方がいらっしゃったとしたら、ご愛読ありがとうございました。
 本作は結局、結末を迎える前に、ブログ上での掲出はここまでとなりました。この先どうなるのかは、ご想像にお任せすることにいたします。

 そして、私自身は、いつか気が向いたら、私だけが楽しむためだけに、結末まで書きなぐろうと思います。
 2019年の3月、ネットのニュース記事で、AM放送廃止を要請という見出しが躍りました。
 記事を見ると、AM放送は広告収入が低迷しており、AMと、現在はワイドFMの2種類ン電波を発信しているのですが、それをFMだけにしようとしているそうです。

 正直、参照した記事の内容が簡単にしか書かれていないため、いまいちそういう話が出た経緯なんかはよくわからないのですが、早い話がコスト削減の一環なのでしょう。

 確かに、AMラジオの広告収入は低迷しているというのは、想像できます。
 なにしろ、昔聞いていたころは…と言っても、サンプルはTBSラジオしかないのですが、時報前にはセブンイレブンが、すべての時間帯にCMを打っていました。
「セブンイレブンが、12時をお知らせいたします」
 このナレーションの後に時報が出るのです。
 それが、いつ頃でしたかね、10年くらい前かな?その時報前のCMからセブンイレブンが撤退して、
「お聞きの放送は、JOKR、TBSラジオです。12時をお知らせいたします」
 に変わりました。一時期は、時報前のCMにスポンサーが全く入らず、そのナレーションばかりになりましたが、最近は、映画の宣伝とか、特定の時間帯だけCMを入れるところもあります。
 でも、全体的には、過払い金請求関連のCM(複数の弁護士事務所が出しています)か、「生島ヒロシ」の声で占められています。
 正確に統計を取ったわけではないので推定ですが、平日の日中のCMの8割は、過払い金請求と「生島ヒロシ」で占められているはずです。
 ちなみに、「生島ヒロシ」とカテゴライズしたのは、生島さんが担当するCMが複数あるからです。痛散湯と、以前はスピードラーニング、最近は自身の番組で作ったという「おはようヒロシ体操」が該当します。
 過払い金請求が複数の弁護士事務所の持ち回りみたいな感じでCMを打っているのに対し、「生島ヒロシ」は、生島さんの声がほぼ、すべてのCMのタイミングで流れる感じです。スポンサー無しの枠の場合は。
 もっとも、過払い金請求についても、特定の事務所がしつこく出しているのですが。

 ちなみに、私はこれらのCMが、大嫌いです。

 元々、しつこいCMが嫌いなので。例えば、2~3月の進研ゼミとか。日曜夜6時28分ごろのフジテレビのCM枠なんか、15秒のCMを頻繁に流してますからね。進研ゼミ、ほか、進研ゼミ、ほか、進研ゼミ、ほか…みたいな感じで。いや、下手すると、進研ゼミだけで連続していたかも?「小学講座」、「中学講座」、「高校講座」とそれぞれ別のCMですからね。
 あと、アニメのCMで、入るたびに「バンドリ」のCMとか、最近は「レビューなんとか」がしつこいですね。
 そりゃあ、放送まもなくというアニメの宣伝は仕方ないですが、「バンドリ」はゲームアプリのCMとかライブでしたかね、それのDVDか何かが、あるアニメ作品のCM枠それぞれに必ず1回は入っていて、「またかよ…」と思いましたからね。
 あと、BSの番組を見ていると、特に歌物の番組では、必ず夢グループが出てきますし、CSの番組では必ず2回は「充実人生(保険)」が流れて、そのせいで一時期、いや、以前からそうなのですが、アンチきみまろになりましたからね。あのCMも妙にイラっと来るのです。

 話が脱線しましたが、TBSラジオの、特に平日日中は、CMがほぼ同じなのです。

 いや、同じと言っても、例えば9時20分のCM枠には必ずこのCMが流れる…みたいなのはいいのです。それは昔からのことですから。
 腹立つのは、各枠に必ず過払い金請求のCMが入ることで、それに続いて「生島ヒロシ」が出てくるのです。で、下手するとその直後にまた、別の事務所による過払い金請求のCMが入ったりもするのです。

 そもそも、借金をして、それを返すのは当然のことです。が、これらのCMは、あたかも、お金が返ってきて得した!みたいな感じで、まるで借金しないでまっとうな暮らしをしている人たちを馬鹿にしているような作りになっているのです。
 あと、以前は「70、80、90!」でしたが、最近は「10,20,30!」のあの電話番号のアナウンスもうざい!聞くたびにイラっとして、CMが流れるとダイヤルを切り替えたり、ラジオの電源を消しますからね。
 あるいは、後から聞くときには、早送りしますね。

 昔、それこそ私が小学生のころですね、夏休みとかで平日の日中に家にいるときは、『大沢悠里のゆうゆうワイド』が流れていて、いろいろなCMが流れていました。時間帯によって流れるCMも違っていて、そのため、そのCMで大体時間がわかるくらいでした。
 こまごましたものはさすがに忘れましたが、ミニ番組なんかもあって、森山良子さんの枠もあって、そこには味の素でしたかね、スポンサーになっていました。
 でも、少なくとも、今みたいに過払い金請求のCMがしつこいというようなことはありませんでした。各CM枠に必ずと言っていいほど、過払い金請求のCMが入ってますからね。
 そのスポンサー料のどれくらいが、依頼者から巻き上げた金なのでしょうかね?と、疑いたくなるくらいにしつこく。

 なんというか、CMが同じような感じになってしまっているのです。

 まあ、過払い金請求ばかりなのですから、当然と言えば当然なのですが。

 でも、下手すると、ラジオの番組よりも、過払い金請求のことばかり頭に残ってしまい、むしろ過払い金請求の番組だったのではないかと思ってしまうくらいに、しつこいのです。

 それは、むしろそれだけラジオにCMを出す企業が少ないということなのでしょう。
 枠が余ってどうしようもなく、結果、同じCMばかり流しているのかもしれません。
 もっとも、それは今に始まったことではなく、以前からこの状況が続いていて、広告収入が当てにできないために、ラジオショッピングを始めたらしいですからね。前に、そんな話が出ていたような気がします。
 いつも聞くパーソナリティーの紹介で商品を知り、買ってみようという人が案外多いらしいのです。

 でも、それでもどうしようもないようですね。でなければ、AM廃止論など出るはずがありませんから。


 ですが、私は敢えて、AM廃止について異を唱えます。なぜならば、AM放送が無くなったら、私は今以上にラジオを聞かなくなるからです。

 正確には、聞けなくなるのです。

 そもそも、なぜ我が家はTBSラジオばかり聞いているかというと、TBSラジオだけがまともに聞くことができるからです。
 TBSラジオに次いで、まともに聞けるのが文化放送です。やはり、送信所の兼ね合いなのでしょうね。
 ニッポン放送は、かろうじて聞けますが、雑音がかなり混じります。場合によっては、その雑音の方が勝ることもあります。
 なので、昔放送されていた、犬山イヌコ(当時「犬子」)さんによる『ポケモンアワー』は、聞きたかったのですが、雑音ばかりで、かなり聞きづらかったものです。家の中をあちこち移動して、まともに聞ける場所を探したものですが、それでもどうしても雑音が入り、聞き取りづらくて何を言っていたのかわからないということも多々ありました。
 で、普段はニッポン放送を聞かないわけです。理由は、まともに聞けないからなのです。番組内容云々ではないのです。

 ちなみに、ワイドFMについては、家の中ではほぼ聞こえません。これは、TBS、文化、ニッポン全てにおいてです。
 アンテナ感度の良い通勤型携帯ラジオや、ヘッドホンを接続したiPodshuffle(FMラジオの設定が日本だとワイドに対応していませんが、アメリカなど別の国に設定すると聞くことができます)なら聞くことができますが、ラジカセなどの場合は、ロッドアンテナを延ばしても、雑音交じりになります。何しろ、FMの中で一番よく聞こえていいはずのNACK5ですら、雑音交じりですからね。
 ただ、テレビ用のアンテナケーブルを接続できるミニコンポなどなら、ワイドFMに対応さえしていれば、ちゃんとクリアな音質で聞くことができます。

 でも、それはいうなれば、おそらくですが、増幅器みたいなのを使っているからであって、停電になって増幅器が機能しなければ、ワイドFMを聞く際に、テレビのアンテナとケーブルでコンポに接続してもまともに聞くことができない可能性があるのです。
 つまり、コンポに付属されている室内アンテナや、ラジカセのロッドアンテナでは、我が家ではFMラジオをまともに聞くことができないのです。

 それに、停電の環境が長引いた場合、FMラジオだと電池の減りが早く、途中で電池切れを起こす可能性があります。一方でAMラジオの場合は比較的電池の減りが遅く、その分長くラジオをつけることができるのです。
 大まかな比較としては、FMラジオが30時間くらいなのに対して、AMだと55時間くらい電池が持ちます。これは、私が今まで持っていたラジオの一つのスペックです。単3電池2本を使っていたかと思います。
 つまり、災害化においては、AMラジオの方が、情報源として使いやすいのです。普段においても電池が長持ちしますし。コンセント電源を使う場合においては微々たる差かもしれませんが。

 では、ラジコを使ってスマホで聞く?

 言語道断ですよ。それをやるには、月額1500円とか2000円とかの定額通信料の状況下である必要がります。ラジコで1時間放送を聞けば、200MBとかですかね、正確な数字はわかりませんが、相応の通信量がかかるのです。日常的にラジコをスマホで…というのは無理があります。
 ましてや、私みたいに一番安いプランで契約している身としては、ね。タイムラグもありますし。
 まあ、録音して、外仕事の時にプレイヤーで聞くことはありますがね。それだって、パソコンの回線だからできるわけで、スマホじゃできません。
 たとえば、4Gが当たり前の状況下で、3Gならどれだけ使っても月額1000円みたいなプランがあれば、ラジコで放送を聞くときは3G回線を利用する…みたいな感じになるのですが。

 ただ、スマホの電池の持ちが、ラジオより格段に短いという弱点があるのですが。そもそも、ラジオを聞くためだけにスマホを持っているわけではありませんから。

 たとえば、FMに一本化するのであれば、電波を発信する時点で、かなり強力な電波にして、従来のAMラジオの可聴範囲をカバーできるようにすべきです。でも、その方が投資額がかかって、広告収入レベルと勘案して、回収できるかどうか不透明な気がします。
 ならば、AM放送を残すべきではないかと思うのです。

 それに、長距離を車で移動する職業の人の場合、FMだと頻繁にチャンネルを切り替えなければなりませんが、AMだとその頻度が少なくて済むでしょう。
 まあ、運転するときにラジオを聴く人がどれだけいるのかはわかりませんが。

 というわけで、相変わらず紆余曲折な展開になってしまいましたが、AMラジオは残すべきだと私は思うわけです。
 そのためには、CM収入だけでなく、いろいろな手を使って収益を上げて、AMの継続につなげなければなりません。
 それこそ、昔の音源の販売というのも、一つの手なのではないかと思います。えりすぐりのエピソードをCDに・・・とかではなく、その放送の最初から最後まで丸々1本を200円とかで販売するのです。それは、ストリーミングでもいいですし、ダウンロード形式でもいいです。
 というか、ラジオ局が公式で、昔の音源を配信してくれれば、違法アップロードとかもなくなるのではないかと思います。だって、ラジオ局の財産として残っている昔の放送の音源の方が、圧倒的に音がいいに決まっていますからね。お金を払ってでも聞きたいですよ。雑音交じりや、テープ反転の際の余白とか、そういうのが一切ないのです。
 当時のCMもそのまま入っているとうれしいですね。今では聞けないCMも結構ありますから。で、今どきの人がその頃のCMを聞いて、どう思うかですよ。

 少なくとも、過払い金請求のCMよりかは、好印象なのではないかと思います。

 どう思います?


参考
・ラジオのAM放送廃止を要請へ FM一本化、民放連
   https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190322-00000149-kyodonews-soci
 いわゆるモーダルシフトというやつなのですが、このことをじっくり考えるのは大学時代以来です。卒論でこのテーマを扱ったのですが、学生時代と今とでは、考えの深さがかなり違います。
 思えば、大学入学時からこのテーマで卒論を作ると決めていたのですが、しかしながら、資料集めや取材などは素人どころか、そのノウハウは全くなかったわけで、本当はこの点についてもっと深く掘り下げたいと思いつつも、その資料が見つからないとか、物流会社やJR貨物に取材を試みるもその手続きがわからないとか、とにかく個人的には不完全燃焼な形で終わりました。
 今になって思うのですが、小学生時代の自由研究は、実は大学時代における卒業論文制作における大いなる糧となっていたのかもしれません。その研究テーマにもよりますが、それに沿って書籍を調べたり、そのテーマに関係する施設に足を運んで、関係者に話を聞いたり、それをまとめるというのは、まさに卒論の制作過程と同一と言ってもいいです。あの頃、もう少し真剣かつまじめに取り組んでいたのなら。
 まあ、この話はこの先、そもそも小学生時代に、自由研究について先生からいろいろと教えてもらった覚えがないとか、右も左もわからない小学生に丸投げとはいかがなものか?という具合に、愚痴が延々と続いてしまうので止めておきます。
 とにもかくにも、当時はそれなりに出来栄えはいいものだと感じていましたが、それはその制作の苦労を思えばのことであって、今にして思えば、というか、卒論をまとめ上げて、続いての課題である口述試問の準備をしているさなかから、もうちょっと深掘りできたのではないかとか、違った切り口ができたのではないかとか、そんなことを思っていました。

 そんなわけで、今回は「軽トラーズマン」企画ですが、大学時代の卒論のテーマを違った切り口、具体的には、モーダルシフトに軽トラを活用できないかということで話を進めていきたいと思います。

 トラック物流業界の人手不足の深刻化で、否応なく、日本はモーダルシフトが強いられているというのが現状です。実際に、少し前にJR貨物のホームページで貨物取扱量や営業実績を見たのですが、ここ数年はどちらも右肩上がりのようです。鉄道による物流は、ある時期から底をついていましたが、少しばかり上向いてきているのです。
 しかし、日本国内、具体的には政府は、モーダルシフトにはどうやら消極的なようで、大型の連接トラックなんかを普及させようとしています。
 これは、従来の10トン規模の大型トラックの後ろに、同じ荷台を連結して、10トントラック2台分を一人の運転手で運搬するというものです。挙句は、この記事は2017年9月初めに作っているのですが、その1週間くらい前には、物流会社がこの連接トラックを購入する際には補助金を出すというのです。

 まあ、今いる人材で物流の効率化を進めるなら、それはいいことなのかもしれません。ですが、私に言わせると、そんなのは焼け石に水です。

 そもそもの話として、今の若い世代、具体的には10代後半から20代の人たちで、大型免許を取得する傾向はありません。免許制度をぐちゃぐちゃにいじって、やれ中型やら、やれ準中型やらを創設していますが、果たしてこれで若者が免許取得に意欲を持つか、怪しいものです。
 なぜならば、トラック物流業界に対するイメージが、あまり芳しくないからです。
 大型の長距離トラックは2~3日家に帰れないことはざらですし、距離によっては5日以上ハンドルを握り続けることもあるそうです。むろん、途中で休憩は取りますがその間、家には帰れないのです。
 それだけの苦労をして給料がその辺のサラリーマンよりもはるかに高いのならいいのですが、そういうわけでもありません。求人広告が参考情報ということであまりあてにはなりませんが、残業代込みで月40万前後というのが目立ちます。これだけの苦労を強いられるのなら、60万は欲しいところでしょう。その辺のサラリーマン以上に家族サービスもできないのですから。
 でも、物流業界全体で、特に大手通販会社による値下げ圧力がかかり続けた結果、運搬単価も下がり、その分人件費も減ったというのが実際のところのようです。
 何かの情報では、30年くらい前は、物流会社のドライバーは、サラリーマンの倍の給料をもらっていたらしいです。残業代込みだとは思うのですが、それはサラリーマンだって残業くらいはしていました。それでも、トラックドライバーの給料ははるかに高かったのです。月に100万もらっていたとか何とかという話も、あったような気がします。
 仕事量について昔と今とでどれだけ変わったかがわからないので単純な比較はできませんが、今は残業をこなしても、月に50万行けば多いほうなのではないかと思います。むろん、大型トラックの場合です。

 労働条件がかなり過酷という話も、何かで見た覚えがあります。今でこそ規制があるのでそういうことはないのかもしれませんが、一昔前には、1日に16時間くらいハンドルを握っていたとか。今もそうなのかもしれませんが、そのあたりは物流業界に足を踏み入れていないのでわかりません。
 ただ、現実どうなのかはともかく、素人には、特に大型長距離トラックドライバーの仕事はかなりきついというイメージがあります。そして、そのイメージが、新たなトラックドライバーの担い手を減らしているのではないかと思います。
 つまりは、連接トラックを普及させるよりも、まずはそのイメージの払しょくと、労働条件の改善が必要なのではないかと思います。

 それに、連接トラックも、排気ガスはトラック1台分でも、輸送量は2倍になるという点では、環境負荷の観点から確かに有利ですが、しかしながら、温室効果ガス排出量として最もよく用いられる二酸化炭素排出量で比べると、たとえ連接トラックになったところで、鉄道貨物や船舶に比べるとなおも多いというのが現状です。
 さらには、ドライバーに求められる技術がさらに高くなります。大型車両の運転の技術に加えて、けん引免許も必要になるのです。
 もともと、けん引免許を要するトラック(運転席やエンジンなどがある部分をトラクターと呼ぶそうで、それに荷物スペースであるトレーラーが連結されているもの)に乗り慣れている人なら何とかなるかもしれませんが、ただ、操作感覚はまた違ってきます。となると、連接トラックの運転には、極めて高い技術が求められるわけで、その分業務で運転する際には、さらに注意力や集中力などが求められます。運転手に対する負担もだいぶ増すと思われます。
 素人感覚だと、大型トラックの運転も、乗用車に比べれば格段に注意深くしなければなりませんが、連接トラックとなると、その範囲がさらに広がります。距離が短いのならともかく、長距離となると、その負担は計り知れません。

 近い将来には、自動運転やらなにやらが確たる技術として普及するかもしれませんが、それでも事故が0になるわけではありません。その自動運転などを担うコンピューターがエラーを起こせば、たちまち事故は起こりますし、犠牲者も出ることでしょう。
 それでなくても、ハッキングなどコンピューターに関する問題は多々あります。そして、それを完璧に解決する手段は、今のところありません。つまりは、自動運転に対応した大型トラックが開発されたとして、それをハッキングして、大勢の人が集まる建物に突っ込ませるというテロを実行することが、実は容易にできてしまう可能性もあるのです。
 その点を踏まえると、何でもかんでもコンピューター任せにするのも、考えものです。最終的なところには、やはり人間の力がないと、不安は残ります。そして、それには大きな技術が求められます。
 でも、そのハードルを飛び越えられる人が、果たしてどれだけ確保できるのか?

 そういったことを考えると、私は連接トラックよりも、鉄道貨物の利用を促すことが必要なのではないかと思うのです。

 環境負荷の点からいえば、船舶が最も小さく、効率的ではあります。ですが、弱点があります。
 輸送速度がどうしても遅いのです。
 貨物船じゃありませんが、茨城の大洗から北海道の苫小牧までを結ぶ船、「さんふらわぁ」は、確か丸1日かけて結んでいたかと思います。私も、北海道をバイクでツーリングしたいなと思ったら、いつか利用しようとは思いますが、それにしても、時間がかかります。
 一方、鉄道の場合は、同じ1日かかるとしても、北海道の各地から、関東圏の各地とを結べます。船の場合は、港で荷役作業をしなければならず、その時間が加わったうえで、さらにトラックなどで各地に運搬されるわけで、区間によっては2日以上かかってしまいます。
 鉄道貨物も、かつては時間がかかっていました。廃止した山野線(水俣~薩摩大口~栗野)を紹介するホームページに書かれていたと思うのですが、九州から東京まで貨物列車で4日、北海道となると1週間かかっていたそうです。・・・数字はちょっと自信ありませんが、それだけ時間がかかっていたのです。これは、途中の貨物駅の操車場で貨車の入れ替え作業をしなければならなかったためです。昔は、今のように1両の貨車に5個のコンテナがのっかっているタイプではなく、1両に1箱の貨車でした。「ワム」と呼ばれていたかと思います。あの茶色の貨車、個人的には好きなデザインでしたが、効率的な貨物輸送という観点からは最悪の代物だったのです。そのため、九州から東京まで4日という、今の船舶にさえ負ける勢いの輸送速度だったのです。入れ替え作業がなければ、もしかしたら2日くらいで着いたかもしれません。
 今は、コンテナ貨車が主流で、積み替え作業があるとしても、フォークリフトでそれが可能なので、昔みたいに貨物列車の編成をばらして、それぞれ行先ごとに組み替えて・・・ということはありません。YouTubeにあった昔の映像で、作業員が貨車に飛び乗って、編成に連結する直前にブレーキ操作をしているものがありましたが、危険極まりない作業で、まさに命がけの仕事だったのです。傾斜を利用して貨車を転がしていたかと思います。比較的最近になると、その入れ替え用の機関車を使っての作業になったようですが、時間がかかるという点では変わりません。

 さて、コンテナ貨車の話が出てきたところで、そろそろ本題に入るわけですが、確かに、このコンテナの登場で、荷役作業はかなり効率的になりました。
 しかし、このコンテナを貨物駅から目的地までトラックで運搬するわけですが、4トントラックでないとそれができません。理由は、コンテナのサイズです。
 線路の向きを基準に見ると、横幅が2.3メートルくらいで、縦幅が3.5メートル以上だったかと思います。これは、2トントラックのいすゞのエルフの平ボディーでもちょっと厳しいサイズです。荷台からはみ出ますから。特に横幅で。ワイドキャブで荷台も幅広なら何とかなるかもしれませんが、一般的なサイズ、つまりは幅が1.7メートル程度で荷台が3メートルちょっとの長さとなると、コンテナは確実にはみ出ます。
 それに、コンテナ自体は5トンくらいの総重量(コンテナ自体の重さはわかりませんが、中身の重さの上限値を加えた重さ)なので、中身次第では4トントラックでさえも最大積載量オーバーで運搬できません。
 となると、現状でさえも、免許区分が細分化したために、コンテナを運搬するには中型免許(総重量11トンまでの車が運転可)が必要になります。準中型(総重量5トンでしたっけ?)でも運転が厳しいのです。
 確か、物流業界がそそのかして・・・じゃなくて、どうにかしてくれということで、このような免許区分になったかと思うのですが、確かにアルミバンの小型トラックなら運転できる人が増えたり、あるいはそのハードルは下がりましたが、モーダルシフトの促進の観点からでは、無駄な変更と言わざるを得ません。なぜならば、鉄道貨物コンテナを運搬できるトラックが運転できる人は、事実上増えていないからです。
 たぶん、私でも運転できません。現状、中型(8トン限定)免許を持っていますが、もしかしたらぎりぎり運転できるかもしれないというレベルで、車両によってはアウトになります。

 しかしながら、鉄道貨物を活用するモーダルシフトは、本来ならもっと推進しなければなりません。
 まず、少子高齢化はなおも続いていて、出生数は横ばいか減少傾向にあります。時々増えることはあるものの、微増という感じです。これは、長期的に見れば、生産年齢人口が、この先もどんどん減り続けるということです。
 つまりは、連接トラックでお茶を濁そうとしたところで、人手不足は解消されないのです。一時的に効果があったとしても、10年、20年の長い目で見たら、焼け石に水にしかならないのです。

 一方、鉄道貨物は、工夫をすれば、さらに効率的な輸送を実現できます。低価格で輸送する混載タイプと、出発地から目的地まで編成やコンテナの入れ替えのない速達タイプとにわけて、停車するのは旅客列車の通過待ちやすれ違い、運転士の交代の時だけになります。混載タイプは、途中の貨物駅で荷役作業が行われますが、フォークリフトで積み下ろしをするだけなので、その荷物扱い量にもよりますが、大体10分かそこらの停車時間で済みます。
 ちなみに、鉄道貨物は、一人の運転士が出発から目的地到着までぶっ通しで運転するということはなく、2時間前後ごとに交代します。その点では、トラックドライバーよりも負担は小さいですし、毎日家に帰ることもできます。泊まり勤務とかありますが、それは何も貨物列車に限ったことではありません。少なくとも、2~3日家を空けっぱなしということはありません。トラブルがあれば話は別ですが、それは鉄道に限ったことではなく、トラックにだって起こりうることです。
 ちなみに、鉄道貨物を1編成、出発から目的地まで何人の運転士が担当するのかですが、むろんその区間によってまちまちですが、多いと10人くらいにはなります。1編成20両のコンテナ貨物と考えると、大型トラックで考えると30台分くらいになるので、運搬だけ見るとその分人は少なく済みますが、1人の運転士は何もその貨物列車だけを運転しているわけではなく、1日の勤務の中で、ほかに2~3本の列車を運転します。人によっては4本ということも。運転区間もまちまちです。
 貨物列車ではありませんが、確か小田急電鉄のある運転士の一日が、ホームページだったか、就活中にもらった資料だったか、ツールは忘れましたが、そんなのが書かれていて、特急ロマンスカーを新宿から小田原まで運転した後、90分ほど休憩をはさんで、今度は急行を本厚木まで運転して、また休憩をして、各駅の小田原行きを運転して、休憩をはさんで、急行を相模大野まで運転したら仮眠をとって、翌朝の始発の各駅の新宿行きを運転して、日勤を終える、みたいな感じでした。もちろん、この事例は私のいい加減な創作ですが、朝8時から翌朝8時までの勤務の場合にはこんな感じで数本の列車を運転するというイメージはつかめるかと思います。
 貨物列車でもそれは同じで、田端の機関区から水戸まで運転して、その後数時間は休憩をして、また田端まで戻って、そのあとは入れ替え作業をして上がり、というケースもあります。もっとも、これは数年前に亡くなった祖父が国鉄時代に貨物列車を運転していた頃の話なのですが。

 少し話が外れましたが、鉄道へのモーダルシフトは、その気になればさらに効率化ができますし、国のやる気次第では、さらに利便性を高めることだってできるのです。ドライバー不足の穴埋めに鉄道の利用促進は、今後確実に必要になることと私は考えます。

 ですが、私は同時に、まだ不完全だと思うのです。

 確かに、貨物列車のコンテナ化は、荷役作業の効率を高め、作業時間を短縮し、速達性を高めることに貢献しました。
 ですが、そのコンテナの中身は、果たして常に満載なのでしょうか?
 実は、そのコンテナの中の半分くらいしか、実は使っていないのではないかと、中身が見えないためにそう思うのです。
 例えば、宅配会社の荷物。A地点からB地点に向かうコンテナの中身は、案外少ないのではないかと。
 そこで考えたのは、コンテナの細分化です。8分の1くらいのサイズに分けてしまうのです。
 で、そのコンテナ自体は、例えば高崎に向かうとしましょう。列車は混載貨車で、例えば大阪から出発したとして、途中東海道線内を20か所くらいの貨物駅があったとしたら、その各駅に止まると仮定します。その途中駅から高崎に運ぶ荷物は、もしかしたら全くないかもしれませんし、途中であったとしても、段ボール1箱分しかないということだってあり得ます。たまたま集中して、8分の1サイズではかなり詰め込む形になってしまったという可能性もありますが、ただ、それぞれの運搬区間で見ると、荷物量は実はそれほどでもないというのなら、コンテナを細分化して、途中でコンテナの入れ替え作業を省いてしまうというのも一案ではないかと思うのです。
 そして、その8分の1サイズのコンテナは、例に出した高崎貨物ターミナルに到着したら、それぞれ軽トラに乗せるのです。8分の1サイズなら、ちょうど軽トラの荷台に収まるはずです。コンテナ自体が50圓らいで、中身は上限300圓棒限すれば、最大積載量オーバーの心配もありません。

 まあ、各区間の荷物扱い量云々は、この場で明かすのもなんですが、屁理屈です。
 私が言いたいのは、モーダルシフトに、軽トラもどうにか生かせないものかということです。それが、8分の1サイズのコンテナなのです。
 軽トラなら、現行制度の普通自動車免許でも運転はできます。それに、貨物駅から目的地までの運搬を軽トラでというのなら、例えば時間に比較的余裕のある農家や、一般企業の会社員の1時間程度の副業という形でできそうです。
 そして何よりも、最近私が一番気になった点を解決できます。それは、狭い道です。
 とある九州の山道で、私はある理由で、ハイエースのワイドボディーのジャンボタクシーに乗っていました。もちろん、客としてです。
 その山道はとにかく急でカーブが多く、何よりも狭いのです。見ていると、崖すれすれのところを、後輪がなぞっていました。落輪しないかひやひやしました。
 こういう山道にコンテナを運ぶということはめったにないかもしれませんが、しかし、日本各地に、狭い道路は存在します。対向車とすれ違いができないような道もかなりあります。2トントラックでさえも、通るにはちょっと厳しいと思わせるような狭い道路もあります。
 でも、軽トラなら、そういう道路は難なく通れます。つまりは、その小回り性能を最大限に生かせるのです。
 それに加えての、手軽に運転できる点も、ドライバー不足が叫ばれていますが、ちょっと時間のある人、例えば育児がひと段落ついた主婦あるいは主夫でも、貨物駅から目的地までの軽トラによるコンテナ運搬なら、気軽にできるのではないかと思います。

 大は小を兼ねるとはよく言いますが、しかし、その大きさゆえに無駄になっているという可能性を見過ごしてはいけません。大きすぎるのなら、細分化して小さくして、フレキシブルな対応ができるようにして、さらなる効率化を目指すこともまた必要だと思います。
 そして、その一助を担うのが、軽トラだと、私は思うのです。
 もはや大した特別感もありません。
 昔なら、たとえば遠足とかで、昼ごはんの時はおにぎりかサンドイッチが主流でした。そういうイベントの時のお昼に食べるものという感覚でしたが、高校くらいになると、売店で買うとか、そういう物になってしまいました。もっとも、私は高校の購買でサンドイッチを買ったことはありませんが、ただ、日常的に食べる感じになり、特別感は無くなったということが言いたかったのです。
 コンビニでも売っていますし、気が向いたときに食べる感じですかね。
 何しろ、女性とデートらしいデートなどしたことがないので、たとえば少し遠出した先の公園で、シートを広げて、バスケットからサンドイッチが・・・なんてシチュ、夢物語か都市伝説だと考えています。何それ美味しいの?・・・まあ、サンドイッチですから、よほど変な具材でない限りは美味しいでしょうね。
 そんな感じなので、特別感も何もないのです。で、そんな認識だから、別にサンドイッチを食べたいと思うこともありません。つまらない人生を送っている私です。(440字)